帰省のたびに、実家の階段の段数が微妙にずれている気がする。気のせいだと思っていた、最初のうちは。
子どもの頃から、数を数えるのが好きだった。
階段の段数とか、電柱の本数とか、横断歩道の白い縞の数とか、そういう意味のないものを数える癖がずっとある。たぶん落ち着かないときにやる、一種の儀式みたいなものだと思う。手持ち無沙汰なとき、頭の中がうるさいとき、とにかく何かを数えていると少し静かになる。
実家の階段も、そのひとつだった。
実家は、山と山に挟まれた小さな盆地の町にある。県境に近い、古い木造の一軒家で、私が物心ついた頃にはすでに築三十年を超えていたんじゃないかと思う。二階建てで、一階と二階をつなぐ階段は廊下の奥の暗いところにあって、子どもの頃はそこを通るのがどことなく苦手だった。ぼんやり暗くて、木がきしんで、上から冷たい空気が降りてくる感じがした。
段数は、十三段。
これは自信を持って言える。小学校に入る前から数えていたし、中学、高校と毎日上り下りして、大学進学で家を出るまで、ずっと十三段だった。縁起が悪い数字だな、なんて中学生のときに気づいて、母に話したら「そんなこと気にしない」とあっさり言われた記憶がある。
就職してから実家に帰る頻度は減った。盆と正月、あとは父か母が体調を崩したときくらい。それでも帰るたびに階段は数えていた。別に意識してというわけでもなく、体が勝手にやっていた。十三段。変わらず十三段。
最初にずれを感じたのは、二十八か二十九のころだったと思う。正確にはもう覚えていないけれど、たしか秋の連休に帰ったときのことだ。
荷物を持って二階の自分の旧い部屋に上がろうとして、いつもみたいに無意識に数えていたら、十四に足が届く前に天井近くの廊下に出ていた。あれ、と思って立ち止まって、また下りて、今度はちゃんと数え直した。
十三段。
やっぱり十三段だった。上がりきったところで数え終わった。さっきの数え間違いかな、と思ってそのままにした。疲れていたんだろう、くらいの気持ちで。
次に気になったのは、その半年後か一年後かの、お盆の帰省だった。
夜中に目が覚めて、トイレに行こうと部屋を出た。二階のトイレは階段を下りたところにはなくて、廊下を挟んで向かいにあるから、階段は関係なかったんだけど、なぜかそのとき、ふと数えたくなった。真っ暗な廊下に立って、階段の手すりに手を当てて、一段ずつ下りながら数えた。
十二段で、台所の明かりが見えた。
おかしい、と思った。今度はちゃんと意識して数えたのに、十二段しかなかった。もう一度上って、下りる。十二段。また上って、下りる。十二段。三回数えても、十二だった。
トイレから戻ったあと、布団の中でしばらく考えた。壁でも変えたのかな、リフォームでもしたのかな。でも階段の段数なんて、そう簡単に変わるものじゃない。それに、もし変わっていたとしたら、高さが変わるはずで、そしたら踏み外したりしそうなものだ。でも何も変わった感覚はなかった。
翌朝、母に聞いてみた。「この家の階段って何段あるか知ってる?」と、なるべく何気なく。
母はしばらく考えて、「さあ、数えたことないわ」と言った。「十三か十四じゃないの、普通そんなもんでしょ」と。
父に聞いても、「そんなん知らん」と新聞から目を離さないままだった。
昼間にもう一度、今度は明かりをつけて、ゆっくり数えた。
十三段だった。
夜中に数えたときに間違えた、という結論で、そのときは落ち着いた。半分眠いまま真っ暗で数えたんだから、それは間違えもするだろう、と。
でも、それから帰省するたびに、階段の段数が気になるようになった。
三十を過ぎた頃の年末。十四段あった。次の春のお彼岸。十三段。その夏のお盆。十二段。また年末。十三段。
毎回きちんと、昼間に、明かりをつけて、何度も往復して確認しているのに、数が一致しない。十二か十三か十四か、その三つの間でゆれている。メモに記録し始めたのは三十二の頃だった。帰省した日付と、何段だったかを手帳に書き残すようにした。
記録を見返すと、規則性はなかった。多い少ないが交互になるわけでもなく、季節と対応しているわけでもない。ばらばらに、三つの数字のどれかになっている。
