空き地に、靴跡だけが残っていた

引っ越し直後に気づいた、窓の外の空き地。毎朝、誰かが歩いた跡だけが残っている——しかし調べていくと、その土地では何十年も前から、同じことが繰り返されていた記録があった。

引っ越したのは、十一月の半ばだった。

仕事の都合で急に決まった移住で、物件を選ぶ時間もほとんどなかった。不動産屋が「とにかく安くて静かですよ」と勧めてきたのが、県境の町にある古い二階建てアパートの一室だった。築年数は聞かなかった。聞かなくても、廊下の手すりの錆び方と、玄関ドアのきしみ方でだいたいわかった。

それでも部屋の中は思ったより広かったし、何より家賃が安かった。私は二つ返事で契約を済ませ、その週末には荷物を運び込んでいた。

窓からの眺めは、正直なところ良くなかった。

二階の南向きの窓を開けると、すぐ目の前に空き地がある。雑草が刈られた跡があって、地面はほぼ土のまま。フェンスで囲まれてはいるが、その金属のポールが何本か傾いていて、隙間から自由に入れそうだった。奥の方に古いコンクリートの基礎のようなものが残っていて、不動産屋に聞いたら「前は工場か何かだったらしいですね、もう十年以上空いてますよ」と、あまり興味なさそうに答えた。

最初の数日は、引っ越しの疲れで窓の外なんてほとんど見ていなかった。

気づいたのは、引っ越して五日目の朝だった。

その日は少し早く目が覚めて、カーテンを開けながらぼんやり外を見ていた。朝の光が斜めに差し込んで、空き地の土の表面がうっすら霜で白くなっていた。きれいだな、と思って目を細めたとき、何かが引っかかった。

足跡があった。

空き地の中に、ひとりぶんの足跡が残っていた。フェンスに近い入口あたりから始まって、まっすぐ奥のコンクリートの基礎の方へ向かっていた。そして、そこで止まっていた。戻ってくる跡がない。

そのときは、「ああ、誰かが入り込んだんだな」くらいにしか思わなかった。フェンスが壊れているなら、酔っ払いか何かが迷い込むこともあるだろう。私は特に気にせず、コーヒーを淹れて仕事の準備を始めた。

問題は、翌朝も同じだったことだ。

朝起きてカーテンを開けると、また足跡がある。昨日と同じ位置から始まって、同じように奥へ向かっている。ただ昨日と少しだけ違ったのは、足跡の数が多かったことだ。往復しているわけではない。ただ、一歩一歩の間隔が、昨日より広くなっていた気がした。

気がした、という話だから、自信はない。ひとつひとつの足跡をよく見たわけじゃないし、昨日の跡が今日も残っているだけかもしれない。でも何となく、気になった。

その次の朝も、足跡はあった。

今度は、向きが変わっていた。

奥のコンクリートに向かうのではなく、途中で右に折れていた。空き地の端、フェンスのすぐ内側を沿うように歩いた跡が、くっきり残っていた。土が柔らかくなっていたのか、昨日より足跡が深かった。前の日に誰かが水でも撒いたのかと思ったが、それも違う気がした。この季節に、空き地に水を撒く理由がない。

私はスマートフォンで写真を撮った。

記録として残しておきたかっただけで、深い意味はなかった。ただ翌朝また写真を撮って、見比べると、明らかに違う。足跡の形が変わっていた。

正確に言うと、足跡の「大きさ」が変わっていた。

最初の頃は、ごく普通の大人の足跡だった。二十五センチか二十六センチくらいだろうか、底の模様はよくわからないが、サイズ感は男性のものだと思っていた。それが、日を追うごとに少しずつ小さくなっていた。今日の写真と三日前の写真を並べると、はっきりわかる。同じ土地に同じように残った足跡が、縮んでいる。

別の人間が毎晩入り込んでいる、ということなら理解できる。でも足跡の位置は毎回ほぼ同じで、同じルートをたどっている。違う人間がたまたま同じ道筋を歩いて、たまたまサイズが少しずつ小さい、という偶然は、考えにくかった。

