祖母は毎朝、玄関脇の何もない壁の角に向かって「おはようございます」と頭を下げていた。幼い頃から当たり前に見ていたその光景の意味を、私が知ったのは祖母が逝って半年後のことだった。
祖母の家は、山間の小さな町の外れにあった。県境に近い、もう名前を覚えている人間の方が少ないような集落で、バスは一日に三本しか来なかった。私が小学校に上がる前から毎年夏に預けられていたから、あの家のことはそれなりに覚えている。縁側から見える畑のこと、夕方になると湿った風が吹いてくること、それから、祖母が毎朝繰り返していたあの行動のこと。
祖母は起き抜けに必ず、玄関の脇にある壁の角に向かって挨拶をしていた。
「おはようございます」と言って、丁寧に頭を下げる。それだけだ。特別な台詞もなく、何かを手向けるわけでもなく、ただ深々と一礼して、それが済んだら台所に向かってお茶を沸かす。毎日、例外なく。
子供の頃の私はそれをまったく不思議に思っていなかった。仏壇に手を合わせるのと同じような感覚だと思っていたし、大人にはそういう決まり事があるものだと信じていた。一度だけ「誰に挨拶してるの」と聞いたことがある。祖母はちょっと考えてから「おうちの神様みたいなもんやよ」と言って、それ以上は教えてくれなかった。私も深く追わなかった。子供というのは、疑問が答えられなかった瞬間にすぐ別のことに興味が移る。
祖母が亡くなったのは、私が二十八になった年の冬だった。肺の病気で、最後の三ヶ月は入院していた。享年八十一。長生きだったと思う。葬儀を済ませ、四十九日が終わり、夏が来る前に家財の整理をしようということになって、私は一人であの家に泊まりに行った。母は仕事が抜けられなかったし、父は早くに他界していたから、孫の中では私が一番あの家に慣れているというだけの理由だった。
久しぶりに来た祖母の家は、思ったより小さかった。子供の頃はあんなに広く見えたのに。廊下の板が一枚軋む場所があって、そこを踏むと低く鳴る音が、昔とまったく変わっていないことに妙に胸を突かれた。
初日は荷物の仕分けから始めた。箪笥の中の着物、奥にしまい込まれた古い食器、押し入れの隅で眠っていた写真のアルバム。それらを確認しながら、必要なものと処分するものとを分けていく作業は、思ったよりずっと時間がかかった。夕方になる頃にはもう疲れていて、近くのコンビニで買ってきたおにぎりを食べて、祖母が使っていた部屋に布団を敷いて横になった。
夜中に目が覚めたのは、音がしたからだ。
最初はよくわからなかった。家が古いから、どこかが鳴っているのかと思った。でも耳を澄ますと、玄関の方から、何かの気配がした。気配、というのが正確かどうかわからないけど、空気が動いているような、誰かがそこにいるような、そういう感覚だった。私は布団の中で息を潜めてしばらく待ったけれど、特に何も起こらなかった。家鳴りというやつだろうと自分を納得させて、また眠った。
翌朝、顔を洗って台所に向かおうとしたとき、ふと足が止まった。
玄関の脇の壁の角に、目が行ったのだ。
祖母がいつも挨拶していた、あの場所。
何もない。ただの壁と壁が交わる角。でも、なぜかそこだけ空気が違う気がした。視線が吸い寄せられるというか、そこから目を離しにくい感じがあった。気のせいだと思って台所に行こうとしたら、足の裏が何かにひっかかった。見ると、床板のところに細い紐のようなものが落ちていた。拾ってみると、それは藁を編んだような、古い縄だった。五センチほどの長さで、端が結んであった。祖母が使っていたものだろうか。でも何のためのものかがわからなくて、とりあえずテーブルの上に置いた。
その日の作業中に、押し入れの奥から木箱が出てきた。
蓋に何も書いていない、古い木の箱。鍵はかかっていなかった。開けると、中にはいくつかのものが入っていた。折り畳まれた紙、それからあの藁縄と同じようなものが数本。紙を広げてみたら、文字が書いてあった。祖母の筆跡ではなかった。もっと古い、崩れた字で、何が書いてあるのか私には読めなかった。ただ、一ヶ所だけ「毎朝かならず」という言葉が読めた気がして、私は少し動けなくなった。
地元の知り合いに電話してみた。祖母と同世代の、農協に長く勤めていたという老人で、昔から集落の事情を知っている人だった。私が木箱のことを話すと、電話越しに少し間があった。
「ああ、お祖母さん、続けてたんやね」
何をですか、と聞くと、老人は少し言い淀んでから話してくれた。
あの家が建てられたのは今から百年近く前のことで、土地の区画を整理するときに、もともとそこにあった小さな祠を潰してしまったのだという。その後、家を建てた曾祖父の代から、よくないことが続いた。病気、事故、早死。詳しい話は覚えていないが、当時の集落の古老が「何かを怒らせた」と言って、毎朝その場所に挨拶をするよう言い伝えたのだという。怒らせたものを、家に居続けてもらうために。追い払うのではなく、なだめながら一緒に住む、という考え方だったらしい。
「お祖母さんは若い頃から毎日続けてた。一日も欠かさんかったって聞いとるよ」
電話を切ってから、私はしばらくその場に立ったまま動けなかった。
祠を潰した、という言葉が頭の中でぐるぐる回っていた。それから、毎朝欠かさず挨拶をしていた祖母の後ろ姿が浮かんだ。あの丁寧な一礼。台詞もなく、捧げものもなく、ただ頭を下げるだけの行為。子供の目には「おうちの神様」への挨拶に見えていたけれど、実際はずっと何か別のものに向けて、続けられていた儀式だったということになる。
そして祖母はもう、いない。
半年間、誰もあの角に挨拶をしていない。
その夜、また夜中に目が覚めた。
今度は音ではなかった。目が覚めた、というより、ふと意識が浮き上がってきた感じで、気づいたら暗い天井を見つめていた。静かだった。でも、静かすぎた。布団の中で息を整えながら、私はどうしても玄関の方向が気になって仕方がなかった。見に行く気にはなれなかった。どうしても、なれなかった。
翌朝、起きてから荷物をまとめて帰る準備をした。もう一泊する予定だったけれど、やめにした。整理しきれなかったものは、また後日来るか、業者に頼むかすればいい。そう決めた。
玄関で靴を履くとき、ふとあの角を見た。
何もなかった。ただの壁の角だ。でも私はそこに向かって、一度だけ、深く頭を下げた。なぜそうしたのか、うまく言えない。習慣でも信仰でもなく、ただそうしなければいけない気がした。
頭を上げて、扉を開けて外に出た。
車に乗って走り出してから気づいたことがある。あの木箱の中にあった藁縄、テーブルの上に置いてきた一本と合わせて、全部で何本あったか数えたことがなかった。
後になって、お礼の電話を入れた老人から聞いた話では、あの縄は祠があった頃から伝わるもので、一本が「一年分」の区切りだという意味があると、昔の人は言っていたそうだ。
箱の中に何本入っていたか、私は確認しなかった。確認しておけばよかったのか、しなくてよかったのか、今でもわからない。
ただ、あの家は今も空き家のまま残っている。
誰も、毎朝挨拶をしに行っていない。


コメント