誰もいない時間に映っていたもの

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深夜の事務所の防犯カメラに、毎晩同じ時刻に人影が映り込んでいた。だが調べるほどに、その影が「ずっと前からそこにいた」ことがわかってきた。

これを書こうと思ったのは、先月ようやく退職が決まったからだ。あの会社を辞める理由は表向き「一身上の都合」だけれど、本当のことを言えば、あそこにはもう戻りたくないと思っている。

俺が働いていたのは、県境に近いそこそこ大きな工業団地の外れにある、小さな貿易系の会社だった。正社員が十数名、パートやアルバイトを含めると二十人に満たないくらいの規模で、倉庫と事務所が同じ建物に入っているような、ごく普通のところだ。地元では古くからある会社で、従業員も長く勤めている人が多かった。

俺がそこに転職したのは、三年ほど前のことだ。前職のストレスで体を壊して、少し落ち着いた職場を探していたときに、ハローワークで見つけた。面接で会った所長は穏やかな人で、職場の雰囲気も悪くなさそうだった。

問題が起きたのは、入社して八ヶ月ほど経った頃だった。

きっかけは本当に些細なことで、事務所のデスクの上に置いてあったコーヒーカップの位置が、朝出社したときに変わっていた、というだけのことだった。昨日の夕方、帰り際に右端に置いておいたはずのマグカップが、翌朝には左端に移動していた。掃除のパートさんが動かしたのかもしれないと思って、特に気にはしなかった。

次の変化は一週間後だった。今度はデスクの引き出しが少し開いていた。自分では必ず閉めて帰る癖があって、それまでは一度も開けっ放しにしたことがなかったのに。やはり他の誰かが開けたのだろうと考えて、この時もそのままにした。

何か変だと思い始めたのは、同僚の柴田さんに話しかけられたときだ。柴田さんは俺より五年先輩で、総務と経理を兼務している四十代の女性だった。ある朝、俺が先ほどのカップの話を軽い雑談として持ち出すと、彼女は少し眉をひそめた。

「実は私も同じようなことがあって」と、彼女は声を落とした。「棚に並べたファイルが、翌朝になると一冊だけ抜き出されて床に落ちてるんですよね。もう三回くらい」

俺たちはそのとき、清掃業者か、夜間に何かの作業で入っている業者がいるのかと話し合った。でも所長に確認すると、夜間に建物に入れる業者は週一回の清掃会社だけで、その曜日はちゃんと決まっているということだった。

その話を聞いたとき、初めて防犯カメラのことを思い出した。事務所の入り口と、倉庫の二箇所にカメラが設置されていて、映像は二週間分が自動で上書きされる仕組みになっている。確認してみようと所長に提案すると、所長も「じゃあ見てみるか」と、あっさり同意してくれた。

映像の確認は所長と俺の二人でやった。怪しい曜日を絞り込んで、深夜の時間帯を中心に早送りしながら見ていく。最初の一時間は何も起きなかった。白黒の、少し画質の粗い映像の中で、事務所はただ静かに存在していた。

午前二時を少し過ぎたあたりで、所長が「あっ」と小さな声を出した。

画面の端に、人影があった。

事務所の奥のほう、棚の並んでいるあたりに、誰かが立っているのがはっきりと見えた。背格好からすると成人男性のようだった。カメラの角度の関係で顔は映っていなかったが、ゆっくりと棚に手を伸ばして、一冊のファイルを引き出しているのが見えた。

「不審者か」と所長がつぶやいた。でも、おかしかった。どのドアにも施錠の跡がなく、警備システムのログにも反応がなかった。外から侵入した形跡がどこにもないのに、建物の中に人間がいた。

俺たちはそのまま他の日の映像も確認した。すると、同じ時間帯に同じ影が映っている日が、何日もあることがわかった。毎日ではない。でも週に二、三度、必ず午前二時台に現れていた。

警察には一応連絡したが、「鍵の管理を見直して、様子を見てください」という対応で、その場で動いてもらえることはなかった。所長が鍵を全部交換して、警備会社のプランも見直した。それで少し状況が落ち着くかと思ったのだが、その後も映像には変化がなかった。

影は相変わらず、週に二、三度現れた。

俺が本当に気味悪くなったのは、その後に気づいたことのせいだ。映像を遡って確認していたある日、柴田さんがふと言った。「この人、去年の映像にも映ってませんか」。

俺たちは保存してあった古い映像データを引っ張り出した。会社では定期的に映像をバックアップしているらしく、数年分が外付けのドライブに保存されていた。確認してみると、一年前の映像にも、同じ時間帯に同じような影が映り込んでいた。二年前のデータにも、あった。

三年前、つまり俺が入社するより前のデータまで遡ったとき、俺は少し息が止まる感じがした。そこにも、同じ影がいた。建物の奥のあたりに、静かに立っていた。

柴田さんが「五年前のデータもあります」と言って、フォルダを開いた。

あった。

俺たちはしばらく、無言で画面を見ていた。

影の輪郭は、どの年のデータもほとんど変わらなかった。体型も、動き方も、そこに立っているときの姿勢も、ほぼ同じだった。何年も前から、あの場所に同じ何かがいた。いや、正確に言えば、俺たちがそれに気づいていなかっただけで、ずっといたということになる。

柴田さんが「私がここに入ったのは十二年前なんですよ」とぽつりと言った。「でも私が来たときからこのカメラは設置してあって、映像も記録されてたはずで」。

彼女は言葉を途中で止めた。俺も、続きは聞きたくなかった。

その後、会社では有志で建物の歴史を調べることになった。主に柴田さんが動いてくれたのだが、わかったことはいくつかあった。この建物が建てられたのは三十年以上前で、その前の土地は農地として使われていたらしい。工業団地の造成工事の際に、土地の一部で何かが出たという話が地元に残っているらしいのだが、具体的に何が、というところまでは誰も知らなかった。「なんか昔に骨が出たって話が親の代に聞いたことある」と、地元出身の倉庫担当の若い子が教えてくれたが、それ以上のことはわからなかった。

俺が最後に気になったのは、映像の中の影の動きだった。最初は棚のファイルを触ったり、デスクの周りをうろついたりしているように見えていたのだが、何度も繰り返し映像を見るうちに、少し違う印象を持つようになった。

影は、何かを探しているというよりも、ただそこにいる、というような感じがした。特定の目的のために動いているわけではなく、昔そこにいたときと同じようにそこにいる、という。あの倉庫と事務所の空間で、もうそこには存在しないはずの何かが、でも確かに毎晩やってきて、自分がいた場所を歩いている。

退職が決まる少し前、最後に映像を確認したとき、影はやはりいつもの時間にいた。棚の前に立って、少しの間そこにいて、それからゆっくり画面の端に消えていった。

俺はその映像を静止させて、しばらく見ていた。

何年も前から、あそこにいる。誰にも気づかれずに。気づかれていても、どうにもならなかったとしても、それでもあそこに戻り続けている。

今はもうあの会社にいないから、確かめる方法がない。でも正直に言えば、今でもあの影がどういう存在だったのか、ちゃんとわかっていない。不審者だという気は、もうしていない。ただ、答えを出してしまうのが少し怖い、という感覚が残っている。

たまに夢を見る。暗い事務所の中に、白黒の景色が広がっていて、棚の前に誰かが立っている夢だ。その人影は俺のほうは向いていない。ただ静かに、そこにいる。

そういう夢を見るたびに思う。あの影は今夜も、あの場所に立っているんだろうか、と。

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