一人暮らしの部屋に置いた姿見に、ある日から「映るはずのものが映らない」ことに気づいた。最初は光の加減だと思っていた。
その鏡を拾ったのは、去年の秋の終わりごろだった。
引っ越してきたばかりのアパートの前に、粗大ゴミとして出されていた姿見だった。木の縁取りがついた、縦長の古いタイプの鏡で、高さは私の身長よりすこし低いくらい。表面にはうっすらと曇りがあったけれど、ちゃんと拭けばきれいに映りそうだった。捨てるのがもったいないとは思わなかった。ただ、自分の部屋に必要なものが、ちょうどそこにあった、というだけの話だ。
引き取り自由、と書いた紙が貼ってあったから、私はそれをひとりで部屋まで運んだ。二階だったけれど、姿見は意外と軽くて、思ったよりずっと簡単に持ち上がった。
部屋の隅、窓とクローゼットのあいだに立てかけて、乾いた布で磨いたら、ちゃんとした鏡になった。自分の顔が映った。引っ越し疲れで少し目の下にクマができていたけれど、それもちゃんと映っていた。
最初に「おかしいな」と思ったのは、その三週間ほど後のことだった。
朝、出かける前に鏡の前に立って、コートのボタンを確認していた。私は几帳面なほうで、上から順番にボタンが全部閉まっているかを必ず確認する。その日もそうしていたのだけれど、ふと気がついた。鏡の中に、部屋の観葉植物が映っていない。
観葉植物、というのは小さなポトスで、百均で買ったプラスチックの鉢に入っていた。鏡の左端の、ちょうど窓際に置いてあるやつだ。自分の姿を鏡で見れば、左後ろあたりにそれが見えるはずだった。でも映っていなかった。
変だな、と思って振り返ったら、ポトスはちゃんとそこにあった。鉢ごと、いつもの場所に。
「光の加減かな」と思って、そのまま出かけた。秋の朝は角度によって光が変に差し込んでくることもあるし、たまたま鏡の位置から死角になっていたのかもしれない。そういうことにした。
でも次の日も、ポトスは映らなかった。
さらに三日後、今度は部屋に置いてある小さなラジオが映らなくなっていた。ラジオはテレビ台の上に置いてあって、鏡からちゃんと見える位置にある。自分の後ろ右側に映るはずのラジオが、鏡の中だけ存在していなかった。振り返ればある。鏡を見ると、ない。
私は少しだけ怖くなって、鏡の角度をずらしてみたり、位置を変えてみたりした。でもどこに置いても、映らないものは映らないままだった。
一週間後、椅子が映らなくなった。
デスクチェアではなく、部屋の真ん中あたりに置いているアンティーク風の木の椅子で、座面に薄いクッションが乗っている。背が高くてわりと存在感のある椅子なのに、鏡の中ではそこだけぽっかりと空白だった。椅子があるべき場所の床と壁が、何もないかのように映っていた。
このあたりから、私は鏡を直接見るのが怖くなってきた。
映らないものはすべて、鏡の「背景」にあたる部分、つまり私の後ろ側に存在するものだった。自分自身はちゃんと映っている。顔も、服も、手も。ただ、私の後ろにあるものが、少しずつ、増えていく速度で消えていく。
気持ち悪いなとは思いながら、私は鏡に布をかけることもなく、毎朝そこに立ち続けた。怖いのに確認してしまう、というのは我ながら変な話だけれど、映らないものが増えるたびに、何か法則があるんじゃないかと思い始めていた。
試しにメモをつけ始めた。日付と、「今日から映らなくなったもの」をリストにした。
十一月七日。ポトス。
十一月十日。ラジオ。
十一月十三日。木の椅子。
十一月十六日。本棚の上段(本ごと)。
十一月二十日。テレビ台全体。
三日か四日おきに、一つずつ消えていく。規則的だった。不規則に消えるより、規則的なのがよけいに怖かった。
十一月の終わりに、友人を呼んでみた。Aちゃんという子で、大学からの付き合いの、話せる相手だ。「ちょっと変な話があるんだけど」と前置きして、メモを見せた。Aちゃんはおもしろそうに笑いながら聞いていたけれど、実際に鏡の前に立ったとき、少し顔が変わった。
「ほんとに椅子が映ってない」と彼女は言った。私の後ろに椅子があるのに、鏡には映っていない。彼女にもそう見えた。見間違いじゃなかった。
Aちゃんは鏡を触ったり、ライトで照らしたりして、しばらく調べていたけれど、「わかんない、これ普通じゃないよ」と言って少し引いた顔をした。怪談が好きな子なのに、それがかえって嫌だった。「怖い話」として処理できなかったということだから。
彼女が帰ったあと、私は鏡の前に一人で立って、映っている自分の顔を眺めた。後ろがほとんど空白になっていく部屋の中で、私だけがちゃんと映っていた。それがなんだか、とても不自然に見えた。
十二月に入ってから、消えるペースが少し上がった。二日おきになった。カーテンが消えた。収納ボックスが消えた。床に置いたバッグが消えた。鏡の中の「私の後ろ」は、どんどん何もない白い空間になっていった。壁の色さえ、なんとなく薄くなっているような気がした。
そしてある朝、気づいた。
鏡の中の床が、違う。
自分の足元の床、鏡に映っているその部分の色が、実際の床より少しだけ明るかった。フローリングの木目の色が、鏡の中だけわずかに違う。最初は光の加減かと思った。でも曇りの日も、夜も、ずっとそうだった。
鏡の中の床は、私の部屋の床じゃない。
それに気づいてから、私は鏡の前に立つとき、自分の足元を見るのが怖くなった。映っている「自分」の足元に広がる、見覚えのない床。後ろには何も映らない、白い空間。
私はいつの間にか、どこか別の場所に立っているんだろうか。
一月の初めに、私はその鏡を部屋の外に出した。廊下の突き当たりに立てかけて、二日間そのままにした。誰かが持っていくかもしれないと思った。でも持っていく人はいなかった。
三日目の朝、私はまた鏡を部屋に入れた。自分でもなぜそうしたのかわからない。ただ、廊下に出したあいだ、鏡を確認せずにはいられなくて、夜中に何度も廊下を覗いていた。鏡なしで眠れなかった、というより、鏡が視界の外にあることのほうが怖かった。
部屋に戻した鏡の前に立つと、また自分が映った。後ろには相変わらず何も映らない。床は、やっぱり少し違う色だった。
それから一ヶ月ほど経つ。
消えるものはもう部屋にあまり残っていない。私の持ち物のほとんどが、鏡の中では存在していないことになっている。今映っているのは、自分と、壁の薄い色と、見覚えのない床だけだ。
最近になって、もう一つ気になっていることがある。
鏡の中の自分の影が、実際の自分の影と少しだけ向きが違うような気がする。
光源は同じはずだから、影の向きは一致するはずだ。でも鏡の中の私の影は、ほんのわずかだけど、別の方向に伸びている。まるで、鏡の中の「私がいる場所」には、別の光が当たっているみたいに。
私はメモをまだつけている。
消えていくものの記録と、影の向きの記録。数字と日付と、見たままのことを書いている。
でも最近、ふと思うことがある。
もし鏡が映しているのが「今の私の部屋」じゃないとしたら、鏡の中の「私」は何を映しているんだろう。
鏡は私を映している。それだけは確かだ。
でも私は、鏡の中のどこに立っているんだろう。
後ろに何もない、白い空間のなかで、見覚えのない床の上に。
今日もその鏡の前に立って、これを書いている。


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