ダム湖の近くで道に迷ったタクシー運転手が、水没した村の集合写真を手に入れた夜から、乗客のひとりが増えていった。あの写真の中で、毎朝、確かに増えていく人数を、俺は最後まで数えることができなかった。
これは俺が経験した話で、今でも説明がつかないことがある。怖かったというより、ずっと落ち着かない感じが続いた、そういう話だ。興味があれば聞いてほしい。
俺は県境近くの山間いの町で、個人タクシーをやっている。四十二歳、独り身で、昼間より夜の流しが多い。山道や峠越えの客を夜通し乗せることもよくある仕事で、土地勘だけは誰にも負けない自信があった。少なくとも、あの台風が来るまでは。
去年の九月の末、大型の台風が山を直撃した。俺の車は前夜に最終便を終えてから車庫に入れていたので無事だったが、翌日の朝から道路があちこちで崩れていた。いくつかの林道は通行止めになり、迂回ルートを把握し直すのに数日かかった。
台風が通り過ぎて三日目の夜、俺はその夜初めての乗客を乗せた。駅前でつかまえた年配の男性で、荷物は小さいボストンバッグひとつ。行き先は「荒木沢のダムの管理事務所近く」と言う。そこまで行ったことは何度もあったが、台風後の迂回路を頭の中で組み立てながら走った。
途中から本降りになってきた。台風の残り雨で、山沿いは地面が既に飽和している。リアウインドウに弾ける雨音が車内に籠もって、会話らしい会話もないまま走った。男性は窓の外を眺めているだけで、特に怖がっている様子もなかった。
ダム手前の分岐で俺はナビと地図を見比べた。台風後に一本通行止めになった林道のせいで、普段なら右折するところを直進せざるを得ない。そこまではよかった。問題は、直進して五分ほど走ったところで、道が消えていたことだ。
正確に言うと、道そのものは続いていた。ただ、路肩が崩れていて、砂利が二十センチほど車道に流れ込んでいた。引き返せないことはないが、そのまま走るのは危うい。俺は車を止めてライトで先を確認しに出た。
雨のなかでスマホのライトをかざしたとき、俺は道沿いの草むらに何かが挟まっているのを見つけた。封筒大の、薄い紙の束だった。泥がついているが、ビニールの袋に入っていたのか、中身はそれほど濡れていない。後で捨てようと思って助手席の下に突っ込み、なんとか迂回して乗客を届けた。
管理事務所の近くの一軒家に男性を送り届けたのが夜の十一時過ぎ。引き返す途中で雨がひどくなり、俺は山の手前にある道の駅に車を止めて夜明けを待つことにした。車の中で時間を潰しながら、助手席の下から取り出したビニール袋を開けた。
中身は写真だった。古い印画紙の、集合写真が一枚と、それ以外に何枚か風景の写真が入っていた。集合写真は、モノクロではなかったが色あせていて、恐らく昭和の後半から平成の初めごろのものだろう。撮影場所は屋外で、背景に山と、木造の建物が写っている。おそらく祭りか行事のようなもので、老若男女が並んでいた。数えると、四十一人いた。
写真の裏に手書きの文字があった。「昭和六十三年 荒木沢 秋祭り記念」とある。荒木沢。さっきダムに向かった道の名前と同じだ。俺はダムの由来をなんとなく思い出した。あのダムが完成したのは平成の初め。工事の前に湖底に沈んだ集落があったはずで、地元の年配者に聞いたことがあった気がする。
風景写真のほうは、田んぼや畦道、小さな社、庭木が何本か写っているものが多く、どれも同じ集落で撮られたものだろう。素朴な日常の風景で、恐ろしいものは何もない。俺はひとまずそれらをまた袋に戻し、どこかに届けるか捨てるか後で考えようと思って仮眠を取った。
翌朝、明るくなってから改めて写真を見た。
おかしいと気づいたのは、集合写真の人数を数え直したときだった。夜に数えたとき四十一人だったはずが、もう一度指で追っていくと四十二人いた。俺は自分が数え間違えたのだと思った。夜の車内、疲れた頭で数えたのだから、そんなものだろうと。
