さてさて、一発目の記事なのでこれまでの経歴について一人語りしようかと思う。
巡査拝命から20年近くになるが、本当に色々あったなぁ。
長くなると思うので、まあ興味があったら読んでみてくれ。
なんで警察官になったか
俺は大学を卒業して、現役で警察官になった。
警察官は大卒なら法学部等の文系が多かったりするが、俺は珍しい理系出身だった。
当時は白衣を着て生物実験とかしていた理系男子だったんだよな。
で、卒業するときに大学院に進んで研究職に進むか、就職するかを迷っていた。
研究職というのはいわゆる契約社員みたいな雇用形態になるので全然安定していないんですよ。
正直研究者として自信はあったんだけど、院まで進んで無職という可能性があったらさすがに二の足を踏んだ。
学費も親に言いづらかったしね。
就職するとしても、まだ就職氷河期と言われ始めていた時くらいだったので、何になろうかと考えていた。
どうせなら大学で学んだことを活かしたい。
そこで、目を付けたのは、科捜研や科警研といった科学捜査(DNA鑑定)だった。
まさに、大学でやってきたこと!
でも科捜研や科警研の募集を確認すると、欠員が出たら募集って感じだったので、都合よく卒業のタイミングで募集がかかるかわからなかった。
それなら、まずは警察官の鑑識で勤務して、募集を待とう!鞍替えしたらいいやん!
てな具合で警察官を志したのであった。
実際は鞍替えというシステムは無かった訳だが(-。-)y-゜゜゜
警察学校時代
警察官の試験は全然苦労しなかった。
正直、叔父の行方がわからないといった家庭の事情もあり、合格には不安があったけど普通に合格できた。
叔父はいまだにどこにいるのか分からないが、半グレという噂もある。
そんな俺が良く合格できたなと今でも思うよ。
合格後は警察学校に入ることになるんだが、警察学校は結構厳しかった。
体力的には何とかなったが「規律」が本当にしんどいと思った。
面接試験でも「団体行動は得意か」て聞かれて、当然「できます!!」って答えてるんよ。
それでもきつかったなぁ。
3歩以上駆け足、カバンの置き場所、カバンのチャックの向きやチャックの隙間、布団のたたみ、水道の蛇口の向き、といった生活に関する決まりがものすごく事細かにあって、3回違反すれば本当に退職まで追い込まれるくらい、かましあげられる。
外出もできないので、本当に囚人になった気分だった。
今はどうか知らんが、当時は入校者の1割から2割くらいやめてた。
でも後々現場に出てから思うのは、このクソ厳しい学校の中の方が、外での勤務に比べたら本当に楽だということ。
警察学校に入校するということは巡査を拝命したって言い方になる。
身分は警察官になるんだよ。
責任無く、ただ厳しい生活をしていたら給料が出るんだから。
マジで警察学校でやめておいて正解だと思う。学校でやめる程度のやつは絶対に現場でもたないから。
地域警察官編 ~ はじめての現場 ~
警察学校を卒業して、全ての警察官は交番勤務をする。
交番勤務はすべての初動捜査、警察活動の基礎になるからだ。
殆どの事案は、
事案発生 → 地域警察官現場到着、処理、事案判断 → 内勤引継(刑事、生安、交通、警備)
と進む。
警察官で地域警察官を経験していない人はいない。
当然俺も例外なく交番勤務に従事することになった。
俺が着くことになった交番は比較的大きな交番で、駅と飲み屋等の繁華街、公営住宅を担当する交番だった。
そこで俺は、自分のことしか考えていないクズ人間の多さに驚愕する。
そもそも警察が関わる事案なんて、警察沙汰になるような行動をした人間ばかりなので体感的に多いと感じるだけなのかもしれない。
でも少なくとも日常生活の中ですれ違う人の中に、こんな連中がいてるんだと思うと本当に世界が嫌になった。
もう一つ、人間ってこんなに毎日人が死んでるのと驚愕する。
病院で人が死ねば特に警察が関わることはないが、病院以外で人が死ねば必ず警察が関わる。
家での老衰、交通事故、自殺・・・。1か月勤務すれば、平均で3、4人は現場に行っていた気がする。
特に自分の中で精神的にダメージがあったのは、やっぱり交通死亡事故の取り扱いだった。
遺族の対応をしたこともあるが、本当にツライ。マジで死亡事故0を目指したいと思うよ。
本当にあんなん発生させたくないって思う。
で、事故防止のために交通違反の取り締まりや交通立番を頑張っていた。
そしたら、「警察ヒマなんか」「もっと悪いやつ捕まえろや」とか何も知らん奴が程度の低いこと言うわけよ。
何度もブチ切れそうになったけどギリギリで我慢した( ;∀;)
何とか多忙の中事案処理しても、警察は常に罵倒されている。
警察官も人間なんでね。現場警察官をもう少し評価してほしいと切に望むわ。
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