一度、姉を呼んで一緒に数えてもらったことがある。姉は五つ上で、結婚して別の町に住んでいるけれど、お盆は毎年帰ってくる。「ちょっと一緒に数えて」と頼んだら、「何それ変な子だね」と笑いながらつきあってくれた。
二人で並んで、一段ずつ声に出して数えながら上った。
「十三ね、普通じゃん」と姉は言った。
私も十三と数えた。一致した。それはよかった。
でも姉が帰った夜、一人でもう一度数えたら、十四段あった。
姉に電話して「さっきと違う段数だった」と言ったら、「それ大丈夫?疲れてるんじゃないの」と心配された。そうかもしれない、と思って電話を切った。
三十四か五の冬のことだったと思う。父が入院して、しばらく実家に泊まり込んでいた時期がある。毎日、朝晩と階段を上り下りしていた。
数えてみると、十三の日もあれば、十二の日も、十四の日もあった。一日の中でも、朝と夜で違うことがあった。朝は十三で、夜は十二、みたいに。
その頃になって初めて、本格的に怖くなってきた。
段数が変わること自体よりも、変わるのに踏み外しもしないし、感覚的に何も違わないことが、気持ち悪かった。十二段のときは踏み外す感覚がありそうなものなのに、上りきったところで体はちゃんと廊下に立っている。十四段のときは一段多いのに、足が伸びすぎたりしない。体は毎回、段数に合わせて動いている。
意識だけが、ずれている。
父が退院して、私も自分の家に戻ってから、階段のことを調べてみた。建物の図面が残っていないかと思って、母に頼んで探してもらったけれど、見つからなかった。リフォームの記録もない。この家を建てた工務店の名前もわからなかった。
ふと思い立って、実家に来るたびに撮っていたスマホの写真を見返した。帰省のたびに食事の写真や庭の写真を撮っていたから、何枚かは階段が背景に写り込んでいるはずだと思って。
三年分くらいの写真を遡って、階段が写っているものを選んで、一枚一枚確認した。
段数を数えてみようとしたけれど、どの写真も、下のほうか上のほうかどちらかが暗くて、全部の段が確認できなかった。写っているところだけで七段か八段。それ以上は影になっている。
おかしいな、と思った。実家の廊下にはそんなに深い影ができるほど暗い場所じゃないはずなのに、どの写真も、階段の全体が写っているものがなかった。
去年の秋に帰省したとき、今度は動画を撮ることにした。階段の下に立って、全体が映るように構えて、上から下まで写るアングルで録画した。
家に戻ってから、その動画を再生した。
段数を数えようとして、止まった。
画面の中の階段は、上のほうが白く飛んでいた。光がないはずの場所なのに、上の三段か四段分がはっきりと白く光って、見えなくなっていた。
窓はない。反射するガラスもない。その時間、日は西に傾いていて、廊下に直接差し込む位置でもない。
もう一度、今度は懐中電灯を使って照らしながら動画を撮り直した。
やっぱり、上のほうが白く飛んでいた。懐中電灯の光が届いているはずのところが、全部潰れている。
その動画は今も保存してある。でも何度見ても、段数が数えられない。
今年の春、久しぶりに実家に泊まった夜、二階の部屋で横になりながら、子どもの頃のことを思い出していた。
あの階段が怖かったこと。上から冷たい空気が降りてくる感じがしたこと。暗くて、奥があるような気がして、それが何なのかわからなかったこと。
もしかしたら、子どもの頃からずっとそうだったんじゃないかと、ふと思った。ずっと数が変わっていて、私がそれに気づかなかっただけで。あるいは気づいていたけど、数え間違いだと思い込んでいただけで。
翌朝、荷物をまとめて帰る前に、一度だけ数えた。
十三段。
ちゃんと十三段あった。それはいつもの、知っている段数だった。
でも玄関を出て振り返ったとき、ふと思ってしまった。
今日、帰りに数えたのは十三段だった。でも昨日の夜、暗い中でトイレに立ったとき、私は何段上り下りしたんだろう。
確かめなかったし、もう確かめられない。
そのことを、電車に乗ってからずっと、考えていた。


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