夕暮れの田んぼ道を歩くたびに、腕時計と空の色が食い違う。その違和感は、ある日を境に「記録」として残り始めた。
これを書いているのは、二〇二三年の九月だ。少なくとも、自分ではそのつもりでいる。
念のため、最初にそう断っておきたかった。
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実家は、県境に近い小さな町にある。新幹線の駅から在来線に乗り継いで一時間半、そこからさらにバスで二十分という立地で、お世辞にもアクセスがいいとは言えない。社会人になってからは盆と正月くらいしか帰らなくなったが、今年の秋は少し事情が違った。父が腰を痛めて、農作業を手伝う必要が出てきたのだ。
九月の初め、有給を三日まとめてとって帰省した。
実家の最寄りバス停から家まで、歩いて十五分ほどかかる。集落の外れを抜け、田んぼの中を突っ切る一本道を通っていくルートで、子どもの頃から飽きるほど歩いた道だ。夏の盛りに歩けば日差しで溶けそうになるし、冬の夕方に歩けば背筋が冷えてくる。特別な道ではない。稲が並んでいて、用水路があって、遠くに山の稜線が見えるだけの、どこにでもある田舎道だ。
その日は夕方のバスで到着した。時刻は十七時四十分ごろ。九月とはいえまだ日は長く、空はオレンジに染まりかけていた。どこか懐かしい夕焼けだと思いながら、スーツケースを引いて一本道に入った。
歩き始めて五分ほど経ったとき、腕時計を見た。
十七時四十三分。
おかしいな、と思った。体感ではもっと歩いた気がしたが、まあそんなものか、と思い直して歩き続けた。
家に着いたのは、それから十五分以上経ってからのことだ。玄関先でスーツケースを置いて腕時計を確認すると、針は十七時四十七分を指していた。
四分。バス停から家まで四分、ということになる。
普通に歩けば十五分かかる道を、四分で来た?
腕時計が狂っているのかと思い、スマートフォンを出して確認した。スマホの時刻は十八時〇三分だった。腕時計より十六分、進んでいた。なんだ、電池が弱ってきているのか。そう結論づけて、玄関の引き戸を開けた。そのときは、それだけの話だと思っていた。
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翌朝、時計店を探したが、あいにく町に一軒あった古い時計屋はもう閉業していた。仕方がないのでとりあえず電池交換を後回しにして、その日はスマホの時刻を基準に過ごすことにした。
父の農作業を手伝い、母と夕飯を食べ、夜はゆっくり休んだ。実家の布団の感触は、やはりよく眠れる。
二日目の夕方、用事があって近くの農協まで自転車で出た。帰りはまた、例の一本道を通った。
西の空が赤く染まっていた。夕暮れというより、もう少し後の、空の端だけが燃えているような色だ。スマホで時刻を見ると十八時十七分。日没まであと三十分ほどだろうと思いながら、自転車のペダルを踏んだ。
田んぼが両側に広がる。稲穂が少し頭を垂れ始めていた。風がなく、静かだった。
道の半ばあたりで、ふと気になってもう一度スマホを確認した。
十八時十七分。
まったく同じ時刻だった。
電波がないのかもしれないと思い、画面の上端を見た。電波は三本立っている。スマホを振ってみたり、一度画面を消してからまた開いたりしたが、時刻は変わらなかった。十八時十七分のまま、動いていない。
おかしい、と思いながらペダルを漕ぎ続け、やがて集落に入ったところでもう一度確認した。そのとき時刻は十八時三十一分になっていた。
あとで気づいたことだが、農協から家まで自転車で走れば普通は十分かかる。しかしそのとき感じた体感時間は、どう考えても二十分以上あった。時計が十四分分、止まっていた。いや、止まって見えていたのか、本当に止まっていたのかは、わからない。
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三日目の朝、僕はブログを書く習慣があるのだが、念のため前の晩の出来事を記録しておこうと思い立った。「二日目、夕暮れの帰り道でスマホの時刻が動かなかった。一本道の上だけ、時間が止まったみたいだった」という内容を、短く書き留めた。
その日の夕方、三度目のことが起きた。
腰の痛みが引いてきた父が、夕方に一緒に散歩に行こうと言い出した。目的地は集落はずれの小さな社だ。子どもの頃によく連れて行ってもらった場所で、久しぶりだなと思いながら並んで歩き出した。
当然、例の一本道を通ることになった。