仕事に戻ってからの三日間は特に何もなかった。その写真は家の引き出しの中に入れたまま忘れていたが、ふと思い出して四日目の夜に取り出した。
四十三人だった。
何度数えても四十三人いる。俺は写真を裏返して置いて、お茶を飲んでからもう一度数えた。それでも四十三人だった。夜が明けてもう一度確認しようと思ったが、なんとなく気が進まなくて引き出しに戻した。そのまま一週間、俺は意図的にその引き出しを開けなかった。
客を拾って走るあいだ、俺は何も考えないようにしていた。ただ道を走る、それだけに集中していた。ところが、その週の木曜の夜、俺は少しおかしな感覚を覚えた。
信号待ちをしていたとき、バックミラーに後部座席が映った。客は乗っていない。それはわかっている。ただ、シートのへこみ方が、なんとなく人が座っているときの感じに見えた。気のせいだとわかっている。でも気になって、信号が変わってからもしばらくミラーをちらちら確認してしまった。
その夜は結局、最後の客を送り届けるまで何事もなかった。家に帰って風呂に入りながら、俺はその感覚を打ち消そうとしていた。ところが翌朝、洗面台で顔を洗いながら、引き出しの写真のことを思い出した。
開けた。
四十五人いた。
俺は引き出しを閉めて、しばらく洗面台の縁に手をついていた。外は曇っていて、窓から入る光が弱かった。何が起きているかわからなかった。写真が変わるはずがない。でも、数が違う。
その日の昼間、俺は地元の図書館に行った。ダム建設に関する資料を閲覧させてもらうためだ。古い文書や広報誌をめくっていくと、ダム湖に沈む前の集落に関する記事がいくつか出てきた。荒木沢という集落が存在したこと、移転が決まってから十年かけて住人が少しずつ別の地域に移ったこと、最終的に完全に水没した年が書かれていた。
そして、ある広報誌の写真の横に短い文章があった。「移転を余儀なくされた方の中には、行き先が決まらないまま最後まで集落に残ることを望んだ方もおられました」。行き先が決まらないまま。
俺は写真の束を持って、翌日の休みに荒木沢ダムに行った。天気は回復していて、水面が静かだった。秋の山の色が湖に映っている。岸沿いに車を止めて、俺は写真の束をまとめてビニールの袋に入れなおした。岸に近い草むらに小さな社があって、賽銭箱はなかったが石が積まれていた。地元の人が作ったのか、ダム建設の記念碑か何かかわからない。俺はそこに袋を置いた。
帰り際、もう一度だけ振り返って写真を見た。最後に見たのは、袋の上に見えている集合写真の裏だった。「昭和六十三年 荒木沢 秋祭り記念」の字の下に、細い字が書き足されていた。それは昨日図書館で見た筆跡とは違うが、インクの色は同じくらいに古く見えた。
「ここにいます」
それだけ書いてあった。
俺はしばらく動けなかった。書き足したのが誰なのか、いつ書かれたのか、俺が手にしてからなのかそれ以前なのか、何もわからない。ただ、その文字だけははっきりしていた。
社の脇の庭木が一本、台風のせいで根元から傾いていた。誰かがロープで支えていたのか、細い縄が幹に巻かれていた。俺は縄を直す力もないので、ただ手を合わせて、「見つけました」とだけ言った。何に言ったのかも、わからない。
家に戻ってから、バックミラーに映るシートが気になって確認した。シートはきれいに戻っていた。空だった。それからは、あの奇妙な感覚もなくなった。
写真の人数は、もう数えていない。
あの写真が今どうなっているかは知らない。もしかしたら誰かが持ち去ったかもしれないし、雨に流されたかもしれない。ただ、あの社のそばにある庭木は、この前通りかかったときまだそこにあった。縄も、まだ幹に巻かれたままで、誰かが結び直した跡があった。
それだけが、あの夜の話と今も繋がっている気がして、なんとなく忘れられないでいる。


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