実家の廊下に刻まれた身長測定の傷跡。家族の誰も覚えていない高さに、見知らぬ刻み傷が増え続けていた。誰が、いつ、何のために刻んでいたのか――答えは最後まで出ない。
実家の廊下に、柱がある。
玄関を上がってすぐ右手、昔ながらの木造建築によくある、四角い太さの柱だ。うちの家族はそこに子どもたちの身長を刻む習慣があって、小学校の入学前後と、誕生日が近い時期になると、父が鉛筆で線を引いて、小刀で薄く削って残していた。俺と、二つ下の妹と、五つ下の弟の三人分。名前のイニシャルと年号も一緒に彫ってあるから、眺めればおおよそ誰のいつの傷かがわかるようになっていた。
その柱を最後にちゃんと見たのがいつだったか、思い出せない。
俺は今、県境の近くにある小さな町で一人暮らしをしている。実家からは電車と在来線を乗り継いで二時間半ほどかかる距離で、盆と正月に帰るのが習慣になっていた。去年の秋、父が軽い手術をしたのをきっかけに、久しぶりに季節外れの帰省をした。それが、この話の始まりだ。
退院した父は思ったよりも元気で、縁側でぬるいお茶を飲みながら近所の話を延々としていた。母も妹も弟も、その日は揃って実家にいた。夕飯のあと、妹が洗い物をして、弟がテレビをつけて、父がうとうとして、そういう間延びした時間の中で、俺はなんとなく廊下に出た。
トイレのついでだった。用を足して、戻りながらふと、例の柱を見た。
電球が一つしかない薄暗い廊下で、目を細めて傷を数えた。子どもの頃から見慣れたはずの傷が、なんとなく多い気がした。気のせいかと思ったが、しゃがんでよく見ると、見慣れないものが混ざっていた。
俺のイニシャルでも、妹のでも、弟のでもない傷が、一本あった。
高さは床から大体百二十センチくらい。子どもの背丈でいえば小学校低学年ほど。傍に何も書いていない。ただ、横一線に、他の傷と同じような深さで削られていた。
最初は父が何かの目印にでも使ったのかと思った。しかし傷の様子が妙で、明らかに生活の傷や経年の割れとは違う、意図して刻まれた跡だった。
その夜、食後に居間で父に聞いた。
「廊下の柱さ、誰かの身長じゃない傷があるんだけど、何かで使った?」
父はしばらく首をひねって、「どれだ」と言って立ち上がった。柱の前に立って、俺が指差した傷を見て、「ああ、これか」と言った。でも続きが出てこなかった。
「誰のだ?」と俺が聞くと、「さあな」と父は言った。「俺が刻んだ覚えはないな。いつからあった?」
それで母も呼んで、妹も弟も来て、みんなで柱を囲んだ。誰も、その傷に覚えがなかった。
「近所の子を測ってあげたんじゃないの」と妹が言い、「でも名前も年号も書かないの変じゃない」と弟が返した。そのまま特に結論も出ずに、みんなリビングに戻って、その夜の話題はそれで終わった。
俺もその夜は深く考えなかった。古い家だし、誰かが何かのついでに刻んだのかもしれない。そう思って眠った。
問題は、三ヶ月後に再び帰省したときのことだ。
年末だった。いつも通り父が車で駅まで迎えに来て、実家に入って、廊下を通ったとき、俺はほとんど反射的に柱を見た。
傷が、また増えていた。
今度は二本。一本は前回と同じ高さ、もう一本はそれより数センチ高いところに、やはり何も書かれていない横線が刻まれていた。
足が止まった。じっとその傷を見つめて、指でなぞった。新しい傷だとは言い切れない。古い傷と同じくらいの深さで、色も変わっていない。でも三ヶ月前には確かに一本しかなかった。俺は自分の記憶を疑ったが、何度思い返しても、一本だったという確信がある。
その日は年末で家が賑やかで、俺はすぐには誰にも言えなかった。翌朝、父が庭に出ているタイミングを見計らって、一緒に柱を見た。父は眼鏡をかけ直して、しばらく傷を見ていた。
「増えてるか?」
「増えてると思う。俺の勘違いかもしれないけど」
父は何も言わなかった。ただ、傷のあたりを手のひらで軽く押さえて、それから何も言わずに庭に戻っていった。
俺はそれが少し怖かった。否定しなかったことが。
その夜、弟と二人で酒を飲みながら、去年の秋の話をした。弟は「そういえばあの傷、なんだったんだろうな」とさらっと言って、「また見てみるか」と立ち上がった。廊下に行って、スマホのライトで照らして、傷の数を数えた。
