捨てられたノートに書かれた夢の記録が、自分がつけてきた夢日記とまったく同じ夢を綴っていた。書いたのは誰で、なぜ同じ夢を見ていたのか、最後まで答えは出なかった。
そのノートを拾ったのは、去年の秋口のことだった。
私は当時、県境の町の外れにある小さなアパートに一人で住んでいて、近くの公民館でパートをしていた。朝の通勤は徒歩で、川沿いの遊歩道を二十分ほど歩く道のりだった。季節が変わるたびに景色が変わるその道が好きで、雨の日でも傘を差して歩いていた。
ノートを見つけたのは、遊歩道から一本入った細い路地の角だった。ゴミ集積所のそばのフェンスに立てかけるようにして、それはあった。収集日でもないのに、近所の誰かが捨てたのだろう。大学ノートで、表紙には何も書いていなかった。ゴミとして置かれていたのは明らかだったけれど、雨に濡れていなかったこともあって、私はなんとなく手を伸ばしてしまった。
中身を確認したのは公民館に着いてからだった。昼休みに休憩室でページをめくると、それは日記のようなものだった。ただし、日常の出来事ではなく、夢の内容だけが書かれていた。日付と、その日見た夢を数行で記録している。書き方は簡潔で、感情の描写は少なく、ただ見た夢を整理するように事実だけが並んでいた。
私はそのとき、少し驚いた。
というのも、私自身が、もう三年ほど夢日記をつけているからだ。眠りが浅くて夢をよく見る体質で、ある時期からスケッチブックに夢の内容を毎朝書きとめる習慣がついた。自分の内側を整理するためのものだったから、誰にも話したことはない。
それほど珍しい習慣でもないとは思う。でも、拾ったノートのページを繰りながら、私はだんだん妙な感覚に捉われていった。
書かれている夢の内容に、見覚えがあった。
最初は偶然だと思った。「知らない駅のホームに立っていて、電車が来ない」という記述があって、私も似たような夢を見たことがある。それだけなら、よくある夢だ。
でも読み進めるうちに、それだけでは説明がつかなくなってきた。
「川の上に橋がかかっていて、渡り終えるといつの間にか橋の手前に戻っている。何度渡っても終わらない」という夢の記述があった。私はその夢を、二年前から繰り返し見ている。遊歩道の川にかかる橋ではなく、どこか灰色の、橋だけが存在するような場所に立っていて、渡っても渡っても元の場所に戻る夢だ。夢日記を見返せば、少なくとも四回は同じ夢を記録していた。
さらにページをめくると「古い集合住宅の廊下を歩いている。扉に番号がついているが、どれも偶数だけで、奇数の番号の扉がない」という記述があった。
私は手が止まった。
その夢を、私は去年の夏に見た。妙にリアルな夢で、起きてすぐスケッチブックに書きとめたのを覚えていた。廊下の壁の色、床のタイルの継ぎ目、蛍光灯がひとつ切れかかってちかちかしていたこと。奇数番号の扉だけがない、その不自然さに夢の中でも気がついて、不安になって歩き続けた夢だった。
偶然で片付けようとした。でも、その日の帰り道、遊歩道を歩きながら、私はノートを鞄から出して最初のページに戻った。日付を確認した。
最も古い記録は、三年と少し前だった。私が夢日記をつけ始めたのとほぼ同じ時期だった。
その週末、私は自分のスケッチブックをすべて引っ張り出して、ノートと並べて読み比べた。
完全に一致しているわけではなかった。ノートに書かれた夢で、私が記録していないものもあったし、私のスケッチブックにあってノートにない夢もあった。でも、重なっている夢があまりにも多かった。そして、重なっている夢は、日付まで近かった。同じ月に、似た夢を見ていた。
私は、ノートを書いた人物のことを考えた。
字は女性的な丸い字で、文字の大きさが均一で、几帳面な印象があった。日付の書き方が私と違って、西暦ではなく年号で記していた。ページの端に小さく通し番号を振っている几帳面さがあった。でも、名前も住所も一切書かれていなかった。
この人は誰なのか。なぜ私と同じ夢を見ていたのか。なぜノートを捨てたのか。
最初は、夢の内容が似てしまうのは、人間の脳が持つ共通のパターンみたいなものがあるからかもしれない、と思っていた。エレベーターが落ちる夢や、空を飛ぶ夢が多くの人に共通するように。でも橋を渡っても元に戻る夢や、奇数番号のない廊下の夢が、そういう普遍的なものとは思えなかった。
気になって、公民館の司書をしている先輩に、夢についての話をそれとなく聞いてみた。夢を共有するとか、似た夢を見ることに何か意味はあるのか、という話だ。先輩は少し考えてから、「昔は夢を魂の外出だと思っていた文化があるよ」と言った。眠っている間、魂が体を離れてどこかへ行く。その場所で別の人間の魂と出会うこともある。だから見知らぬ人と同じ夢を見ることがある、と信じられていた、と。
「面白い話だけどね」と先輩は笑って言った。「今はただの脳の処理でしょうけど」
私は笑って頷いたけれど、その夜、また夢を見た。
橋の夢だった。渡り終えると元の場所に戻っている、あの夢だった。でも今回は少し違った。橋の欄干の向こうに、誰かの後ろ姿が見えた。同じように橋を渡ろうとしている人の、後ろ姿だった。性別も年齢も分からない、ただ暗い輪郭だけの人物だった。私が「すみません」と声をかけようとすると、その人が橋を渡り終えて、また手前に戻ってきた。何度も同じことを繰り返していた。私と同じように、出口のない往復をしていた。
起きてすぐスケッチブックに書きとめた。いつもより細かく、その後ろ姿のことまで書いた。
それから数日後、ノートをもう一度最初から読み直していて、ある一文に気がついた。最後のほうのページに、夢の記録とは少し違う形で書かれた短い文章があった。
「橋に、誰かがいた。こちらに気づいていないようだった」
日付を確認した。私がその夢を見る一週間前だった。
ノートはそのページで終わっていた。続きのページは白紙だった。
私はしばらく、その白紙のページを見ていた。
結局、ノートを書いた人物が誰なのかは分からなかった。路地の角に捨てられていた理由も、なぜ書くのをやめたのかも、分からない。
ただひとつ気になっていることがある。
私が夢の中で後ろ姿を見たとき、橋の手前に戻ってきたその人物が、少しだけ振り向きかけた。顔は見えなかった。でも、その仕草がひどく自然で、まるで気配に気がついたみたいだった。
ノートは今も手元にある。捨てられなかった。
先週の夢日記を書いていて、ふと思った。もしこのスケッチブックをどこかに捨てたとして、拾った誰かがページをめくったら、どう思うだろう。知らない人と同じ夢を見ている気がして、不思議に思うだろうか。
それとも最初から、ノートを拾うべき人間のところへ、ノートは辿り着いたのだろうか。
分からない。ただ今夜も眠れば夢を見るだろうし、起きたらまたスケッチブックに書きとめるだろう。それだけは確かなことだと思っている。


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