取り壊し直前のショッピングモールで、私は幼い頃に見た「あるもの」の意味を、ずっと間違えて覚えていた。子どもの記憶は、時として本当に大切なものを隠してしまう。
これは私が小学生のころ、父の仕事の都合で数年だけ住んでいた、県境の町での話だ。
あの町には、当時にしてはかなり大きなショッピングモールがあった。地元では単に「モール」と呼ばれていて、私もそう呼んでいた。週末になると家族でそこへ行くのが習慣で、母がスーパーで買い物をしている間、私は二階のゲームコーナーで時間を潰していた。地方の子どもにとってあの場所は、それなりに特別な場所だった。
私が中学に上がる直前、父の転勤でその町を離れた。それ以来、モールのことはほとんど忘れて生きてきた。懐かしいとか、もう一度行きたいとか、そういう感情を持つほど強い思い出があったわけでもない。ただ、こどもの頃に通っていた場所、それだけのことだった。
あれが届き始めたのは、去年の秋のことだ。
その少し前、ニュースサイトをぼんやり眺めていたとき、偶然にも「県境の町、旧モール解体工事が完了」という短い記事を見かけた。ああ、あそこ、もうなくなったんだ、と思った。それくらいの感触だった。
記事の末尾に、「地域住民から思い出の品や写真を募集していた保存プロジェクト」への言及があった。地元の有志が立ち上げたらしく、モールの在りし日の写真や記録を集めてアーカイブ化しようとしていたらしい。私は特に何もせず、ページを閉じた。
それから一週間ほど経ったある朝、見知らぬメールアドレスから一通のメールが届いた。
件名は「ご参加ありがとうございます——〇〇モール記録保存プロジェクト」。
参加した覚えはない。
本文には「このたびはプロジェクトにご登録いただきありがとうございます。今後、収集した記録・写真・音声データを順次お送りします」と書いてあった。最後に、問い合わせ先として電話番号が記されていたが、市外局番は確かに県境の町のものだった。
迷惑メールか、あるいはどこかで個人情報が漏れたのか、とも思った。でも登録解除のリンクも見当たらず、送信元をいくら調べても、それらしいドメインのウェブサイトは存在しなかった。電話してみようかとも考えたが、なんとなく踏み切れなかった。
翌朝、また一通届いた。
今度は添付ファイルつきだった。ファイル名は「1994_11_21_B2F.jpg」。
開くと、薄暗いフロアの写真だった。閉店後のモールだと思う。シャッターの下りた店舗が並ぶ廊下で、蛍光灯がまばらにしか点いていない。誰もいない。ただ、廊下の中央に、何かが置いてあった。紙袋のようなもの。よく見ると、表面に手書きで何か書いてある。拡大してみたが、解像度が粗くて読めなかった。
1994年11月21日。私がまだ県境の町に住んでいた頃だ。
その後も、メールは毎朝届くようになった。
写真、テキストファイル、ときには短い音声ファイル。すべて同じ形式のファイル名で、日付と場所が記されていた。B2F、B1F、1F、2F。モールの各フロアを示しているらしい。写真は常に閉店後のもので、人の姿は写っていない。ただ、どの写真にも必ずといっていいほど、何かが置かれていた。封筒、包み紙、折りたたまれた紙、紙袋。廊下の中央や、ベンチの上や、植え込みの縁に。
不思議なことに、怖いとは思わなかった。気味が悪い、というよりも、どこか懐かしかった。あの薄暗い廊下の感じ、点滅しかけた蛍光灯の色。子どもの頃に見た風景と、確かに重なるものがあった。
あるとき、送られてきた音声ファイルを再生した。
ノイズまじりの録音で、最初はほとんど何も聞き取れなかった。スピーカーの音量を上げて、何度か聞き返した。
かすかに、放送のようなものが聞こえた。
閉店後にモール内で流れる、退館を促すアナウンスのようだった。でも内容が、おかしかった。「まもなく閉店となります。お忘れ物のないよう……」という通常のアナウンスのあと、少し間があって、男性の声が続いた。
「お受け取りになっていない方は、サービスカウンターまでお越しください」
お受け取りになっていない方。
何を受け取る、という話なのか、私にはわからなかった。
私はそのころから、子どものころの記憶を掘り起こすようになった。週末ごとにモールへ行っていた記憶、ゲームコーナーの記憶、母と一緒にスーパーのワゴンセールを見ていた記憶。細かいことまで思い出そうとした。
