祖母の家の仏壇に、帰省のたびに増えていく見知らぬ人の遺影。誰の写真なのかを祖母に尋ねるたび、返ってくる答えが少しずつ変わっていた。
祖母の家に初めて違和感を覚えたのは、たしか私が二十四か二十五の頃だったと思う。就職して二年目か三年目、お盆の帰省のことだ。
祖母の家は、山あいの県境に近い小さな町にある。最寄りの駅からバスで三十分ほど揺られ、そこからまた徒歩で十分ほど歩く。子どもの頃から毎年夏になると泊まりに来ていた場所で、縁側から見える裏山の形も、廊下の軋む音も、台所に漂う出汁の匂いも、全部なじみ深かった。祖父は私が小学生のうちに亡くなっていて、祖母はずっと一人暮らしをしていた。足腰はまだしっかりしていたし、近所に顔見知りも多いからと、施設への入居もずっと断っていた。
その年の帰省は、母と二人で行った。バスを降りてから祖母の家まで歩く道すがら、母が「去年より草が増えたね」と言っていたのを覚えている。門を入って玄関で声をかけると、奥からゆっくりとした足音がして、祖母が顔を出した。相変わらず背筋がしゃんとしていて、私は少し安心した。
仏壇のある部屋に通されて、お線香を上げる。それがいつもの流れだった。祖母の家の仏壇は、廊下の突き当たりにある和室に置かれている。昔からそこにあって、祖父の写真や、もっと古い先祖の位牌が並んでいる。子どもの頃は少し怖くて、その部屋に一人で入るのが苦手だった。
その日、仏壇の前に座って手を合わせたとき、ふと気になった。祖父の遺影の左隣に、見慣れない額縁が置いてあったのだ。白黒の、年配の女性の写真だった。縁のない丸眼鏡をかけて、少し口元を引き結んだような表情をしている。
「おばあちゃん、この写真、誰?」と私は聞いた。
「ああ、近所のさっちゃんよ」と祖母はあっさり言った。「去年の暮れに亡くなったから、手を合わせてあげてるの」
なるほど、と思った。祖母らしいというか、ご近所の方を自宅の仏壇で供養するというのも、田舎の年寄りらしい行いに思えた。私はそれ以上気にしなかった。
翌年のお盆にも、私は一人で祖母の家を訪ねた。母はその年、仕事の都合で来られなかった。仏壇に線香を上げようと和室に入ったとき、また気になった。今度は、さっちゃんの写真のさらに隣に、もう一枚、見知らぬ男性の写真が増えていた。少し頬のふくよかな、穏やかそうな顔の人だった。
「この写真も、近所の方?」と聞くと、祖母は少し考えてから「山の上の田中さんよ。春先にね」と言った。それも特に不思議ではなかった。高齢者が多い地区なのだし、祖母の知り合いが亡くなることは珍しくないだろう。
ただ、その年に少し引っかかったのは別のことだった。線香を上げ終わって立ち上がるとき、ふと最初の写真、さっちゃんの写真を改めて見た。なんとなく、写真の中の表情が、去年と違う気がした。去年は口を引き結んでいたはずなのに、今年はどこか、わずかに笑っているような気がした。
写真の印象なんて、光の加減や自分の気持ちで変わる。私はそう思ってその場を離れた。
三年目。今度は春先に祖母の体調が悪いと聞いて、母と二人で様子を見に行った。風邪をこじらせたとのことで、一週間ほどで元気になったが、念のためもう少し実家に近い場所に移ることも考えてほしいと、母は祖母に話した。祖母はやはり首を縦に振らなかった。
そのとき私は仏壇を見た。写真が、また増えていた。
今度は二枚。どちらも見知らぬ顔で、一人は若い女性、もう一人は老人だった。若い女性の写真は、他の写真と比べて明らかに新しく、カラー写真だった。
「これは?」と母が先に聞いた。
祖母は「向かいの家の子よ。かわいそうに」とだけ言って、それ以上は話したがらなかった。
帰りの車の中で、母が少し困ったような顔で言った。「おばあちゃん、もしかして認知症が始まってるのかもしれない。あの写真、本当に近所の人のものなのかしら」と。
