大晦日の夜、団地の管理室に届き続けた「宛名のない手紙」と、誰も残していないはずの留守電。清掃員として働く男が、元旦の朝に気づいた「本当のこと」とは。
これは、僕が清掃員として働いていた団地で経験した話です。今はもうその仕事を辞めて、別の町で暮らしていますが、あの大晦日のことだけは、ずっと頭の隅に残っています。怖かった、というより、何かが腑に落ちてしまった、という感じに近い。腑に落ちるとぞっとする、そういう話です。
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僕が管理兼清掃の仕事に就いたのは、三十代の半ばを過ぎたころでした。前の職場を辞めて、しばらくぼんやりしていたところに、知人から「人手が足りてない団地があるけど、どうだ」と声をかけてもらったんです。聞けば、県境の小さな町にある古い公営団地で、高齢の住民が多く、管理の担当者がちょうど退職したばかりだということでした。給料はそれほどでもなかったけれど、管理人室に住み込みで入れるという条件が、当時の僕には都合よかった。荷物をまとめて、その団地に引っ越したのは、十一月の終わりのことです。
団地の名前は「緑ヶ丘住宅」。昭和四十年代に建てられた五階建ての棟が四棟、全部で百二十世帯ほど入れる規模でしたが、実際に住んでいたのはそのうち六十世帯ほどでした。廊下を歩くと、表札のない部屋が目に入る。カーテンのない窓がある。昼間でもどこか静かすぎる、そういう場所でした。
管理人室は一番手前の棟、一階の端にありました。前任の管理人が使っていた机と、スチール棚と、内線電話と、それからポストが一つ。このポストは郵便受けではなく、住民から管理人への連絡用として使われていたもので、家賃の支払いに関する問い合わせメモや、設備の不具合を知らせる紙切れが、たまに入っていました。
僕が「宛名のない手紙」に最初に気づいたのは、着任してから十日ほど経ったころです。
その日の朝、管理人室のポストを開けると、真っ白な封筒が一通入っていました。切手はない。表面に何も書かれていない。裏にも何もない。ただの白い封筒が、そこに入っていた。
開けてみると、中に便箋が一枚。こう書いてありました。
「ありがとう」
それだけです。差出人の名前も、部屋番号も、日付もない。ただ、「ありがとう」という二文字だけが、丁寧な筆跡で書かれていました。
最初はさほど気にしませんでした。前任の管理人に宛てたものが、タイミングよく届いただけかもしれない。あるいは、住民の誰かが気まぐれに置いていったのかもしれない。そう思って、そのまま引き出しの中にしまいました。
ところが、一週間後に、また同じ封筒が入っていた。
開けると、今度はこう書いてありました。
「寒くなりましたね」
それだけ。差出人なし。部屋番号なし。
気持ち悪いな、とは思いました。でも、怖いとまでは感じなかった。団地の住民には高齢の方が多い。認知症の方もいると引き継ぎで聞いていた。誰かが間違えてポストに入れているだけかもしれない。そう思うことにして、また引き出しにしまいました。
三通目は、それから十日後。中身は「よく眠れていますか」。
四通目は「寂しいときは言ってください」。
五通目は「ここには、長くいた人がたくさんいます」。
いずれも同じ便箋、同じ筆跡、同じ白い封筒。切手なし、宛名なし、差出人なし。
引き出しの中に五通並んだころ、僕はさすがに不安になって、住民の方々に聞いて回ることにしました。「こういう手紙を管理人室のポストに入れていた方はいますか」と。でも、誰も「私です」とは言わなかった。心当たりがないという顔ばかりだった。
一人だけ、四棟の三階に住んでいる七十代の女性が、こういうことを言いました。
「ああ、それ、前の管理人さんも言ってたよ。私が来る前から届いてるって」
前の管理人は、五年以上その仕事をしていた人です。つまり、少なくとも五年以上、あの手紙は届き続けていたことになる。
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年が明けに向かって、十二月に入りました。
そして、手紙とは別に、もう一つのことが起きるようになったのは、十二月の中旬ごろからです。
管理人室には、住民向けの内線電話と、外線の電話が一台ずつ置いてありました。外線の方には留守番電話の機能がついていて、僕が外出中に誰かが電話してきた場合、メッセージを残せるようになっていた。
ある日の夕方、外出から戻ると、留守電のランプが点滅していました。再生してみると、こう聞こえてきた。
「……あ、すみません。管理さんですか。ちょっと、お聞きしたいことがあって」
