うちの時計が少しずつ増えている話

一人暮らしの部屋に、気づけば見覚えのない時計が増えていた。それはただの買い忘れか、それとも何かが「時間を数えている」のか。

最初に気づいたのは、去年の秋の終わりごろだった。

俺は三年前から、県境のはずれにある古いアパートで一人暮らしをしている。築三十年以上は経っているらしい二階建ての建物で、俺が借りているのは二〇三号室。日当たりは悪いが家賃が安く、職場までも自転車で十五分かからない。特に不満はなかった。少なくとも、あの頃までは。

時計の話をする前に、少し部屋の説明をしておく。六畳一間のワンルームで、キッチンと一体になったリビングスペースがある。家具はほとんど持ち込まず、テレビ台と本棚、折り畳みのテーブルくらいしかない殺風景な部屋だ。時計は一つだけ持っていた。引っ越しの際に親が持たせてくれた白い丸型の掛け時計で、キッチン寄りの壁に一つだけ掛けてあった。それだけで十分だったし、それ以上必要だとも思っていなかった。

最初に「変だな」と思ったのは、玄関の靴箱の上に置いてある小さな置き時計を見たときだ。

丸みを帯びた木製のフレームに、シンプルな文字盤が入っているやつ。ナチュラルテイストとでも言えばいいのか、雑貨屋に並んでいそうな感じのものだった。正直、悪い趣味ではない。でも俺にはまったく覚えがなかった。

最初は「あ、そういえば買ったっけ」くらいに思った。仕事が忙しかった時期で、ネット通販で何かを買っても記憶があやふやになることがあった。時刻は合っていたし、動いていた。気にしなかった。

それが十月の上旬。

次に気づいたのは、二週間か三週間後のことだったと思う。

洗面台の棚の上に、小さな置き時計が増えていた。銀色のメタリックなフレームで、針が赤いタイプのもの。職場のデスクに置くような、ちょっとシャープなデザインだった。

さすがにそのときは「あれ」と思った。玄関の時計のことを思い出したからだ。二つ続けて見覚えのない時計があるのは変じゃないか、と。

ただ、どちらも時刻が正確で、ちゃんと動いていた。電池も切れていない。何か実害があるわけでもなかった。仮に自分が買ったのだとしても、それで困ることもない。俺は少し考えてから、「やっぱり買い忘れてたんだろう」と結論づけた。

それでよかったんだと思う。よかったはずだった。

十一月に入って、本棚の横に置いてあるテレビ台の上に、もう一つ時計が現れた。黒い四角いフレームで、文字盤がシックな感じのアナログ時計だった。

俺はそこで初めて、ちゃんとメモを取ることにした。

「一〇月上旬・玄関の靴箱の上・木製丸型」「一〇月下旬・洗面台の棚・銀色メタル針赤」「一一月頭・テレビ台の上・黒四角アナログ」

紙に書いて、スマホのカメラでも撮った。そしてすでにある時計が増えているのか、それとも新しいものが別の場所に現れているのかを確認しようとした。

結論から言うと、どちらでもなかった。

最初に気づいた玄関の木製の時計は、ちゃんとそこにある。洗面台の銀色も、テレビ台の黒いやつも。時計が増えていっているのではなく、「気づいていない時計がもともとあった」ような感じとも違う。完全に新しい場所に、新しいものが出現しているのだ。

俺は友人に話した。同じ職場の後輩で、ちょっと変わったものが好きなやつだ。

「それ誰かが入ってんじゃないすか。ストーカーとか」

そう言われたとき、ぞっとした。確かにそれが一番まともな説明だ。でも、鍵は変えたばかりだった。引っ越した当初に一度交換して、スペアも一本しか作っていない。窓は二重ロックしているし、オートロックではないが一階の共用部にも鍵がある。どうやって入ってくるのか、見当もつかなかった。

念のため、管理会社に連絡して部屋の鍵を再度交換してもらった。

それで解決すると思った。

ところが、十二月に入っても時計は増えた。

今度はキッチンのシンク下の棚の中に、旅行用の小さな折り畳み時計が置いてあった。扉を開けたとき、洗剤のボトルの影に小さな時計があって、俺は思わず声が出た。

「なんで棚の中に……」

声が虚しく狭い部屋に響いた。

鍵を変えても入ってくる。あるいは、もともとそこにあったものに俺が気づいていなかっただけ。でも棚の中を開けるたびに確認しているし、そんなわけがない。

ここで俺は初めて、本腰を入れて部屋を調べることにした。

押し入れ、クローゼット、床下収納……そういう場所をくまなく見た。

出てきたのは七つだった。

それまで気づいていたものが四つ。それに加えて、新たに三つ。クローゼットの奥、本棚の裏、そして使っていないダンボール箱の中にそれぞれ一つずつ。

全部で七つの時計が、俺の六畳一間に存在していた。

驚いたのはその数だけじゃない。全部の時計が、ほぼ同じ時刻を指していたことだ。誤差はせいぜい一分以内。それぞれ別の場所に置かれていて、俺が意識的に合わせた覚えなど一切ないのに、すべてが同じ時刻を正確に刻んでいた。

