【意味が分かると怖い話】祭りの夜、灯りは数えてはいけなかった

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子どもの頃、祖父の家で過ごした夏のある夜、私は「やってはいけないこと」をしてしまった。あの村の祭りには、誰も教えてくれなかった理由があった。

これを書こうと思ったのは、去年の秋に祖父が亡くなって、実家の荷物整理をしていたときのことがきっかけだった。

段ボールの底から出てきた古い日記帳。表紙に何も書かれていない、薄茶色の冊子。ぱらぱらとめくってみると、それは祖父のものでも、祖母のものでもなかった。筆跡が違う。紙の変色具合からして、もっと古い時代のものだと思った。

でも、書かれている内容が、私の記憶とあまりにも重なっていた。

だから書く。あの夜のことを。

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私が小学校三年生の夏、母の都合で二週間ほど、一人で祖父の家に預けられたことがある。

場所は、県境に近い山間の集落だった。最寄りのコンビニまで車で四十分かかるような、本当に小さな村だ。今はもうほとんど廃村に近い状態になっていると聞いている。

祖父の家は集落の外れにある古い民家で、縁側から見ると杉林がすぐそこまで迫っていた。夜になると虫の声がすごくて、最初の三日間はなかなか眠れなかった。

祖父は無口な人だったが、優しかった。毎朝、畑に連れて行ってくれたし、夕方には川で魚を捕る遊びを付き合ってくれた。私はわりと楽しく過ごしていたと思う、あの夜が来るまでは。

預けられてから五日目の夕方、祖父が珍しく改まった顔で私に言った。

「今夜、村の祭りがある。でも、お前は家の中にいなさい。外に出てはいけない」

理由は教えてくれなかった。

「縁側の雨戸も、閉めておくから。どんな音がしても、開けてはいけないよ」

子どもだった私には、その言葉の意味がよくわからなかった。お祭りなのに、なんで見てはいけないんだろう。花火でも上がるなら、ちょっとくらい覗いても怒らないんじゃないかな。そのくらいの気持ちでいた。

祖父は夕食を早めに済ませると、白い着物のようなものに着替えて出かけていった。あんな服を持っていたことすら、私は知らなかった。

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雨戸を閉め切った部屋の中は、じっとりと暑かった。

テレビをつけようとしたら、砂嵐しか映らなかった。ラジオも同じで、何もまともに受信できない。祖父は私のためにと漫画本を何冊か置いていってくれたが、八時を過ぎたころから、外が騒がしくなってきた。

正確には、騒がしいとは少し違う。

音、というより、気配、に近い感覚だった。人の声のようなものが、遠くから近くからと波のように揺れている。単調で、抑揚がなくて、何を言っているのかはまったく聞き取れない。

そして、灯りだった。

雨戸の隙間からうっすらと、橙色の光が漏れてくるのが見えた。揺れている。提灯か、松明のようなものだと思った。一つじゃない。いくつもの光が、縁側の外を通り過ぎていく気配がある。

私は、見てはいけないと言われていたことを、もう半分忘れていた。

雨戸に近づいて、隙間から外を覗いた。

最初は何も見えなかった。目が慣れてくると、杉林と母屋の間の細い道に、白い着物姿の人たちが列を作って歩いているのがわかった。祖父と同じような恰好だ。それぞれが小さな灯りを手に持っている。