そこで気づいた。
私はずっと、一つのことを当たり前だと思っていた。
母がいつも、帰り際にサービスカウンターへ寄っていたこと。
私はてっきり、ポイントカードのスタンプを押してもらいに行っているのだと思っていた。子どもというのはそういうもので、親の行動の細部を深く考えない。母がカウンターで何かを受け取って、紙袋に入れて持ち帰っていたのを、私は「おまけか何か」だと思っていた。
でも、よく考えると、そのサービスカウンターは出口とは逆の方向にあった。わざわざそちらへ回り道していた。毎回。一度も欠かさず。
私は母に電話した。今は遠い町で一人暮らしをしている母は、電話口でしばらく黙った後、「なんで急にそんな話を」と言った。
「あのモールのサービスカウンター、毎週寄ってたよね。何をもらいに行ってたの」
また、少し間があった。
「封筒よ」と母は言った。「預かってもらってた封筒。毎週引き取りに行ってたの」
「誰から?」
「さあ」と母は言った。「差出人は書いてなかった。でも毎週ちゃんと届いてたから、受け取ってたわ」
「中身は?」
「開けたことないわよ」
私は思わず声が出た。「開けてないの?何年も?」
「怖かったから」と母はあっさり言った。「誰から届くかもわからないし、でも止まったら何かあるかと思って、ずっと受け取ってた。あなたが引っ越す前の週に最後のが届いて、それっきりだったわ」
「その封筒、今もある?」
長い沈黙。
「捨てた。引っ越しのときに、全部まとめて捨てた」
電話を切った後、私はしばらく動けなかった。
その夜、また一通のメールが届いた。
添付ファイルはなかった。本文には一行だけ書いてあった。
「お受け取りいただけなかった分を、改めてお送りします」
翌朝から、メールの頻度が上がった。毎朝一通だったのが、午前中に三通、四通と届くようになった。写真の日付も古くなっていった。1994年、1993年、1992年。私が生まれる前の年のものまで届くようになった。
写真のどれにも、廊下に置かれた封筒や紙袋が写っていた。受け取られなかったもの。ずっとそこにあり続けたもの。
私は保存プロジェクトの電話番号に、ようやく電話した。
コール音が三回鳴って、女性が出た。
「はい、〇〇モール記録保存プロジェクトです」
「あの、登録した覚えがないのにメールが届いていて」
「お名前をうかがえますか」
名前を伝えると、キーボードを叩く音がした。
「……確認できました。ご登録は、今年の九月二十三日です」
「登録していません」
「ご本人名義でご登録されています」
「それは……」
「なお」と女性は続けた。「担当者から申し伝えるよう言われていたことがございまして」
「はい」
「お受け取りいただけなかった記録が、大量に残っております。これはお母様の代からの分も含まれています」
「母の代から……?」
「ええ。長くお待たせしてしまいました」
私は電話を握ったまま、しばらく何も言えなかった。
「お受け取りいただけますか」と女性は言った。「こちらとしても、早く整理を終えたいので」
その後どうしたか、この文章を読んでくれているあなたはきっと気になるだろう。
私はとりあえず「考えさせてください」と言って、電話を切った。
それからメールは届き続けている。毎朝、時間は決まっていない。写真は今や一九八〇年代のものまで遡っている。モールが開業した年の、開店前の写真まで届いた。その廊下にも、やはり封筒が置かれていた。
誰かが、ずっとずっと前から、何かを届けようとしていた。
母だけじゃなく、私もずっと、受け取っていなかった。
先週、試しに最新の添付ファイルを開いた。写真ではなく、テキストファイルだった。
中には一文だけ書いてあった。
「次は、あなたが届ける番です」
私がこのことをブログに書こうと思ったのは、誰かに知っておいてほしかったからだ。もしこれを読んでいるあなたが、見知らぬ送信元からメールを受け取ったとしても、すぐに削除しないでほしい。私はまだ、そのメールを開いていない。届いているのは知っている。あなた宛てに送ったから。

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