深夜、誰もいないはずのオフィスに繰り返し映る人影。最初は機械の誤作動だと思っていたが、映像を見るたびに、その人影は少しずつ「こちらに近づいていた」。
去年の秋ごろの話だ。
俺はとある県境に近い中小の物流会社に勤めていて、その会社の庶務を担当していた。仕事の内容は雑多で、備品の管理や来客対応のほか、社内のシステム周りの簡単なトラブル対応なども受け持っていた。専門の知識があったわけじゃない。ただ、他の社員よりもパソコンに慣れていたというだけで、自然とそういう役回りになっていた。
その年の九月に、会社が防犯カメラシステムを新しくした。それまでは入口と駐車場だけに古い据え置きカメラが一台ずつあるだけだったが、リース会社との契約で、社内の主要な箇所、エントランス、廊下、事務所内、倉庫の入口、合計六か所にカメラを設置することになった。映像はクラウドに自動で保存される仕組みで、スマートフォンからでも確認できるというものだった。
その設定作業を任されたのが俺で、業者の人間に説明を受けながら一日がかりでセットアップをした。動作確認も済ませ、問題なく稼働していることを確かめて、その日は帰宅した。そこまでは何もなかった。ただの業務だった。
異変に気づいたのは、設置から一週間ほど経った頃だ。
きっかけは些細なことだった。社内でスマートフォンを紛失した社員がいて、防犯カメラの映像を確認することで最後に手に取った場所を特定できないかという話になった。俺が管理権限を持っていたので、過去の映像を遡って確認することになった。
問題の日時はその前日の夕方から夜にかけてだったので、事務所のカメラ映像を再生しながら確認していた。お目当てのシーンは早々に見つかった。社員が自分の席でスマートフォンを置き忘れて帰ったことが映像で確認でき、それで話は終わった。
だが、その映像を早送りで流していた時に、ふと画面が気になった。
午前一時を過ぎたあたりの映像だった。当然、社内には誰もいない。照明は節電のためにほとんど落ちていて、非常灯だけが薄く点っている。その薄暗い事務所の映像を流していたとき、画面の端に何かが映った。
一瞬だったので、最初は見間違いだと思った。早送りを止めて、通常速度に戻して、その部分を再生した。
事務所の奥、廊下に続くドアの前あたりに、人の形をしたものが立っていた。
輪郭がぼんやりしていて、はっきりとは見えない。だが、それが人間の形をしていることは分かった。背丈からすると大人の男性か、もしくはそれに近いサイズに見えた。数秒間そこに立ったあと、スッと消えるように見えなくなった。映像はそのまま何事もなかったように続いた。
俺はしばらく固まっていた。それから自分なりに考えた。カメラの映像にゴーストが出ることはある。光の反射や、映像の圧縮処理の乱れで、人影のように見える形が生じることはあると聞いたことがあった。セットアップしてまだ日が浅いし、調整が不完全な部分があったのかもしれない。そう結論づけて、その日はそのままにしておいた。
だが数日後、俺はまた映像を確認する機会があった。今度は俺自身が前日に会社に忘れ物をしてきたことに気づき、鍵を持っているのが俺だったので取りに行く前に、念のため映像で確認しようとしたのだ。
その夜の映像を再生したとき、また見えた。
今度は早送りではなく、最初から通常速度で見ていた。午前二時十数分のことだった。またあの廊下との境目あたりに、人影が立っていた。前回よりも少しだけはっきりしているように見えた。それでも輪郭はぼやけていて、顔の判別はできない。立ち位置が、前回よりも事務所の内側、つまりカメラに近い側にあるような気がした。
俺はその映像を録画して保存した。それから業者に問い合わせのメールを送った。「映像にノイズのようなものが映る場合があるか」と。返信が来たのは翌日で、「稀に映像圧縮の処理上、形が出ることがあります。設定の見直しで改善できる場合があります」という内容だった。
担当者に来てもらって設定を確認してもらった。特に問題はないという話だったが、一部のパラメータを調整してもらった。それで解決するだろうと、そのときは思っていた。
しかしそれからも、映像には人影が映り続けた。
俺は習慣的に、毎朝出社前にその日の深夜帯の映像を五分ほど確認するようになっていた。最初は確認のためだったが、気がつけばそれが日課になっていた。
一週間後。人影の立ち位置が、またカメラに近いところになっていた。
前回が廊下口から三メートルほど内側だとすれば、今回は五メートルを超えているように見えた。事務所のほぼ中央あたり、島型に配置されたデスクの列と列の間の通路に立っている。
俺は定規を持って出社し、カメラの位置から各デスクの列までの距離を測った。映像と見比べながら位置を推定すると、人影が立っているのはちょうど第二デスク列と第三デスク列の間の通路、カメラからおよそ五・五メートルの地点だと見当をつけた。
そこに何かあるかと思って確認したが、特別なものは何もなかった。
俺はその週のうちに、過去の映像を全件洗い直した。カメラが設置されてからの三週間分、毎晩の深夜帯映像を全部確認した。作業に丸一日かかった。
人影が最初に映っていたのは設置初日の深夜だった。俺がセットアップを終えて帰った、その夜から。
位置は毎回少しずつ違った。並べて見ると、ゆっくりと、しかし確実にカメラの方向へ近づいていた。歩いているわけではない。毎晩、立っている位置が少し変わっている、というだけだ。一晩に移動する距離は数十センチから一メートル程度だったが、三週間積み上げると、最初の位置からかなりの距離を詰めていた。
俺は最初に映っていた立ち位置と最新の立ち位置を確認した。最初は廊下口のすぐ脇、カメラから十数メートル離れた場所だった。最新のものはカメラから四メートルを切っていた。
カメラから四メートル。事務所の入口近く、受付カウンターの裏あたりに相当する。
俺はその夜、スマートフォンでライブ映像を確認した。深夜一時を過ぎたころ、事務所のカメラ映像をリアルタイムで見た。
しばらく何もなかった。薄暗い事務所が静かに映されているだけだった。
午前一時二十分ごろ、映像の中に人影が現れた。
受付カウンターの前に、ぼんやりとした人の形が立っていた。
俺は画面を見ながら、喉の奥が詰まるような感覚を覚えた。映像はクリアではなく、やはり輪郭はぼんやりとしている。だが今までで一番カメラに近い位置にいることははっきりと分かった。ライブ映像なので、時間の経過と共にじっと見ていた。人影は動かなかった。二分ほどそのまま立っていて、それから消えた。
翌朝出社して、受付カウンター周辺を確認した。変わったことは何もなかった。床に傷があるわけでも、においがするわけでも、温度が違うわけでもなかった。ただ、カウンターの上に置いてある来訪者記録用のボールペンが、一本だけキャップが外れた状態で置かれていた。
俺がキャップを閉めたかどうか、前日のことを思い出そうとしたが、記憶がなかった。外したのかもしれないし、外していないかもしれない。
その日から俺は映像の確認をやめた。やめたというより、確認する気が起きなくなった。
映像は今も保存され続けているはずだ。クラウドストレージには直近三十日分が自動で蓄積されている。俺のアカウントからいつでも見られる。
ただ、あの映像が今どこまで来ているかを確認する気には、まだなれていない。
カメラは事務所の入口付近、ちょうど受付カウンターの真上に設置されている。そこから事務所全体を見渡す画角になっている。人影がもし毎晩同じペースで近づいているとすれば、今頃はカメラのほぼ真下あたりに立っていることになる計算だ。
カメラの画角には死角がある。真下がそれだ。
つまり今の時点では、もう映像には映らない。
それだけが、俺が考えないようにしていることだ。


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