一人暮らしの部屋の鏡に、少しずつ「自分の部屋とは違う部屋」が映り始めた。最初は気のせいだと思っていた。
去年の春、私は仕事の都合で県境の町に引っ越した。築二十年ほどの、どこにでもあるような一人暮らし向けのアパートだった。特に問題もなく、最初の数ヶ月は普通に過ごしていた。
この話を書こうと思ったのは、あれから一年ほど経った今になっても、頭の中でうまく整理がつかないからだ。誰かに話せる内容でもないし、かといってひとりで抱えておくには少し重い。だから、こうして書き残しておくことにした。
最初に気になったのは、五月の終わりごろだったと思う。
私の部屋には、玄関を入ってすぐ右側に大きな姿見が一枚ある。高さが百五十センチくらいある、縦長の鏡だ。前の住人が置いていったらしく、部屋に備え付けのものとして最初から存在していた。古いけれど、使えるものをわざわざ処分するのも面倒で、そのまま使っていた。
その日、仕事から帰って鍵を開けながら、なんとなく鏡に目をやった。帰宅したとき、鏡越しに自分の顔を確認する癖がいつの間にかついていた。
鏡の中に、自分の背後の壁が映っていた。白いクロスの壁。それは当然そうなのだけれど、その壁に小さな絵が飾られているのが見えた。
私は立ち止まった。
振り返った。
壁には何もなかった。
白いクロスの壁に、釘一本打っていない。もともと壁に穴を開けるのが嫌で、この部屋に越してきてから飾り物は一切していなかった。
もう一度鏡を見た。壁は真っ白だった。
夕方の疲れ目だろう、と思った。残業続きで睡眠も足りていなかったし、そういうことはある。あのときはそれで納得した。
次に気になったのは、十日ほど後だった。
朝、出勤前に身支度をしながら鏡を見ていると、鏡の中の床に、見覚えのないラグが敷かれているのに気づいた。くすんだ赤っぽい色の、毛足の短いラグ。うちの床は何も敷いていない、フローリングのままだ。
でも鏡の中のフローリングには、確かにそのラグが見えた。
三秒か四秒、じっと見ていた。そうしていると、ラグは消えた。いや、消えたというよりも、気づいたら鏡の床がフローリングに戻っていた、というほうが正確かもしれない。
その日一日、頭の片隅にそのことが引っかかり続けた。仕事中も、昼休みも。でも夜になるころには、疲れに上書きされて、深く考えるのをやめていた。
六月に入って、私は鏡を意識的に見るようにした。
怖いから見る、というより、確認したいから見る、という気持ちだった。何かが見えるのか、それとも気のせいなのか、はっきりさせたかった。
しばらくは何も起きなかった。普通の鏡だった。ちゃんと自分が映って、背後の部屋が映って、それだけだった。
やっぱり疲れ目だったんだと思い始めたころ、六月の中旬に、私は初めて「それ」をはっきりと見た。
夜の十時ごろ、お風呂上がりに鏡の前に立ったとき。
鏡の中の部屋に、椅子が置いてあった。
私の部屋には椅子がない。テーブルもなく、床に座るスタイルで生活している。なのに鏡の中には、木製の、背もたれのある椅子が一脚、ぽつんと置いてあった。
しかも。
その椅子に、人が座っていた。
咄嗟に振り返った。部屋には誰もいなかった。鍵はかかっているし、窓も閉まっている。当然だ、誰もいるはずがない。
もう一度鏡を見た。
椅子はあった。でも人はいなかった。
そのまま十秒ほど鏡をにらみ続けたが、椅子はそこにある。振り返るたびに、部屋には何もない。
怖かった、というよりも、頭が状況に追いつかなかった。体がうまく動かない感じで、しばらくその場に立ち尽くしていた。
結局その夜は鏡にタオルをかけて寝た。
翌朝、タオルを外すのをためらいながら、それでも外した。鏡に映っていたのは普通の部屋と、寝不足で顔色の悪い自分だけだった。
友人に話そうかとも思ったが、言葉にすると馬鹿みたいに聞こえる気がして言えなかった。「鏡に知らない部屋が映る」なんて言っても、笑われるか心配されるかのどちらかだ。
