深夜の高速サービスエリアで、毎朝6時ちょうどに目が覚めるようになってから、俺は少しずつ、自分の周りにいる「人」への疑いを捨てられなくなっていった。これは去年の秋から冬にかけて、俺が記録しておいた出来事の全部だ。
これを書いておかないといけないと思ったのは、先週、職場の同僚に「最近、顔色が戻ったね」と言われたからだ。
戻った。という表現が引っかかった。何かを指しているのに、本人は気づいていない言い方だった。俺の顔色は、いつ悪くなっていたのだろう。そしてそれを、同僚は何と比べて「戻った」と言ったのだろう。
順番に書く。
去年の秋のことだ。俺は内陸の工業地帯にある会社に勤めていて、当時は月に一度か二度、県境を越えた先の取引先まで車で日帰り出張をしていた。片道二時間半ほどの道のりで、往路はだいたい朝の七時に出発していた。
問題が起きたのは、九月の終わりに近い平日だった。
前日の夜から天気が崩れていて、翌朝の出発を少し早めるつもりで、いつもより一時間早く床についた。目覚ましは五時半にセットした。
ところが、気づいたとき俺は車の中にいた。
自分のセダン。シートを少し倒した状態で、助手席側の窓に額をつけて眠っていた。外は明るくなりかけていて、エンジンはかかっていない。時刻を見ると、六時ちょうどだった。
場所は高速道路のサービスエリアだった。
俺がよく使う路線の、上り方向にある施設で、県境から少し入ったあたりに位置している。深夜から早朝にかけてしか営業していない時間帯のある場所で、その朝も、フードコートの明かりはまだ半分しかついていなかった。
状況を整理しようとした。
俺は家で目覚ましをセットして眠ったはずだ。それなのに、なぜか高速のサービスエリアの駐車場で目が覚めている。記憶がない。着替えはしていた。財布もある。スマートフォンのバッテリーは残り十二パーセントで、着信も通知もなかった。
一番怖かったのは、運転してきた記憶がまったくないことではなく、眠る前に確かめたはずの施錠の感触も、靴を履いた記憶も、車のエンジンをかけた瞬間も、何もかもが完全に欠落していたことだった。夢遊病というものがあるとは知っていたが、それが原因だとしても、高速道路を一人で運転してここまで来たということになる。
その日の出張はキャンセルして、そのまま家に引き返した。
医者には「疲れと睡眠の質の低下」と言われた。ストレスも重なっているだろう、と。検査の数値に異常はなかった。薬は出なかった。
その日から、俺は毎朝六時ちょうどに目が覚めるようになった。
最初は偶然だと思っていた。一週間過ぎてもそれが続くと、少し不思議に思った。二週間経っても、三週間経っても、目覚ましが鳴る前に必ず六時に目が覚めた。一秒も前後しない。スマートフォンのアラームを確認するたびに、表示は六時〇〇分〇〇秒だった。
気持ちが悪いとは思いながらも、体内時計というものがあるのかもしれない、と無理やり納得していた。
おかしいと確信したのは、十月の中旬だった。
職場の同僚に、三歳年上の田辺という男がいる。俺とは入社が同じで、長く同じ部署にいた。よく一緒に昼飯を食べていた。
その田辺が、ある朝、俺の顔を見て「久しぶりだな」と言ったのだ。
前日も同じ部屋にいたはずだった。「何が」と聞くと、田辺は「いや、なんとなく」とごまかした。笑いながらではあったけれど、その笑いの奥に、何か言いあぐねている感じがあった。
それだけなら、気にしなかった。
だが昼に食堂で向かい合ったとき、田辺が俺のトレーを一瞬見て、「あれ、お前そっちが好きだったっけ」と言った。俺はその日、定食ではなくラーメンを頼んでいた。田辺は昔から、俺が定食派だと思い込んでいた。俺自身、確かに定食を選ぶことの方が多い。だから田辺の発言自体はおかしくない。
でも、言い方が気になった。「そっちも食べるんだな」ではなく、「そっちが好きだったっけ」だった。好みが変わったという前提が、そこにあった。
俺は変わっていない。変わったとしたら、田辺の俺に対する認識のほうだ。
その日の帰り道、俺はスマートフォンのメモアプリを開いて、その日あったことを書き留めた。以来、毎日記録をつけるようにした。
十一月に入ると、変化は別の方向からも現れ始めた。
自宅の洗面台の鏡を見ると、自分の顔の輪郭が、以前より少しだけ変わっている気がした。痩せたのかもしれない。顎のラインが、記憶にある自分より少し細くなっている。だが体重計を見ると、数字はほとんど変わっていない。
