祖父母の家には、子どもの頃から絶対に開けてはいけない部屋があった。理由を聞いても誰も答えてくれなかったその部屋の扉が、祖父の葬儀の夜、少しだけ開いていた。
祖父母の家には、子どもの頃からずっと開かずの間があった。
場所は、山のほうへ向かう県境の町の、古い集落の奥にある一軒家だ。祖父が若い頃に建てたという平屋で、畳の廊下がきしんで、縁側から見える庭には手入れのされていない柿の木が一本立っていた。夏休みになると毎年母に連れられて遊びに行っていたから、その家の間取りはほとんど体で覚えている。
玄関を入ってすぐの廊下を右に曲がると、居間がある。居間の奥に台所と祖母の寝室があって、廊下を逆の左へ曲がると、トイレと、祖父の書斎と、それからもう一つ、ドアがある。
そのドアだけが、他の部屋と違っていた。
木の引き戸ではなく、洋風の板張りのドアで、取っ手が錆びた金属製だった。祖父が建てたときから、その部屋だけなぜかドアが違う。子どもの頃にそれが不思議で、一度だけ祖母に聞いたことがある。「あそこは何の部屋なの」と。
祖母は少し間を置いてから、「物置よ」とだけ言った。それ以上は何も言わなかったし、私もそれ以上は聞かなかった。子どもというのは、大人が話を打ち切ったときの空気を、なんとなく読み取るものだ。
それからも毎年夏に行くたびに、そのドアは必ず閉まっていた。鍵がかかっているのかどうかも分からなかった。触れたことが一度もなかったから。ただ、廊下を通るたびにそこだけ空気がひんやりしている気がして、なんとなく早足で通り過ぎていた。
中学に上がった頃から、夏休みの帰省は少しずつ頻度が落ちていった。部活だとか、友達との予定だとか、そういう理由で、気づけば高校の三年間はほとんど行っていなかった。祖父母に会うのも、お正月に顔を出すだけになっていた。
祖父が倒れたという連絡が来たのは、私が社会人になって二年目の秋のことだった。脳梗塞で、一命は取りとめたけれど、そのまま病院での生活が続いた。祖母が毎日見舞いに行き、母も月に何度かは県境の町まで通っていた。私は仕事を理由に、あまり足を運べなかった。それが今でも少し、引っかかっている。
祖父が亡くなったのは、翌年の春が終わる頃だった。静かな最後だったと母から聞いた。葬儀は祖父母の家で行われることになって、私は久しぶりにあの家へ向かった。
家に着いたのは通夜の前日の夕方で、手伝いのために早めに来た親戚が何人かすでにいた。台所では祖母と母が料理の準備をしていて、居間には座布団が並べられていた。祖父の遺影は書斎で撮られた写真が使われていた。眼鏡をかけて、少し微笑んでいる写真だ。
久しぶりに来た家は、記憶よりも少し小さく感じた。でも廊下のきしみも、柿の木の位置も、縁側の手すりの感触も、何もかも変わっていなかった。
そして、あのドアも。
廊下の突き当たり、錆びた金属の取っ手。相変わらず閉まっていた。変わったところが一つもなくて、私はなんとなく安心した。安心、というのは変な表現かもしれないけれど、その頃の自分にはそう感じられた。
通夜の夜は、親戚の何人かが泊まっていった。私も泊まることにして、祖母の寝室の隣に布団を敷いた。夜が深くなって、家の中が静かになってから、私はなかなか眠れなかった。
祖父が死んだという事実が、じわじわと実感として染み込んできていた。病院に足を運べなかったこと、最後に会ったのがいつだったか思い出せないこと、そういうことが頭の中をぐるぐると回っていた。
廊下がきしむ音が聞こえた。
誰かがトイレに行くのかと思った。でも音はトイレの方向ではなく、廊下の奥の方で止まった。気のせいかと思って目を閉じたけれど、今度は別の音が聞こえた気がした。
木が、ゆっくりと動くような音。
引き戸じゃなくて、板張りのドアが。
私は布団の中で息を止めた。気のせいだと思いたかった。古い家だから、夜になると木が収縮して音が出る。そういうことはある。そう自分に言い聞かせていたけれど、音は二度、三度と続いた。
起き上がって確認しに行こうか、と思った。でも体が動かなかった。正確に言えば、動かせなかったわけじゃなくて、廊下の奥を見てしまうことへの恐怖が先に来た、という感じだった。
結局そのまま朝になった。朝になってしまえば、夜の恐怖というのは不思議なほど薄れる。台所で祖母がお茶を入れていて、親戚の誰かが新聞を広げていた。私はそれだけで少し安心して、昨夜の音のことはほとんど忘れかけていた。
