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毎晩、日記の内容が少しずつ変わっていた | 不可解ノート

毎晩、日記の内容が少しずつ変わっていた

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三年間つけ続けた日記を読み返したとき、私は自分が書いた覚えのない記述を見つけた。しかしそれは、確かに私の筆跡だった。

日記をつけ始めたのは、大学を卒業して最初の職場に入った年の春だった。

特別な理由があったわけじゃない。配属先の上司が「若いうちは記録をつけておけ。後で必ず役に立つ」と言っていて、なんとなくその言葉が引っかかったのだ。文具屋で適当なノートを買って、その日の夜から書き始めた。A5サイズの黒い表紙のもので、中身は無地。一日一ページを目安に、その日あったこと、感じたこと、気になったことを、特に形式も決めずに書き続けた。

三年が経って、ノートは四冊目に入っていた。

異変に気づいたのは、ちょうど三冊目が終わって四冊目を書き始めた頃のことだ。

職場で小さなトラブルがあって、以前にも似たようなことがあったような気がして、一冊目のノートを引っ張り出した。入職して間もない頃の記録だから、もう二年半以上前の話になる。読み返すのはその時が初めてだった。

ページをめくりながら、懐かしいような、恥ずかしいような気持ちで読んでいたのだけれど、途中で手が止まった。

六月の半ばに書かれた一文が、妙だったのだ。

「帰り道、橋の上で誰かに見られている気がした。振り返ったけど誰もいなかった。でも確かに、誰かいた」

橋。私の通勤経路に橋なんてない。入職したときから今の部屋に住んでいて、職場まで徒歩で十五分もかからない平坦な道を歩いている。川も橋も、ルート上には存在しない。

書き間違いかと思ったけれど、文章の流れは自然だった。前後の文章と矛盾なくつながっていて、わざわざ付け加えたような不自然さはない。私の字で、私のボールペンで、私のノートに書いてある。

でも私には、そんな橋を渡った記憶がない。

そのときは、「昔こんなこと書いたっけ」くらいに流した。記憶というのはいい加減なものだし、二年以上前のことなら覚えていなくて当然だとも思えた。

それだけなら、ここに書くほどのことでもなかった。

問題は、その後も続いたことだ。

一週間後、今度は二冊目のノートを開く機会があった。去年の記録だ。読み返していると、八月の終わりにこんな記述があった。

「今日、同僚のNさんに廊下で会ったとき、なんだか顔が違う気がした。髪型も同じ、服も見たことある。でも、目が笑っていなかった。いつものNさんじゃない、と思った。気のせいかな」

Nさんというのは、同じ部署の先輩だ。温厚でよく笑う人で、私が職場で一番話しやすいと感じている相手だった。でも、そんなことを思った記憶がない。Nさんに不気味さを感じたことなど、一度もなかったはずだ。

それに、私はNさんのことをノートに「Nさん」と書く習慣がなかった。いつも下の名前をそのまま書いていたのに、そこだけ「Nさん」という書き方になっていた。

筆跡は間違いなく私のものだ。字の崩し方、句読点の打ち方、行間の詰め方。全部、私の癖が出ている。誰かが書き足したとか、別のノートが紛れ込んだとか、そういう可能性はほぼない。

でも、私はこれを書いた記憶がない。

気になって、一冊目に戻った。今度は最初から丁寧に読んだ。すると、一度目に読んだときには気にならなかった箇所が、いくつか引っかかってきた。

「なんとなく、この部屋に来るたびに空気が違う気がする。前回来たときと、においが違う」

これは、当時まだ付き合っていた人の部屋について書いたと思われる記述のそばにあった。でも、前後の文脈を読む限り、それは私の部屋について書いているように読める。「この部屋に来るたびに」という表現が、どちらとも取れる曖昧な書き方になっている。

もう一つ。

「夜中の三時ごろ目が覚めた。理由はわからない。部屋の隅を見たら、何かが立っているような気がして、目を閉じた。朝起きたら何もなかったから、夢だったのだと思う」

これは完全に記憶にない。私はそういった怖い経験を文章にして残しておくのが怖いタイプで、もし本当にそんなことがあったなら書かないか、別の言い方をするはずだ。「何かが立っているような気がした」などという直接的な表現を使うとは思えない。

私は三冊のノートを全部並べて、時系列に沿って読み直した。

そこで気づいたのだけれど、記憶にない記述には、一定の傾向があった。

どれも、「誰かに見られている」「場所が違う」「顔が違う」「においが違う」という、ズレや食い違いに関する内容だった。そして、それぞれの文章の前後に自然に溶け込んでいて、意図的に抜き出して読まなければ気づかないような場所にある。

誰かが書き足したにしては、筆跡が完璧すぎる。私が書いたにしては、記憶がない。

ある夜、試しに一冊目を最初から最後まで全ページ写真に撮った。証拠を残しておこうと思ったわけじゃないけれど、なんとなくそうしたかった。

翌朝、撮った写真と実際のノートを見比べてみると、昨夜撮ったはずの写真の中に、さっき読んだ「橋の上で誰かに見られていた」という記述が見当たらなかった。

スマートフォンの写真アプリでその日付の写真を全部確認したけれど、その一文が含まれるページだけが、白く飛んでいた。あるいは、そもそもその一ページだけ、撮り忘れたのかもしれない。

でも、今ノートを開くと、その文章はそこにある。

私はしばらくそのページを眺めて、ノートをそっと閉じた。

今でも日記は続けている。四冊目を毎晩書いている。

ただ、最近は書いた直後にその日のページを写真に撮るようにしている。翌朝、写真と見比べて、ちゃんと同じ内容が書いてあるかどうかを確認するために。

今のところ、写真と食い違いが生じたことはない。

でも、こういう確認を始めてから気になっていることがある。

写真を見ると、確かに昨夜書いた内容が写っている。字も、内容も、間違いなく私が書いたものだ。でも、実際にノートを開いて読むと、写真には映っていないはずの一文が、ページの余白にぽつんとあることがある。

薄い字で、まるで消えかかっているような、それでいてはっきりと読める字で。

一番最近見つけたのは、先週の木曜日の記録だった。余白の下のほうに、こう書いてあった。

「気づいているのに、なぜまだ読み返しているの」

私の字だった。

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