夕暮れ時だった。空の色が変わり始める、その途中の色。赤と紫と藍色が、境目なく混じりあっている時間帯。地元ではそれを「逢魔が時」と呼んでいたと、父が歩きながら話してくれた。「この道、昔から夕方に変なことが起きるって言われてたんだ」と、父は笑いながら言った。
「変なこと、って?」と聞くと、「なんか時間がおかしくなるとか、そういう話」と返ってきた。
笑い飛ばせる雰囲気で言ってくれたので、僕もそのときは笑って流した。
社に着いたのは十九時前後だったと思う。手を合わせて、来た道を戻った。その帰り道のことだ。
道の半ばあたりを歩いていたとき、父が急に立ち止まった。
「な、今、何時だ」
僕はスマホを出した。十九時〇八分。
「俺の腕時計、十八時五十二分になってる」と父は言った。「さっき社を出るとき合わせたのに」
父の腕時計と、僕のスマホ。十六分ずれていた。
そして父の時計は、ちゃんと動いていた。秒針も動いていた。ただ、示している時刻が違った。
「電池かな」と父は言ったが、その声はどことなく平坦で、笑ってはいなかった。
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家に戻ってから、僕はもう一度ブログを開いた。昨日書いた記事を確認しようとした。
記事は、ある。タイトルも、内容も、自分が書いたとおりのものが残っている。
ただ、投稿日時がおかしかった。
記事を書いたのは三日目の朝だ。しかし表示されている投稿日時は「九月三日、十七時四十三分」になっていた。
最初にバス停から歩いてきたのが九月三日の夕方だ。そしてそのとき、一度目に腕時計を確認した時刻が、十七時四十三分だった。
つまりブログの記事は、僕が実家の一本道に足を踏み入れた、まさにその瞬間の時刻が刻まれていた。
内容は確かに三日目の朝に書いたものだ。なのに日時は、初日の夕方になっている。
ブログのシステムエラーかもしれない、とは思った。それは今でも思っている。だが、なぜ「十七時四十三分」なのか、という一点だけは、どうにも合理的な説明がつかない。その時刻に僕がブログを開いた事実はないし、その日の十七時四十三分に、パソコンもスマホも操作していない。ちょうどあのとき、田んぼの一本道を歩いていたのだから。
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帰省の最終日、帰りのバスに乗る前に、もう一度だけ一本道を歩いた。スーツケースを引いて、バス停に向かうために。
朝の十時過ぎ、晴れていた。逢魔が時とは程遠い、明るい午前中だ。怖いものなど何もないと自分に言い聞かせながら、砂利道に足を踏み入れた。
何も起きなかった。腕時計も、スマホも、ずれなかった。空は青く、風が稲穂を揺らし、何の変哲もない田舎道を十五分かけて歩き、バス停に着いた。
やっぱり夕方だけの話なのか。それとも、怪異は完結していて、もう終わったのか。
バスに乗り込んで、シートに深く座り、窓の外を見送りに来た両親に手を振った。バスが動き出した瞬間、窓越しに一本道が見えた。稲穂の向こう、道がまっすぐ伸びていて、その奥に誰かが立っているように見えた。
人影が見えた、と思った。でもバスはすぐに角を曲がり、見えなくなった。
見間違いかもしれない。かかしかもしれない。
それだけのことだ、と思いたい。
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帰宅してから、ブログの記事をもう一度確認した。
投稿日時が変わっていた。「九月三日、十七時四十三分」から、「九月六日、十七時四十三分」になっていた。六日というのは、帰省の最終日だ。一本道を最後に歩いた日だ。
時刻は、変わらない。十七時四十三分のまま。
僕はそのまま、今日の記録を書き始めた。二〇二三年九月のこと。実家への帰り道のこと。田んぼの中の一本道のこと。
書き終えて、投稿する前に念のためもう一度、日時を確認した。
投稿日時の欄には、こう表示されていた。
「九月三日、十七時四十三分」。
また最初に戻っていた。
そうか、とだけ思った。妙に納得している自分がいた。もしかしたら僕はずっと、あの夕暮れの一本道の、どこかを歩いているのかもしれない。腕時計の針が十七時四十三分を指した、あの瞬間から、まだ出られていないのかもしれない。
これを書いているのは、二〇二三年の九月だ。少なくとも、自分ではそのつもりでいる。

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