でも、廊下を通ったときに気づいた。
あのドアが、数センチだけ開いていた。
取っ手を誰かが引いたのかもしれない。あるいは、夜のうちに誰かが中に入ったのかもしれない。そう考えようとしたけれど、朝食の席で親戚たちの顔を見渡しても、何か用事があって廊下の奥まで行ったような気配は、誰からも感じられなかった。
午後になって、葬儀の準備の合間に、私は祖母に聞いた。前から気になっていたことを、やっと聞けた。「おばあちゃん、廊下の奥の部屋さ、あれって何の部屋なの」と。
祖母は少し黙った。昔聞いたときと同じような、少しだけ間を置く沈黙だった。
「物置よ」
また同じ答えだった。でも今度は、それだけじゃなかった。
「おじいさんが、そこだけは誰にも開けさせなかったの」
それだけ言って、祖母は話を終わらせた。台所の方へ戻っていく背中を見ながら、私は廊下の奥のドアのことを思い出していた。
葬儀が終わって家に戻った後、私はずっとそのことが頭から離れなかった。物置、というのが本当なら、なぜ祖父は誰にも開けさせなかったのか。物置であれば、祖母くらいは入っていてもおかしくない。でも祖母の言い方は、まるで祖父以外は誰も入らなかった、というように聞こえた。
それから数週間後、祖母から母に電話があった。家の片付けを手伝ってほしいということで、私も一緒についていった。
廊下の奥のドアは、その日も閉まっていた。
片付けが一段落したところで、私は意を決して祖母に言った。「あの部屋、片付けなくていいの」と。
祖母はしばらく私の顔を見てから、静かに首を振った。
「あそこは、そのままにしておく」
理由は言わなかった。
「でも、何が入ってるの。物置なら片付けないと」
「物置よ」
また同じ言葉。でも今度は、続きがあった。
「昔ね、あの部屋だけは、おじいさんに触らせてもらえなかったの。私も中に何が入っているか、知らないのよ」
その言葉が、ひっかかった。
祖父が建てた家だ。祖父が若い頃に建てたという家で、祖母はずっとそこに住んでいた。何十年も一緒に暮らした家に、妻である祖母が中を知らない部屋がある。それが普通のことには、どうしても思えなかった。
「一度も入ったことないの」と聞くと、祖母は少し考えてから言った。
「一度だけ、のぞいたことがある」
「何があったの」
「押し入れがあって、荷物が積んであった。それだけ」
「それだけ?」
「それだけよ」
でも祖母の表情が、「それだけ」という言葉とどこかかみ合っていなかった。その話をするときだけ、祖母の目が少しだけ、どこか遠い場所を見ているような気がした。
私はその日、帰りの車の中でずっとそのことを考えていた。母に話すと、「おじいちゃんには色々あったんじゃないの」とだけ言って、それ以上は踏み込まなかった。母も知らないのか、あるいは知っていて話したくないのか、そのどちらかだと思った。
その後、祖母の家には何度か行った。でも、あのドアを開けることは、私にはできなかった。開けようとしたことが一度だけある。夜でも昼でもなく、夕方の、日が傾いて廊下が少し暗くなった時間帯だった。取っ手に手をかけて、引こうとした。
引けなかった。
鍵がかかっていたのかもしれない。でも正直なところ、力を入れたかどうかも、よく覚えていない。取っ手に触れた瞬間に、自分でも理由のわからないまま、手を離してしまっていた。
その冬に祖母が施設に入ることになって、家は空き家になった。売るかどうかは、親族でまだ話し合っている。その話し合いの中で一度だけ、「あの奥の部屋のことはどうする」という話題が出た。でも誰も、それ以上何も言わなかった。
今でもあの家は、県境の町の山寄りの集落に、そのままある。柿の木が庭に一本あって、縁側から見える。そして廊下の奥には、板張りのドアが一つ、閉まったままある。
中に何があるか、誰も知らない。
祖母は「荷物が積んであった」と言った。祖父は一度も誰にも開けさせなかった。そして通夜の夜、何かの音がして、朝にはドアが数センチだけ開いていた。
それが何を意味するのか、私には分からない。
分からないまま、今も時々あの廊下のことを思い出す。取っ手に触れた瞬間の感触と、手を離してしまったときのことを。
あのとき開けていたら、何か分かったのだろうか。それとも、開けなくて、よかったのだろうか。


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