私もそう思っていた。ただ、それよりも私が気になっていたのは別のことで、車の中ではうまく言葉にできなかった。
最初の写真、さっちゃんの写真の表情が、また変わっていた気がした。
今度は明らかに笑っていた。初めて見たときとは明らかに違う、目元まで少し緩んだような表情に見えた。同じ写真のはずなのに。
その後、祖母は夏前には回復して、お盆にはまた例年通りの元気な様子だった。私は一人で帰省したが、和室に入ったとき、しばらく動けなかった。
写真が、六枚になっていた。
四か月前に来たとき、確かに四枚だった。それが六枚になっている。追加された二枚のうち一枚はまた白黒の老人で、もう一枚は、中年の男性のカラー写真だった。
「おばあちゃん、この人たち全員、知ってる人?」
祖母は台所からお茶を持ってきながら、「もちろんよ、みんなよく知ってる人たちよ」と言った。
「名前を教えてもらえる?」
祖母は少し間を置いてから、一枚ずつ指さして名前を挙げ始めた。最初のさっちゃんの写真を指して「これは……さっちゃん」、次の田中さんを指して「こっちは田中さん」。そこまではよかった。でも三枚目のカラー写真の若い女性のところで、祖母の指が止まった。
「この子は……」祖母はしばらく考えてから、「向かいの家の子」と繰り返した。
「名前は?」
「……忘れてしまったね」
それだけならまだよかった。でもその次に祖母が言ったことが、どうしても頭から離れない。
「でもね、みんな毎日会いに来てくれるから、顔は覚えてるよ」
私は笑ってごまかしたけれど、内心どきりとした。
その夜、私は祖母の家に泊まった。夜中に目が覚めて、喉が渇いたので台所に行こうとしたとき、廊下の突き当たりの和室の障子が少し開いているのに気づいた。仏壇のある部屋だ。昼間は気にしていなかったけれど、夜に見ると、その隙間から仄暗い室内が覗いていた。
ろうそくは消えているはずで、線香も当然もう煙は出ていない。でも障子の隙間から見える室内に、何か白っぽいものが動いたような気がした。
私はそのまま台所には行かず、自分の布団に戻った。
朝になって、普通に朝食を食べて、普通に祖母と話して、帰りのバスに乗った。バスが発車するとき、停留所に立っている祖母が手を振っていた。その後ろに、誰かが立っているような気がした。バスが動き出して角を曲がる前に、もう一度振り返った。
祖母だけだった。
帰ってから、私はあの写真のことをずっと考えていた。気になって、最初に見たときのことを思い出しながら、あの写真を脳内で一枚ずつ数えてみた。
六枚、のはずだった。
でも記憶をたどると、どうしても七枚目の像がちらつく。仏壇の端に、もう一枚あったような気がする。誰の写真だったかは思い出せない。ただ、正面を向いていたことだけは覚えている。
もしかしたら私の記憶違いかもしれない。あの和室は薄暗いし、緊張していたせいで数え間違えたのかもしれない。
ただ、どうしても気になることがある。
あの最初の写真、さっちゃんの写真。初めて見たとき、私は確かに「口を引き結んでいる」と思った。それが翌年は「少し笑っているような」に見えて、三年目には「笑っている」と感じた。
もし同じ写真なら、表情が変わるはずはない。だとすれば、途中で写真が入れ替わっていた?あるいは、最初から複数枚あって、私が見るたびに別の一枚を見ていた?
それとも、私の側に何か変化があったのか。
今年のお盆も、そろそろ日程を考えなければならない時期だ。祖母は今も元気でいる。電話で話すと、相変わらず声はしっかりしている。
「みんな毎日会いに来てくれるから」という言葉が、ときどき夜中に思い出される。
今年帰ったとき、仏壇に写真が何枚あるか、ちゃんと数えようと思っている。
ただ、もし八枚だったとき、私は何をどう考えればいいのかが、まだわからないでいる。


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