あの廃病院だけ、季節が違った

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定年を機に移り住んだ田舎の町に、ひとつだけ季節を持たない場所があった。毎晩その廃病院の前を通るうち、男は「向こう」が自分に気づいていることを知った。

定年してから、人に話したくなるまでに三年かかった。

妻には最初から全部話している。でも妻は「あなたが疲れていたんでしょう」と言って、それ以上は聞こうとしなかった。否定しているわけじゃない。ただ、彼女なりの着地点がそこだったんだと思う。私も最初はそう思いたかった。でも三年経って、やっぱりそうじゃなかったと確信するようになった。だから今日、こうして書いている。

私は六十二歳のとき、長年勤めた会社を定年退職した。子どもたちはそれぞれ独立していたし、妻と二人で「どうせなら」と話し合って、都市部の社宅を引き払い、妻の母方の実家がある小さな町に移り住むことにした。山と川に挟まれた、県境に近い静かな土地だ。最寄りの駅まで車で二十分かかるような場所だけれど、空気がきれいで、野菜が安くて、なにより静かだった。定年後の暮らしとして、悪くないと思っていた。

問題の場所に気づいたのは、移住して最初の秋のことだ。

私は毎晩、夕食後に散歩をする習慣を作っていた。都会にいたころは運動不足を気にしながらも面倒で続けられなかったのだが、この町に来てから不思議とそれが続いた。空気が澄んでいて、歩くこと自体が気持ちよかったのだと思う。ルートは決めていなかった。気の向くままに細い農道を歩いたり、川沿いを下ったりしていた。

その夜も特に目的なく歩いていて、いつもより少し遠回りをした。川から離れ、山の裾野に近い側へ進んだところで、私は足を止めた。

木立の向こうに、大きな建物があった。

二階建てか三階建てか、暗くてよく見えなかったが、とにかく大きかった。窓がいくつも並んでいて、どこにも灯りがない。草が相当伸びていて、外壁のあちこちが黒ずんでいた。廃墟だということはすぐにわかった。でもそれよりも気になったのは、木立の手前と、建物のある敷地とのあいだで、なにかが違うと感じたことだ。

うまく言葉にならないのだが、あえて言うなら「空気の色」が違った。

私が立っている場所は秋だった。九月の終わりで、草はまだ青みを残しながらも日中の暑さが引いて、夜風が涼しかった。でも木立の向こう、廃墟の建つ敷地の中だけ、なんとなく緑が濃かった。真夏のような、青々とした草が茂っているように見えた。夜目だから錯覚かもしれないと思った。実際その日は気にしないようにして家に帰った。

翌日、近所の人に聞いてみた。

「ああ、あそこね」と言ったのは、徒歩五分ほどのところに住む、七十代の老人だった。顔見知り程度の間柄だったが、この町のことは何でも知っているような人で、移住してからなにかと世話になっていた。「昔の療養所だよ。四十年くらい前に閉まったかな。結核の患者を診てた病院だ」

「あの建物、まだ残ってるんですね」

「残ってるよ。誰も買わないし、壊す金も出ないから、そのままにしてある」

「夜に近くを通ったんですが、あの敷地の中、草が妙に青々してませんか」

老人は少し黙ってから、「夜は近くに行かない方がいい」とだけ言った。理由は教えてくれなかった。

その一言が、逆に気になってしまった。

私は翌日の夜も、同じ道を歩いた。意図的に廃病院のそばを通るルートを選んだ。言い訳するつもりはない。単純に好奇心だった。

近づいてみると、やはりおかしかった。

敷地を囲むように古いブロック塀が続いていて、その外側に私は立っていた。塀の外は間違いなく秋だった。足元の草には朝の露が乾いた跡があり、道の端には枯れ始めた葉が落ちていた。ところが塀の内側、廃病院の敷地に茂る草と木は、青くて、重くて、まるで盛夏のような姿をしていた。塀の真上から外側に飛び出している枝は枯れているのに、塀の内側の枝は青々としている。同じ一本の木の、塀を境にした手前と奥で、季節が違った。

