祖母の仏壇に、知らない顔が増えていく

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祖母の家の仏壇に並ぶ遺影が、帰省のたびに少しずつ増えていた。見覚えのない顔、知らない名前——誰も増やした記憶がないのに、誰もおかしいとは言わなかった。

祖母が亡くなったのは、私が二十四歳の冬のことだった。

肺炎をこじらせて、入院から三週間も経たないうちに逝ってしまった。あまりに急で、最後に顔を見られたのは仮通夜の夜だけだった。享年八十一。大往生と言えば大往生だけれど、私はしばらく実感が持てなくて、葬儀の間もどこかぼんやりとしていた気がする。

祖母の家は、山沿いの県境の町にあった。父の実家で、子供のころからお盆と正月には必ず訪ねていた。古い日本家屋で、廊下を歩くと床がきしんで、縁側から見える山がいつも靄に霞んでいた。そういう家だった。

祖母の死後、家は空き家になった。父には兄が一人いて、二人で維持管理することになったが、どちらも遠方に住んでいて、なかなか足を運べないでいた。それで半年に一度くらい、私が代わりに様子を見に行くことが多くなった。風を通して、仏壇に花を替えて、簡単な掃除をして帰る。そういう役回りを、なんとなく引き受けるようになったのだ。

最初に違和感を覚えたのは、祖母が亡くなってから一年ほど経った夏のことだった。

仏壇に手を合わせようとして、ふと目に止まったのだ。遺影の横に、小さな額入りの写真が一枚置いてあった。白黒で、七十代くらいの老人が正面を向いて写っている。表情は穏やかで、どこか見覚えがあるような、ないような。

最初は、父か伯父が置いたのだと思った。親戚の誰かが亡くなって、祀るようにしたのかもしれない。私には知らされていないだけで、そういうことは往々にしてある。その日はとくに気にせず、花を替えて帰った。

次に行ったのは、その年の秋だった。

仏壇を見て、一瞬止まった。写真が、二枚になっていた。夏に見た老人の隣に、また別の人物の写真が並んでいる。今度は女性で、こちらも白黒、やはり七十代くらいに見えた。写真の雰囲気が似ていて、同じ時代に撮られたものだとわかる。

父に連絡してみた。「仏壇に写真が増えてたけど、誰かが置いたの」と。父は少し間を置いてから、「ああ、そうか」とだけ言った。誰が置いたかは教えてくれなかった。私も深くは聞かなかった。

年が明けて正月、父と伯父も揃って家に来た。仏壇の前で全員が手を合わせた。そのとき写真は、私の知る限りでは三枚になっていた。増えていたのは男性の写真で、今度はカラーだった。それだけでなんとなく新しい死を感じた。

「この人は誰?」と、伯父に聞いてみた。

伯父は仏壇を見て、「ああ」と言って、「遠縁の人だよ」と答えた。それ以上は言わなかった。父も何も言わなかった。私も、それ以上は聞けなかった。

不思議だったのは、誰も「増えてるね」と言わないことだった。三枚の写真は当たり前のようにそこにあって、全員がそれを自然なものとして扱っていた。私だけが、何か引っかかっていた。

翌年の春、私は一人で家に行った。

仏壇の前に座って、ゆっくり写真を確認した。夏に初めて気づいた老人の写真、秋に増えた女性の写真、正月のカラーの男性の写真。それに加えて、もう一枚あった。四枚目は、子供の写真だった。

手が止まった。

遺影というのは、普通は亡くなった人のものだ。子供の写真が仏壇に入るということは、子供が亡くなったということだ。それはわかる。けれど、誰の子供なのかが、まったくわからなかった。うちの親族にそんな話は聞いたことがなかった。

写真をよく見ると、台紙の端にうっすらと文字が書いてあった。名前らしかったが、読み取れるのは苗字だけで、うちとは違う姓だった。

その日、私は長いこと仏壇の前に座っていた。線香を替えて、花を替えて、それでも腰が上がらなかった。写真の四人が、みんな同じ方向を向いていた。正面を、じっと。

父に電話しようとして、やめた。伯父に聞こうとして、やめた。なんとなく、聞いてはいけない気がした。というより、聞いても「ああ、遠縁の人だよ」という答えしか返ってこない気がした。

