幼い頃、深夜の高速サービスエリアで自分の名前を呼ばれた記憶がある。ずっと夢だと思っていたが、調べるうちに、同じ場所で同じことが起きていた記録が出てきた。
これはわたしが小学校低学年のころ、おそらく七歳か八歳の夏に経験した話だ。
長いあいだ、あれは夢だったと思っていた。子どもの記憶は曖昧で、眠い状態で連れ回された夜の出来事など、現実と夢の区別がつかなくなることは珍しくない。だから二十年以上、わたしはあの夜のことを「たぶん夢」として心の引き出しの奥にしまい込んでいた。
それを掘り起こしたのは、去年の秋のことだった。
仕事の帰りに深夜のニュースをつけながら夕食を食べていたとき、高速道路のサービスエリアが映った。ただの交通情報の映像だった。駐車場の照明、白っぽいコンクリートの建物、まばらに停まったトラック。それだけなのに、わたしはそのまま箸を置いて、しばらく画面から目が離せなかった。
胃のあたりが、ぐ、と収縮するような感覚があった。
懐かしいのとも違う。怖いのとも少し違う。何かを思い出しかけているのに、最後の一枚がめくれないような、あの感じ。
その夜、眠れなかった。
—
子どもの頃、父の実家が県境をまたいだ遠い場所にあって、お盆や年末には必ず車で帰省した。片道五時間から六時間かかる道のりで、父は渋滞を避けるために決まって深夜出発にしていた。わたしと弟は後部座席に毛布を持ち込んで、走り出してすぐに眠った。
あの夜も、そのはずだった。
記憶の中で、わたしは後部座席で目を覚ます。車は停まっていた。窓の外は暗くて、駐車場の照明がぽつぽつと白く光っている。フロントガラスの向こうに、コンクリートの建物が見えた。自動ドアの周辺だけが明るくて、そこにいくつかの人影が見えた。
高速のサービスエリアだ、とすぐにわかった。
父と母の姿が車内にない。弟は隣で眠っている。フロントガラスには小さなメモが挟んであって、「トイレ行ってくる すぐ戻る」と父の字で書いてあった。
わたしはそのまま窓の外をぼんやり眺めていた。何時だったかはわからない。かなり遅い時間なのは確かだった。駐車場に停まっている車の多くは大型トラックで、乗用車はほとんど見当たらなかった。
しばらくして、気づいた。
建物の外、自動ドアからすこし外れた場所に、街灯が一本立っている。そのすぐ下に、子どもがいた。
わたしと同じくらいの背丈の子どもだった。薄い色の服を着ていて、街灯の光の中にじっと立っている。顔はこちらを向いているようだったが、距離があってよく見えなかった。
最初は「どこかの子が待ってるんだろう」と思った。でも、ずっと動かない。風があるのかTシャツの裾がわずかに揺れているのに、体がまったく動かない。
わたしは少し身を起こして、窓ガラスに額をくっつけるようにして見た。
そのとき、聞こえた。
わたしの名前を呼ぶ声が。
車の中に、はっきりと。
外の音が車内に入ってくるはずがない。窓は閉まっていた。それでも声は聞こえた。子どもの声だったのか、大人の声だったのか、それすら今はわからない。ただ、わたしの名前だったことだけは確かだった。下の名前を、一度だけ。
その瞬間、あの街灯の下の子どもが、こちらに向かって一歩踏み出した。
わたしは毛布を頭からかぶって、震えながら目をつぶった。どれくらいそうしていたかわからない。気づいたら父と母が戻ってきていて、わたしはまた眠っていた。
—
翌朝、親に聞いた。「昨日のSAで、外に子どもがいなかった?」と。
父は「そんなに遅い時間に子どもなんかいないよ」と笑った。母は「夢を見たんじゃないの」と言った。
それでわたしも「そうかな」と思った。眠い状態で車に揺られているときの記憶なんて信用できないし、子どもが深夜のサービスエリアに一人でいるわけがない。あれは夢だ。うとうとしながら見た、変な夢だ。
二十年以上、そう思って生きてきた。
—
去年の秋、画面の前で固まったあの夜から、わたしは少しずつ思い出すことにした。
記憶をほぐしていくような作業だった。どのSAだったか。どの季節だったか。何年のことだったか。父の実家への帰省だったから夏か冬のはずで、あの夜の空気の感触を手がかりに考えると、おそらく夏だった。窓の外の空気が蒸していた気がするから。
それから、あの子どもの立っていた場所のことを何度も頭の中で再生した。街灯一本分の明かりの中に、じっと立っていたあの輪郭。顔が見えなかったのは、距離のせいだけじゃなかったかもしれない。
もうひとつ、今になって気になることがある。
あの子どもは、どこから来たのか。
サービスエリアの外に出るには、通常の出口を通るしかない。フェンスがあって、一般道から入れる構造にはなっていない。深夜に、あんな小さな子どもが一人でいるのがそもそもおかしい。連れがいたとしたら、なぜ一人で外に立っているのか。