一週間が過ぎた頃、私は思い切ってフェンスの近くまで行ってみた。

朝の七時過ぎ、誰もいない時間を選んで空き地の外周をゆっくり歩いた。フェンスの外から中を覗き込むと、やはり足跡がある。その日は小さかった。子供の足跡といっても通りそうなくらいのサイズで、でも歩幅は大人に近かった。小さな足で、大人の歩幅で歩いている。

そのとき初めて、背筋に冷たいものが走った。

帰ってから、何となくインターネットで調べてみた。この土地の名前と、「空き地」「足跡」といったキーワードで検索しても、特に何も出てこなかった。次に、この町の地名と「更地」を合わせて調べた。すると、地元の歴史を記録している個人のブログがいくつかヒットした。

その中の一つに、気になる記述があった。

十五年ほど前に書かれた記事で、「県境付近の旧工場跡地」について書いてあった。詳しい場所は伏せてあったが、地図の説明を読む限り、私の部屋の窓から見える空き地と一致しそうだった。工場は昭和の中頃まで操業していたが、事故があって閉鎖されたとある。事故の内容は書いていなかった。

ただその記事の末尾に、こんなことが書いてあった。

「工場が取り壊された後、しばらくの間、近隣の住民から不思議な話が相次いだ。更地になった敷地内に、朝になると誰かが歩いた跡だけが残っている。しかし夜中に見張っていても、実際に歩く人影は見えなかったという。跡は毎朝少しずつ変わり、やがてある時期を境にぴたりと止まったと、当時の住民が語っていた」

読んだ瞬間、手が止まった。

取り壊し直後。足跡だけが残る。毎朝少しずつ変わる。

それは今、私が見ているものと、まったく同じだった。

私はさらに調べた。そのブログは更新が止まっていたが、コメント欄に別の人物の書き込みがあった。日付は七年前。「自分が子供の頃にも同じ話を聞いた、あの空き地のことは古くから近所で語られている」という内容だった。

何十年も前から、繰り返されている。

私が気持ち悪いと思ったのは、そこだった。

足跡が残るという話自体より、それが何かの「節目」ごとに起きているらしいことが。工場が取り壊された後。土地が更地になった後。そして今回、私が引っ越してきた時期。

つまり、土地に何か変化があるたびに、それが始まる。

今日の朝も、足跡はあった。

昨日よりさらに小さくなっていた。もうほとんど、幼い子供のサイズに近い。でも歩幅だけは変わらない。短い足で、大人と同じ間隔で、同じ道を歩いている。

終わりがあるとするなら、どこで終わるのか。

ブログには「ある時期を境にぴたりと止まった」とあったが、その時期がいつなのかは書かれていなかった。足跡が消えたのか、それとも何か別のことが起きて記録が途絶えたのか、わからない。

私はしばらく引っ越すつもりはない。仕事の関係で、少なくともあと一年はここにいなければいけない。

だから毎朝、写真を撮り続けている。

足跡の大きさが変わるたびに記録して、並べて比べている。今は子供のサイズより少し小さい。もうあと何日かしたら、どうなるのかわからない。

消えるのか、それとも。

昨日の夜、窓際でぼんやり外を見ていたとき、ふと思ったことがある。

足跡が「小さくなっていく」のか、それとも「遠ざかっていく」のか。

地面に残る跡は、見る角度によって見え方が変わる。同じサイズの足でも、遠くなれば小さく見える。でも空き地の広さはたかが知れていて、足跡はいつも同じ辺りに残っている。それは確認している。

だとすれば、やはり縮んでいる。

縮んで、どこへ向かっているのか。

私にはわからない。ただ、次の朝もカーテンを開けるたびに、反射的に空き地を見てしまう。そこに足跡があることを確認して、少しだけほっとする自分がいる。

何かがそこにいる、ということの方が、何もなくなることより、今は怖くない気がしている。

それが正しい感覚なのかどうかも、私にはわからない。

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