その年の夏に帰ったとき、写真は五枚になっていた。

私はもう、誰にも聞かなかった。

ただ、こっそりスマートフォンで写真を撮った。五枚の遺影を、一枚ずつ。家に帰ってから見直した。最初の老人、女性、カラーの男性、子供、そして五枚目は、また老人だった。どれも知らない顔だった。私が知る親族の中に、当てはまる人物がいなかった。

念のため、母に聞いてみた。父方の親族で、最近亡くなった人はいるかと。母は少し考えて、「特に聞いてないけど」と言った。「お父さんに聞いてみたら?」と。

父には聞けなかった。なぜかうまく言葉にできなかった。仏壇に知らない人の写真が増えているという事実を、どう説明すればいいかわからなかった。

秋になって、また一人で行った。

写真は七枚になっていた。

私は、仏壇の前でしばらく動けなかった。春から秋の間に、二枚増えていた。誰が置いたのか。どうやって置いたのか。鍵は父と伯父しか持っていないはずだった。私も持っているが、私は置いていない。

七枚の写真を、一枚ずつ見た。最初から知っている五枚に加えて、六枚目は中年の女性、七枚目は若い男性だった。どちらも見知らぬ顔だった。ただ、七枚目の男性の写真だけ、他と雰囲気が違った。白黒でも古びた調子でもなく、ごく普通のスナップ写真を引き伸ばしたように見えた。背景がうっすら写っていて、どこかの屋外のようだった。

その写真だけ、どう見ても「遺影として用意されたもの」ではなかった。

私はその写真を手に取った。軽かった。裏を見た。

何も書いてなかった。

ただ、写真の表面をよく見ると、人物の顔の横、ほんの少し離れたところに、別の人の肩が写り込んでいた。トリミングされる前の部分が、わずかに残っていた。隣にいた誰かが、切り取られていた。

それだけのことなのに、私はとても嫌な気持ちになって、すぐに写真を戻した。

その夜、実家に帰ってから父に電話した。仏壇の話を切り出した。写真が増えていること、知らない人ばかりであること、七枚になっていること。

父は黙って聞いていた。

しばらくして、「そうか」と言った。

「誰が置いてるの?」と私は聞いた。

また間があった。

「わからない」と父は言った。

「わからないって、どういうこと」

「伯父さんに聞いたこともある。でも伯父さんも知らないって言ってた」

それきり、父は何も言わなかった。私も何も言えなかった。

翌年の春、私はもう一度だけ祖母の家に行った。

仏壇を見た。

写真は、十一枚になっていた。

私は数えながら、頭の中で何かが静かに冷えていくのを感じた。一枚ずつ顔を確認した。知らない老人、知らない女性、知らない男性、知らない子供——全員が知らない顔だった。ただ一枚だけ、一番端に置かれた写真を見たとき、手が震えた。

それは、祖母の写真だった。

葬儀のときに使ったものとは別の、私の見たことがない写真だった。若いころの祖母ではなく、晩年のよく知った顔だったが、表情が違った。いつもの穏やかな顔ではなく、どこか強張ったような、何かを見つめているような顔をしていた。

写真の中の祖母は、正面を向いていなかった。

少し横を向いていた。

まるで、隣に並んでいる誰かを、見ているような角度で。

私はそのまま手を合わせることもできなくて、仏壇の前から立ち上がって、鍵をかけて、そのまま家を出た。

それ以来、私はあの家に行っていない。

父も伯父も、誰も写真を置いていないと言う。誰かが置いているはずなのに、誰も知らないと言う。鍵は変えていないと父は言っていたが、私はそれを確かめていない。

ただ一つだけ気になっていることがある。

あの家の仏壇には、もともと祖母と祖父、二人分の遺影しかなかったはずだ。

では、最初に私が気づいた一枚目の写真は、いつから置かれていたのか。

祖母が生きていたころから、すでにあったのか。

それとも、祖母が死んでから——誰かが、始めたのか。

私にはもう、確かめる気持ちがない。

ただ最近、祖父のことをふと思い出した。祖父は私が生まれる前に亡くなっていて、私は顔を知らない。

写真で見たことすらなかった。

だから、仏壇の遺影の中に祖父が写っていたとしても、私にはわからない。

——あの十一枚の中に、もしかして。

そこまで考えて、私は考えるのをやめた。

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