「これ、二本じゃないか?前は一本だったよな?」
「そう思う」
弟はしばらく傷を見ていて、「高くなってる」とぽつりと言った。
「え?」
「一本は前と同じ高さだけど、もう一本は前のより高い。成長してんじゃないの」
冗談のような言い方だったけど、声が少し低かった。
俺たちはその夜、父の古いアルバムを引っ張り出した。実家には子どもの頃の写真が段ボール箱にぎっしりあって、廊下で身長を測っているものもいくつかあった。父が俺たちを柱の前に立たせて、母がシャッターを押している写真。俺と妹と弟の三人が並んでいる写真。
その写真を全部見たが、柱の傷は確かに三人分しか写っていなかった。それに、今ある原因不明の傷の位置に誰かが立っているような写真もなかった。
妙なのは、その後だ。
俺は年始けに一度、用事があって実家に電話した。母が出て、しばらく近況を話していたとき、ふと柱の話を出した。「あの傷さ、またよく見ておいてほしいんだけど」と言ったら、母は少し間を置いて「どの傷?」と聞いた。
「廊下の柱の、名前が書いてない傷」
「ああ」と母は言った。「そういえば、小さいとき、誰かを連れてきたことなかったっけ」
「え、誰を?」
「あなたじゃなくて……誰だったかしら。お友達か、従兄弟か……」
「そんな親戚、うちにいたっけ?」
「いなかったかしら。ごめんね、思い出せない」
それっきり、母はその話題を変えた。後から思えば、変えたというより、自分でも何を思い出しかけたのか分からなくなったような様子だった。
春になって、また一度だけ実家に帰った。今年のことだ。
玄関を入って、まず柱を見た。習慣になってしまっていた。
傷は、また増えていた。
今度は三本。前の二本より高い位置に、新しい一本が加わっていた。床から測ると、百三十センチ強くらい。子どもで言えば、小学校の中学年くらいの背丈だ。
俺は長い時間、その傷の前にしゃがんでいた。
何かが育っているみたいだと思った。
その言葉が浮かんで、自分で少し驚いた。でも、それ以外の表現が思いつかなかった。刻み傷が、一本ずつ、少しずつ高いところに増えていく。まるで、誰かが定期的にここに立って、自分の背丈を測っているような。
父に聞いた。「春に誰か来た?」
父は首を振った。「正月以来、誰も来てないぞ」
「柱の傷、また増えてるんだけど」
父は廊下に来て、傷を見た。眼鏡を外して、近づいて、指でなぞった。そして眼鏡をかけ直して、俺を見た。
「お前、何か変なもの連れてきてないか」
笑って言ったのか、本気で言ったのか、俺には判断できなかった。父はそれだけ言って居間に戻ってしまって、俺はしばらく廊下に立っていた。
帰る前、ひとりで柱の前に立って、スマホで写真を撮った。三本の傷と、俺たち家族の傷が一緒に収まる角度で。画像を確認して、拡大して、もう一度見た。
俺たちの傷には全部、名前と年号が彫られている。でも原因不明の三本には何もない。ただ横に削られているだけ。
ひとつ気になったことがあった。今さらだけど、三本の傷の間隔を見たとき、それが等間隔に近いことに気づいた。一年に一本、あるいはそれに近いペースで刻まれているとしたら、間隔的には合う。
俺が最初にあの傷を見つけたのが去年の秋だ。でも、最初の一本がいつから柱にあったのかは、誰にもわからない。
実家はもう三十年以上になる建物で、その前に別の家族が土地を使っていたかどうかも、俺は知らない。父に聞いたことがなかった。今回の帰省では、なぜかそれを聞きそびれた。
次に帰るのは盆の予定だ。
柱を見るのが、少し怖い。怖いというより、正確には、何本になっているかを数えるのが怖い。一本増えているのか、変わらないのか。それとも、ある日突然ぱたりと増えなくなるのか。
ぱたりと止まったとき、何を意味するのかを考えると、もっと怖い。
なんとなく、廊下の電球を替えておいてほしいと母に頼んだ。明るくしておいた方がいいような気がして。理由は言わなかった。母は「切れてたっけ?」と首をかしげていた。
切れてはいない。ただ、暗い廊下で誰かが静かに柱に背中をつけているところを想像すると、もう少し明るい方がいいと思った。
なぜそんな想像をしたのか、自分でもよくわからない。


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