そこで切れています。部屋番号も名前も言っていない。声は老いた女性のもので、特に急いている様子はない。穏やかな、普通の声でした。
折り返そうにも、番号が非通知でした。
翌日、全住民の方に「昨日の夕方、電話していただいた方はいますか」と聞いて回りましたが、誰も「私です」とは言わなかった。
それから、同じことが繰り返されました。
三日おきか、四日おきか。帰ると留守電のランプが点滅している。再生すると、老いた女性の穏やかな声が「管理さんですか」と言って、そこで切れる。非通知。心当たりの住民なし。
最初は同じ人の声かと思っていましたが、よく聞くと、微妙に違う。一つ目の声より、二つ目の声は少し低い。三つ目は、また少し違う。でも全員、同じような話し方で、同じような出だしで、「管理さんですか」と言って途切れる。
怖い、という感覚より、何かひどく申し訳ないような気持ちになりました。うまく言えないのですが、「間に合わなかった」という感覚に近い。
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大晦日のことを書きます。
その年の大晦日は、僕一人で管理人室にいました。住民の多くは家族のところへ出かけたり、施設へ移ったりしていて、年末年始は団地全体がいつもより静かでした。廊下を歩く音もない。子どもの声も聞こえない。
夜の十一時ごろ、外線電話が鳴りました。
留守電ではなく、直接鳴った。僕が在室していたので、リアルタイムで呼び出されたんです。
取ると、あの声でした。老いた女性の、穏やかな声。
「管理さんですか」
「はい、そうです。どちら様でしょう」
「よかった。つながった」
少し間があって、彼女はこう言いました。
「ここに、長くいた者です。ずっと、お礼が言いたかった」
「……お礼、ですか」
「ええ。長いこと、誰かがここにいてくれることが、助かりました。管理の方が来るたびに、安心したんです。もう、大丈夫ですよ」
「大丈夫、とは」
「行けます。ずっと行けなかったのが、行けます。あなたが来てくれてから、ようやく」
そこで電話が切れました。
非通知でした。
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元旦の朝、棟の巡回をしていて、僕は四棟の掲示板に貼ってある古い紙に気づきました。管理組合の議事録で、年代が古いものが何枚か重なって貼られていたうちの一番下の一枚。
ほとんど色褪せて読みにくかったのですが、そこに書かれていた議題の一つに目が止まった。
「孤独死対応について(各棟管理人への周知依頼)」
日付は、二十年以上前のものでした。
議事録を読み進めると、こういう記述がありました。「近年、棟内での孤独死の発見が遅れるケースが続いており、管理人による定期的な声かけ巡回の重要性を再確認する」と。
そして、その議事録の下の方に、手書きで何か書き足されていた。インクが薄くなっていたけれど、読み取れました。
「この団地で一人で逝った人たちが、ずっとここにいる。管理人が変わるたびに、少しずつ減っていく気がする」
誰が書いたかは分からない。前任の管理人かもしれないし、もっと前の誰かかもしれない。
引き出しに戻ると、白い封筒を並べ直してみました。五通。
「ありがとう」「寒くなりましたね」「よく眠れていますか」「寂しいときは言ってください」「ここには、長くいた人がたくさんいます」
そして、大晦日の電話。
「行けます。ずっと行けなかったのが、行けます」
僕が来てから、手紙は五通届きました。留守電は、数えてみると、七件残っていました。
合わせて、十二。
それが何を意味するのか、確認する方法は僕にはありません。でも、元旦の朝に管理室に戻ってきたとき、引き出しの中の封筒を見て、なぜか泣きそうになりました。怖いからじゃない。うまく言えないのですが、誰かのことを、遅ればせながらちゃんと見送れたような、そういう気持ちになったんです。
その後、あの手紙は一度も届きませんでした。留守電も、二度と鳴らなかった。
今でも思います。あの団地で一人きりで逝った人たちが、次の管理人が来るたびに「ありがとう」と言い続けて、ようやく誰かに声が届いた。
届いた、ということが、大事だったのかもしれない。
ただそれだけで、よかったのかもしれない。
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今も、あの白い封筒は手元にあります。五通、重ねて、引き出しの奥にしまってある。捨てる気になれなくて。
あの人たちが、どうか、ちゃんとどこかへ行けていますように。
そう思いながら、今年も正月を迎えました。

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