私はその後も観察を続けた。記録もつけるようにした。スマートフォンのメモアプリに、日付と見えたものを書き残した。
六月二十日。鏡の中の壁に、前に見た小さな絵が再び見えた。今度はもう少し長く、五秒ほど見えていた。額縁の絵で、風景画のようだった。何の風景かは判別できなかった。
六月二十五日。ラグが再び見えた。以前より鮮明で、模様まで見えた。幾何学的な模様の、くすんだ赤いラグ。
七月三日。椅子が見えた。今回は人はいなかった。椅子の座面に、何か畳んだものが置いてあるような気がしたが、はっきりしなかった。
気になったのは、これらが「増えている」ということだった。最初は絵だけ。次にラグが加わった。椅子が現れた。一度見えたものは、次に見えるときには前より長く、前より鮮明になっていく。まるで少しずつ、鮮明になっていくような。
七月の終わりごろ、ひとつ試してみた。
鏡の前で自分が動いたとき、鏡の中の「自分」がどう動くか確認したのだ。
右手を上げると、鏡の中の私も右手を上げる。当たり前だ。でも私はそれを見ながら、鏡の奥、自分の後ろに映るはずの背景を意識して見た。
椅子が見えていた、あのとき。私が振り返っても椅子はなかった。
つまり鏡は、私の後ろにある「実際の部屋」を映していなかった、ということになる。
それがわかったとき、怖いというより、奇妙な納得感があった。この鏡はどこかの時点から、私の部屋を映すのをやめて、別の何かを映し始めたのかもしれない。
八月の頭、私はアパートの管理会社に電話した。この鏡について何か知っているか聞くためだ。
担当者は少し間を置いてから、「前の入居者が置いていったものだと引き継いでいるが、詳しい経緯は把握していない」と言った。前の入居者が誰で、どんな人だったかは教えてもらえなかった。個人情報だから、ということだった。
鏡を処分しようとも考えた。でも何か、踏み切れなかった。怖いというより、まだ全部見ていない気がして。もう少しだけ、確認したい気持ちが残っていた。
そして八月の中旬、これが今のところ最後に見たものになる。
夜中の二時ごろ、トイレに起きたときのことだった。電気もつけずに廊下を歩いていたら、玄関の鏡が月明かりで薄く光っているのが見えた。
なんとなく足を止めて、鏡を見た。
鏡の中の部屋に、椅子があった。ラグがあった。壁には絵があった。そして。
椅子に人が座っていた。
今回は、はっきり見えた。
女の人だった。年齢はわからない。暗くてよく見えなかったし、俯いていたから顔も見えなかった。でも、女の人が椅子に座って、俯いていた。
私はそこに立ったまま、しばらく動けなかった。
その人は、ずっとそのままだった。動かなかった。ただそこにいた。
どれくらいの時間そうしていたかわからない。一分か、それ以上か。気づいたとき、私はゆっくりと目を逸らして、トイレに入って、部屋に戻って、布団をかぶった。
振り返らなかった。確認しなかった。
翌朝、鏡には普通の私が映っていた。
あれから二週間ほど経つ。鏡には何も見えていない。ラグも椅子も絵も、あの女の人も。また普通の鏡に戻った。
鏡を処分するなら今だと思う。でも、まだ部屋の玄関に立てかけたまま、今日もそこにある。
あの俯いていた人が誰なのか、私にはわからない。鏡の中の部屋が何なのかも、わからない。前の入居者と関係があるのかも、ないのかも、確かめようがない。
ただ、ひとつだけ気になっていることがある。
あの夜、鏡の中の女の人を見ていたとき。暗くてよく見えなかったけれど、その人の座り方とか、俯き方とか、なんとなく、見覚えがある気がした。
気のせいだと思いたい。
今もそう思っている。


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