友人に再度連絡すると、「それ電波時計とかじゃないんですか」と言われた。確かに電波時計なら自動で時刻を合わせる。でも七つのうち三つは明らかに電波式ではないアナログの機械式だった。それでも狂いがないのは、不思議としか言いようがない。

俺は七つの時計を全部、玄関の外の廊下にまとめて置いておいた。

翌朝、七つとも元の場所に戻っていた。

そこで俺の記憶の話をしなければならない。

これが一番、語りにくいところなんだが。

七つの時計を廊下に出した翌朝、時計が戻っていたことに気づいた俺は、スマホのカメラで全部撮影して、テキストにメモもした。そして翌日、職場の昼休みにスマホを開いたとき、メモも写真も残っていなかった。

削除した記憶はない。でもない。

その後、ノートに手書きでメモを残したこともある。翌朝見ると、その一ページだけ綺麗に破り取られていた。

自分でやったのかもしれない。寝ている間に。でも俺はそういうことをするタイプではないし、第一そんな習慣もない。

今年の一月、時計の数は十一になっていた。

誰かに部屋を見せようとして、友人を誘った。でも当日、「急用で行けなくなった」と連絡が来た。別の人間を誘っても、やはり当日に予定が入ったと断られた。これが三回続いた。偶然かもしれない。ただ、偶然だと思いたいだけかもしれない。

時計の数は今、俺が把握している限り十四だ。

「把握している限り」というのは、もうすべてを確認する気になれないからだ。気づいていない場所にあと何個あるのか、考えるのが怖くなった。

一つだけ、確かなことがある。

俺の部屋にある十四の時計は、全部が同じ時刻を指している。どれだけ時間が経っても、ぴたりと同じ時刻を。

それがおかしいと気づいたのは先週だった。

職場から帰って、夕方の六時ごろに部屋に入った。壁の時計を見ると、針は六時を少し回ったところを指していた。正しい。でも何気なく洗面台の時計を見たとき、針の位置が……同じだった。当然だ、と思うかもしれない。でも俺がトイレに入って、手を洗って、洗面台の前に立ったのは帰宅から十分近く後のことだ。十分経っているなら、針は違う位置を指しているはずだ。

でも針は、俺が帰宅したときと同じ位置にあった。

確かめたくて、他の時計も見て回った。玄関の木製の時計。キッチンの折り畳み時計。テレビ台の黒いやつ。全部、同じだった。六時を少し回ったところ。

スマホの時計は正確に六時二十三分を表示していた。

部屋の時計は全部、動いていなかった。

いや、違う。動いている。秒針はちゃんと動いている。チクタクという音もする。でも針が進まない。時刻が変わらない。全部の時計が、俺が帰宅したあの瞬間から、一秒も進んでいないのだ。

俺は今、この話をスマホのメモアプリに書いている。

部屋の時計は今も、六時を少し回ったところで止まっている。スマホは深夜の一時を回っている。

これをメモしておかないと、また消えるかもしれないと思って急いで書いている。

ふと気づいたことがある。

時計が最初に現れたのは、俺がこの部屋に越してきた日ではなく、去年の十月だ。あのとき何か変わったことがあったか思い返してみると、一つだけある。

隣の二〇二号室の住人が変わったのだ。

引っ越してから一度も顔を合わせたことがなかった隣人が出ていって、新しい住人が入った。入居したその夜、廊下ですれ違った。小柄な老人だった。俺が会釈すると、老人は微笑んで、こう言った。

「時間を大切にね」

社交辞令の挨拶だ、とそのときは思った。今も、そう思いたい。

ただ、今夜、廊下を確認したら、二〇二号室の玄関ドアに表札がなかった。入居して三ヶ月以上経つのに、表札も荷物の出し入れも、物音も一切ない。

住んでいる気配が、まったくない。

止まった時計の針を見ながら、俺はなぜか、一つのことが頭から離れない。

もし全部の時計が同じ瞬間で止まっているなら、それは「計っている」のではなく「覚えている」のではないか、という考えだ。

あの瞬間を。俺が部屋に入ってきた、あの瞬間を。

なぜその瞬間を覚えているのか。

何のために。

スマホを閉じる前に、今の時刻を一つだけ書き残しておく。

スマホの表示:午前一時四十七分。

部屋の時計の表示:六時〇九分。

この差が、縮まらないことを祈っている。

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