写真を見返した。半年前、一年前の写真と今の自分を見比べた。
違いは、ある。あるのだが、うまく言語化できなかった。顔のパーツのどれがどう変わったかではなく、「全体の印象」が微妙に違うのだ。同じ人間が太って痩せたとか、日焼けしたとか、そういうわかりやすい変化ではない。もっと曖昧な、皮膚の質感のようなものが、違って見えた。
十一月の下旬に、再びあのサービスエリアで目が覚めた。
六時ちょうど。前回と同じだった。今回も記憶はない。今回も着替えていて、財布もスマートフォンもあった。そして今回、グローブボックスの中に、折りたたまれたレシート大の紙切れが入っていた。
俺の筆跡で、こう書かれていた。
「ここは二度目です」
それだけだった。日付はなく、署名もない。文の前後に何もない。
俺はその紙を、車の中でしばらく見つめた。六時の空はまだ薄暗く、駐車場には数台のトラックと、俺の車しかいなかった。フードコートはまだ開いていなかった。
俺がその紙を書いたのか。あるいは誰かが書いて、俺の車に置いたのか。筆跡は確かに俺のものに見えた。だが俺には書いた記憶がない。一度目に来たとき、何かを感じて書いたのだとしたら、俺はその記憶も失っているということになる。
家に戻ってから、メモアプリに全部書いた。
田辺の「久しぶりだな」。鏡の顔。筆跡の紙。そして、六時ちょうどという時刻。
一つひとつは説明がつく。だが全部を並べると、説明がつかない何かが、そこにあった。
年が明けて、一月に入ったころ、俺はあの出来事のことを、古い友人に話した。高校時代から付き合いのある男で、今は別の県に住んでいる。電話越しに話を聞いた彼は、しばらく黙ってから、こう言った。
「それ、お前が入れ替わってるんじゃなくて、向こうが入れ替わってるんじゃないか」
向こう、というのは、俺の周りにいる人間のことだった。
俺は笑い飛ばそうとして、笑えなかった。
田辺が「久しぶりだな」と言ったこと。同僚が「顔色が戻ったね」と言ったこと。鏡の自分が「少し違う」と感じたこと。あのサービスエリアで目が覚めたこと。
もし俺が「向こうの違和感」を感じ取っているのだとしたら。向こう、つまり俺の周囲にいる何かが、少しずつ、本来あった形から遠ざかっているのだとしたら。
友人はさらに続けた。「で、そのサービスエリア、何か特別な場所なのか」
俺は何も知らなかった。調べてもみなかった。ただ、あの場所が県境に位置していることは知っていた。上り方向と下り方向の間に、山が一つある。昔から、あの山を越えると空気が変わると地元の人間は言う。俺も子供のころ、祖父からそんなことを聞いた記憶がある。
「県境というのは、昔から境目として扱われてきた場所だ」と祖父は言った。「何と何の境かは、人によって違う」
その言葉の意味を、当時の俺は深く考えなかった。
いまも、考えたくはない。
ただ、最後に一つだけ書いておく。
先週、例の田辺が俺を食堂に誘ってきた。席に着いて、しばらく黙って飯を食ったあと、田辺は箸を置いてこう言った。
「お前、最近ちゃんとしてるな」
「ちゃんとしてる、ってどういうことだよ」と俺が聞くと、田辺は少し困ったような顔をして、「いや、わかんない。ただ、なんか……ちゃんとお前だな、って感じがする」と言った。
俺はその言葉を、素直には受け取れなかった。
「ちゃんとお前だな」という言い方は、以前の俺が「ちゃんとお前ではなかった」ということを含んでいる。
俺は変わっていない。変わっていないはずだ。あのサービスエリアで目が覚める前も、後も、ずっと俺は俺だった。
でも、田辺がそう言う。同僚が「顔色が戻った」と言う。
だとしたら、何かが元に戻ったのか。あるいは、元に戻ったことにされているのか。
その紙はまだ、グローブボックスの中にある。俺の筆跡で、「ここは二度目です」と書かれた、折りたたまれた紙が。
これ以上書くことは、今のところない。日常は戻ってきた。六時に目が覚めることも、先月から徐々に減っていて、今週は一度もなかった。田辺とも普通に飯を食っている。
ただ、あの紙だけは捨てられずにいる。
何かを記録しておかなければいけないという気持ちが、まだ消えていない。誰かに読んでもらう必要がある気がして、こうしてブログに書いた。
読んでくれた人には、一つだけ聞いておきたい。
あなたの周りにいる人たちは、あなたのことを「ちゃんとお前だな」と思っているだろうか。

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