友人・カワムラから届いた留守電に、彼ではない声が混じっていた。最初は雑音だと思っていた。でも聴き返すたびに、その声は少しずつ、内容を変えていた。
これを書こうと決めたのは、先月、カワムラから荷物が届いたからだ。段ボール箱のなかに入っていたのは、古いICレコーダーと、一枚のメモ用紙。メモには「全部聴いてほしい」とだけ書いてあった。カワムラの字だった。でも差出人の欄には、彼の名前がなかった。住所だけが、県北の山沿いの町名で書かれていた。
俺が事の発端に気づいたのは、もう三年近く前のことになる。
当時、俺は内陸の中規模な街に住んでいて、カワムラとは大学時代の友人だった。卒業後はそれぞれ別の方面に職を得て、月に一度連絡を取るかどうかというくらいの距離感だったけれど、会えば昔に戻ったみたいにすぐ話せる、そういう相手だった。
最初の留守電が入っていたのは、九月の終わりごろだった。
その日は仕事が長引いていて、スマートフォンをロッカーに入れたまま三時間ほど席を外していた。戻ってみると、カワムラからの着信が一件と、留守番電話の通知が入っていた。珍しいな、と思いながら再生した。カワムラが留守電を残すのは、ほとんど記憶にないことだったから。
「よー、俺だ。急ぎじゃないけど、ちょっと聞いてほしいことあって。また掛け直す」
それだけだった。二十秒にも満たない、短いメッセージ。声も普通で、特に変わったことは何もなかった。折り返そうとしたけれど、そのまま翌日になってしまって、昼休みに電話すると、カワムラはすぐに出た。
「あ、昨日はごめんな。たいしたことじゃなかったんだけど、なんか急に話したくなって」
聞いてみると、職場でちょっと嫌なことがあったとか、最近眠れていないとか、そういう話で、深刻なものではなかった。三十分ほど話して、電話を切った。留守電のことは、そのとき既に頭から消えていた。
次の留守電が入ったのは、それから二週間後だった。
また仕事中の着信で、今度も再生すると、カワムラの声から始まった。
「お前に見せたいものがあって。写真じゃなくて、直接見てほしいんだけど、今度の土日とか都合どう」
ここまでは普通だった。問題は、その後だ。
カワムラの声が終わったあと、わずか一秒か二秒ほどの、何かが続いた。最初は電波の乱れか、それとも切れる直前の雑音だろうと思った。でも、なんとなく気になってイヤホンを付けてもう一度聴いてみると、それが音ではなくて、声だとわかった。
低い、男の声だった。
何を言っているのかは聞き取れなかった。ただ、確かに声だった。カワムラの声ではない。もっと低くて、籠もっていて、まるで何かの隙間から漏れてくるような音だった。
俺はその場で三回聴き返した。三回目に、かろうじて「いる」という言葉だけが聞き取れた気がした。でも確信はなかった。空耳かもしれない、と自分に言い聞かせた。
カワムラに電話して、土曜日に会う約束をした。彼の声は明るかった。留守電のあとに声が入っていたこととか、気になったこととか、そういうことは言わなかった。なんとなく、言いにくかった。
土曜日に会ったとき、カワムラが見せたいと言っていたのは、彼が最近引っ越した部屋の話だった。県境に近い山沿いの町に、仕事の関係で移ったらしく、古い一軒家を借りているということだった。写真を見せてもらったが、確かに年季の入った建物で、でも手入れはされていて、悪い印象はなかった。
「なんかいい感じだろ。家賃も安くてさ。ちょっと遠いけど、落ち着いてて気に入ってる」
それだけだった。見せたいものというのが、その写真のことだとしたら、わざわざ直接、というのは少し大げさな気もしたけれど、カワムラは楽しそうだったし、俺もその話を特に深く掘り下げなかった。
留守電の声のことは、その日も言えなかった。
問題が大きくなったのは、十一月に入ってからだ。
カワムラから、また留守電が入っていた。今度は夜中の二時過ぎに着信があったようで、俺は寝ていたから気づかなかった。朝に再生すると、カワムラの声はいつもより少しだけ、掠れていた。
「ちょっと聞きたいんだけど、変なこと言うと思うんだけど。お前、俺が電話したとき、変な声が入ってたとかなかった。まあいいや。また話す」
俺は布団の上で、スマートフォンを持ったまましばらく動けなかった。
再生を止めて、頭の中を整理した。カワムラも気づいていた。彼の方も、何かを聞いていたのかもしれない。俺宛てではなく、もしかすると彼自身が送った留守電に、あとで気づいたのかもしれない。
それから数秒後、また再生を押した。
カワムラの声が終わると、また、あの声が入っていた。
今度は、前より長かった。
籠もった、低い声で、はっきりとした言葉になっているとは言えないけれど、それでも俺には聞こえた気がした。「もどれない」という言葉が、ぽつりと落ちるような速さで、入っていた。
俺はすぐにカワムラへ電話を掛けた。何度掛けても、繋がらなかった。
午後になってようやく繋がったとき、カワムラの声は普通だった。昨夜の留守電について聞くと、「あー、なんか変なこと言ったっけ。眠れなくてちょっとおかしかったかも」と笑っていた。変な声が入っていたことを伝えると、彼はしばらく黙ってから、「俺も気になってた」と言った。
「あの家に引っ越してから、なんかちょっと変で。夜中に外から音がするとか、そういう話じゃないんだけど、なんていうか、誰かいるような感じがするんだよな。気のせいだとは思うんだけど」
俺は、録音を送ってほしいと頼んだ。俺の手元に残っている留守電も、彼に送った。お互いに確認しようと思ったからだ。
カワムラから送られてきた音声ファイルは、彼が家の中で録ったというもので、ただ部屋の環境音を数分間録音したものだった。聴いてみると、最初の一分は何もなかった。二分目あたりから、微かに、何かが聞こえた。
足音、ではないと思う。でも、何かが移動しているような音だった。
俺はそのファイルを、三回聴いて、保存した。それ以上は聴けなかった。
年が明けてから、カワムラとの連絡が、少しずつ間遠になった。彼が忙しいのかもしれないと思っていたが、二月に久しぶりに電話すると、声が以前と比べて妙に平坦だった。内容のない話を少しして、電話を切った。
三月に、最後の留守電が届いた。
今度は昼間だった。再生すると、カワムラの声ではなく、最初からあの低い声だけが入っていた。
カワムラの声は、一切なかった。
低い声は、十秒ほど続いた。俺は何度も聴いた。最終的に聞き取れたのは、「もう、ここにいる」という言葉だったと思う。でも確かではない。
その日の夜、カワムラに電話を掛けた。繋がった。
「大丈夫か」と俺が言うと、「大丈夫だよ」と彼は言った。声は、前より更に平坦だった。
「あの家、まだ住んでるのか」
「住んでるよ。気に入ってるから」
「変なことはもうないか」
少し間があって、「ないよ。最初からなかったと思う」と言った。
俺はそれ以上、何も聞けなかった。
あの留守電は今もスマートフォンの中に残っている。聴き返すことはしていない。カワムラとは、それ以来、連絡が取れていなかった。
先月、段ボールが届くまでは。
ICレコーダーの中には、数十個の音声ファイルが入っていた。俺はまだ、最初の三つしか聴いていない。四つ目以降は、再生ボタンを押す気になれないでいる。
メモに書かれた「全部聴いてほしい」という言葉が、頭から離れない。
あれはカワムラの字だった。でも、カワムラが送ったものかどうかは、わからない。
差出人の欄に名前がなかったことが、俺にはどうしても引っかかっている。


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