私は携帯で写真を撮った。帰ってから確認すると、その差異はちゃんと写っていた。妻に見せたが「暗くてよくわからない」と言われた。確かに夜の写真だから鮮明ではなかったが、私には明らかに見えた。

それから私は、毎晩その場所を通るようになった。

最初は純粋に記録のつもりだった。ブログに日記的なものをつけていたから、そこに写真と観察をまとめようと思っていた。十月になっても、十一月になっても、廃病院の敷地の中は夏のままだった。私が立つ道側では木枯らしが吹き、コートが必要なほど気温が下がっているのに、塀の向こうはあの緑を保っていた。

変化に気づいたのは、十一月の中頃だったと思う。

それまで、廃病院の建物には変化がなかった。窓は全部閉まっていて、灯りもなく、人が入った形跡もなかった。ところある夜、三階(だと思う)の窓のひとつが、わずかに開いているように見えた。風でそうなったのかもしれない。でも気になって翌日の昼間に遠くから確認すると、その窓はちゃんと閉まっていた。

夜になるとまた、少し開いていた。

その頃から、私の中で「面白い謎」という感覚が「居心地の悪いもの」に変わっていった。

十二月に入って、ある夜のことだ。いつもより少し遅い時間に出かけた。廃病院の前に差しかかったとき、塀の向こうの木の間に、白いものが見えた。

立っているのか、浮いているのか、距離があってわからなかった。ただ白く、長細い形をしていた。服を着た人間のようにも見えたし、光の加減かとも思った。私はしばらくそこで立って見ていた。白いものは動かなかった。五分か十分か、時間の感覚がなくなったころ、私は「もう帰ろう」と思い、踵を返した。

その瞬間だった。

後ろから風が来た。冷たい、強い風。でもおかしいのはその風の温度だった。冬の風ではなかった。湿っていて、草の匂いがして、真夏の夜に川沿いで受けるような生暖かい風だった。一秒か二秒でそれは止み、また冬の夜の空気に戻った。

私は振り返らずに家まで帰った。妻はもう寝ていた。

翌日から、散歩のルートを変えた。廃病院の前を通らないようにした。それが正しい判断だったのかどうか、今でも判断がつかない。通い続けたら何かがわかったかもしれないし、何かに引き込まれていったかもしれない。

老人に会ったのはその翌週だった。

「最近、夜の散歩はどうだ」と向こうから聞いてきた。私は正直に、あの廃病院の前を通るのをやめたと答えた。老人はうなずいて、「それでいい」と言った。

「あの場所、なんかあるんですか」

老人は少し間を置いてから言った。「あそこはね、ずっと昔からそうなんだ。夏の匂いがする。冬でも。昔の人はあそこで大勢死んだから、その人たちがまだ夏にいるんだと、うちの親父は言ってた」

「療養所の患者さんたちが、ということですか」

「さあ。ただ、夜にあの前を通り続けると、向こうが気にし始めるって言う人もいた」

「気にし始める、というのは」

「こちらを見る、ということかな」

それ以上は話してくれなかった。

あの白いものが、こちらを見ていたのかどうか。風を送ってきたのが、それだったのかどうか。私にはわからない。ただ一つだけ確かなことは、冬の夜に受けた、あの生暖かい草の匂いのする風は、現実だったということだ。写真と違って、それは私の身体が覚えている。

今もあの廃病院は、あの町の山裾に立っている。塀の中だけ、夏のまま。

誰かが毎晩前を通れば、向こうはまた、気にし始めるのだろうか。

私はもう行かないと決めた。でもあなたが、もしあの町に立ち寄ることがあったとして、夜道でその場所の前に差しかかったとしたら、どうする。通り続けますか。それとも、引き返しますか。

私には、正解がわからない。

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