私は、何人いるのか数えようとした。

一、二、三、四、五……

六人目を数えたところで、列の中の一人がこちらを向いた。

顔は見えなかった。距離のせいなのか、暗さのせいなのか、その人だけが顔のあるべき部分が、ひどくぼんやりとしていた。

私は反射的に雨戸から離れて、押し入れに飛び込んだ。毛布を被って、朝まで動けなかった。

祖父が戻ってきたのは夜明け前だった。私が押し入れの中にいるのを見て、何も言わずに抱き上げてくれた。理由も聞かなかった。ただ「よかった」と一言だけ言った。

「数えなかったか?」

布団に寝かせてもらいながら、半分眠りかけたころに、そう聞かれた気がした。私は正直に「六人まで数えた」と答えた。

祖父はしばらく黙っていた。それから静かに言った。

「七人目は、数えてはいけないんだ」

その意味を聞き返す前に、私は眠ってしまった。

—

翌朝、祖父はいつも通りだった。畑に行って、野菜を収穫して、昼には素麺を茹でてくれた。あの夜の話は一切しなかった。私も、なんとなく聞けなかった。

残りの一週間、祭りのようなものは起きなかった。

母が迎えに来て、私は村を離れた。祖父の家には、それから二度か三度、お盆や正月に帰ったことがあるだけだ。祖父は年々無口になっていったように思う。あの夜の話は、ずっとしないままだった。

大人になってから、あれはなんだったんだろうとたまに思い出すことはあった。でも、調べようとまでは思わなかった。子どもの頃の記憶なんて、どこまで正確かわからないし、怖かった感情だけが残っていて、細部はきっと誇張されているのだろうと思っていた。

だから、去年あの日記帳が出てきたとき、最初は別の人間の記録だと思って流し読みするつもりだった。

—

日記帳には、日付がなかった。

元号も西暦も書かれていない。ただ、「七月、末」とだけ書かれたページから、その記録は始まっていた。

書いた人間は、集落の外から嫁いできた女性らしかった。文体から察するに、かなり昔の時代のものだと思う。内容は、日々の農作業や、嫁ぎ先の家族とのやりとりが中心だった。

ひとつ気になった記述があった。

「今夜、灯籠流しがある。だが夫は外に出るなと言う。雨戸を閉めておけと。理由を聞いても答えてくれなかった」

ページをめくると、その翌日の記述があった。

「隙間から見てしまった。白い着物の人たちが列を作って歩いていた。数を数えようとしたが、途中でやめた。六人目を数えたとき、その中の一人がこちらを見た気がしたから」

私は読む手が止まった。

さらに次のページ。

「夫に、数えたかと聞かれた。六人まで、と答えた。夫はしばらく黙ってから言った。七人目は、数えてはいけないのだと」

文章が、そこで途切れていた。

日記帳の残りのページは、すべて白紙だった。

—

私はそのまま座り込んで、しばらくそこから動けなかった。

祖父がなぜあの日記帳を持っていたのか、それがいつの時代に書かれたものなのか、書いた女性がその後どうなったのかは、わからない。

ただ、私が気になっているのはそこじゃない。

あの夜、押し入れの中で眠りに落ちる直前、祖父に「数えなかったか」と聞かれた。私は「六人まで数えた」と答えた。

祖父は「七人目は数えてはいけない」と言った。

でも、私はずっと、それを「六人で止めてよかった」という意味だと思っていた。

日記帳を読んで、初めて考えた。

六人まで数えた、ということは。

六人分の灯りを認識した、ということだ。

七人目を数えてはいけない、ということは。

七人目が「いる」ということを、前提にした言葉だ。

あの列に、最初から七人目がいた。

私たちは二人とも、六人目を数えたとき、その七人目に気づいて目を逸らした。

だとしたら、七人目を最後まで数えた人間には、何が起きるのだろう。

日記帳の女性の記録は、六人目の翌日で終わっている。彼女がその後どうなったかは書かれていない。

祖父もまた、生前に一度も話してくれなかった。

私が知っているのは、あの夜の列の中に、顔のはっきりしない人影があったこと。そして同じ光景を、何十年も前に別の誰かが見ていたこと。それだけだ。

今年の夏、あの村はもうほとんど人が住んでいないと聞いた。

でも、毎年七月の末に、あの細い道を誰かが歩いているとしたら。

白い着物で、灯りを持って、列を作って。

誰も住んでいない村で、七人目は、今も数えられるのを待っているのかもしれない。

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