夢だと思うなら、それでいい。でも、もし夢じゃなかったとしたら。
—
わたしが調べ始めたのは、確かめたかったからじゃない。むしろ、夢だったという証拠を見つけたかったからだと思う。
父に連絡して、当時の帰省についてさりげなく聞いた。「子どもの頃、夏の帰省って高速で行ってたっけ」「どのへんのSAで休憩してた?」という感じで。父はあっさり答えてくれた。当時よく使っていたルートと、よく止まっていたSAの名前を、いくつか教えてくれた。
その中の一つが、県境に近い山間の高速沿いにあるSAだった。
ここかもしれないと思った。理由はうまく言えないが、父が「あそこは夜でも大型トラックが多かった」と言ったとき、記憶の中の駐車場の風景と重なった。
そのSAの名前で、インターネットをいろいろ調べてみた。口コミサイト、地図、交通情報。たいした情報は出てこなかった。
ひとつだけ、古い個人ブログが引っかかった。
もう更新が止まっている、かなり昔のブログだった。道の記録とでも言うような内容で、高速道路の旅の記録を書き続けていたらしい人のものだった。文体からして投稿者は中年の男性だと思われる。
その中の一記事に、例のSAの名前があった。
日付は、わたしがあの夜を経験したと思われる年の、ちょうど夏だった。
記事の内容は大したものではない。深夜に立ち寄ったこと、コーヒーを飲んで休憩したこと、空いていて静かだったこと。それだけのことが数行書いてあった。
ただ、最後の一文だけが妙だった。
「外の街灯の下に子どもが立っていた気がしたが、見間違いだろう。子連れの車でも停まっていたのかもしれない」
それだけだった。それだけなのに、わたしはしばらくその画面を見続けた。
—
次の日、もう少し掘り返した。検索ワードを変えながら、同じSAについての古い書き込みや記事を探した。
見つかったのは、二つだった。
一つは掲示板の書き込みで、日付は不明だったが「深夜にあのSAを通ったとき、駐車場の端に子どもが立っていた。なんとなく怖くてすぐ出た」という短いものだった。
もう一つは、個人の旅日記のページで、こちらは別の年の夏の記録だった。「休憩中、車の中から外を見ていた娘が急に泣き出した。何を見たのか聞いても答えなかった」とある。場所は明記されていなかったが、その前後の記述から、同じルート上のSAであることがほぼわかった。
子どもが泣き出した、というくだりを読んで、わたしは自分が毛布を頭からかぶったあの感触を思い出した。
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あれが夢だったのか、現実だったのか、今でもわからない。
でも、わたしの名前を呼んだあの声は、夢の中の声にしてはあまりに具体的だった。下の名前を、一度だけ、はっきりと。まるで外から窓を隔てて呼ばれたような、あの感じ。
あの子どもは何だったのか、ということも考えた。街灯の下に立っていた、わたしと同じくらいの背丈のあれが。
そして、どうしても引っかかっていることがもう一つある。
毎朝決まった時間に、わたしは目が覚める。
年齢を重ねてから気づいたことだが、アラームをかけていなくても、どんなに遅く寝ても、わたしは必ず午前三時四十分ごろに一度目が覚める。ちょうど二十分ほど起きていて、また眠る。それが子どもの頃からずっと続いている。
あの夜、あのSAに停まっていたのが何時だったか、父には確認していない。
確認するのが、少し怖い。
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この話を書こうと思ったのは、整理したかったからだ。頭の中にばらばらとある記憶の断片を、一度並べてみたかっただけだ。だからといって、何かの結論が出たわけじゃない。
ただ、一つだけはっきりしていることがある。
あのブログの記事も、掲示板の書き込みも、旅日記のページも、全部が夏の、夜中の話だった。
そしてどれにも、子どもが出てくる。
呼ばれたのは、わたしだけじゃなかったのかもしれない。
あるいは、あの街灯の下のそれが、誰かを探し続けているのかもしれない。
毎年、夏の夜に。
深夜のサービスエリアで。
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このブログを読んでいる人の中に、もしあの場所を知っている人がいたら、教えてほしい。それだけが、今のわたしに言えることだ。


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