引っ越し先の古い一軒家で、庭の木の本数がひとつずつ減っていくことに気づいた女性の記録。誰も切っていないのに、確かに減っていた。
あの家に引っ越してきたのは、三年前の秋のことだ。
県境に近い、人口の少ない静かな町だった。バス停からも駅からも中途半端に遠くて、近くにコンビニひとつない。それでも家賃が驚くほど安くて、駐車場つきの一軒家で、庭まであった。仕事がリモートになってから都市部にいる必要もなくなっていたし、広い家で一人のんびり暮らすのも悪くないと思って、内見の翌週には契約を済ませた。
不動産屋の担当者は、やや事務的な口調で「築三十年ほどですが、前の方がていねいに使っていましたので」と言っていた。前の入居者がどんな人だったかは聞かなかった。そういうことを聞く習慣が、そのときの私にはなかった。
庭には木が七本あった。
最初にそれを数えたのは、引っ越しの翌朝だ。段ボールを開ける前に一度外に出て、秋の朝の空気を吸いながら、なんとなく庭を眺めた。大小さまざまな木が、不規則に植わっていた。手入れが行き届いているとは言いがたかったが、放置されているほどでもなかった。葉の色が秋らしく、悪くない眺めだと思った。七本、とはっきり数えたのを覚えているのは、指を折りながら声に出して数えたからだ。一、二、三、四、五、六、七。それだけのことだ。
その数字が、後になって意味を持ってくるとは、そのときは思わなかった。
最初の異変に気づいたのは、引っ越しから三週間ほど経った頃だった。
朝、コーヒーを淹れながら台所の窓から庭を見ていたとき、なんとなく「木が少ない」と感じた。気のせいかと思ったが、サンダルを引っかけて庭に出て数えてみると、六本しかなかった。一番奥に生えていた、細い幹の木がなくなっていた。切り株もなく、穴もなく、根ごとなくなっていた。土の色だけが、ほかの場所より少し濃かった。
最初は自分の勘違いだと思った。もともと六本だったのかもしれない。私の記憶は、特別に信頼できるものではない。仕事の締め切りが重なると、三日分くらいの記憶がまるごと曖昧になることもある。そういう人間なのだ。
でも、記録していたのだ。引っ越し当日に撮った写真が、スマートフォンの中に残っていた。新居を記念して撮ったいくつかの写真の中に、庭を撮ったものがあった。引き返して確認すると、画面の中の庭には確かに七本の木が写っていた。細い幹の木も、ちゃんとそこにあった。
それでも、どこかで「何かの間違いだろう」と思い続けていた。誰かが夜中に根ごと引き抜いていったとしたら、それはそれで怖すぎる。だから、そうではない何か合理的な説明があるはずだと、自分に言い聞かせていた。
次に気づいたのは、それから二週間後だった。
今度は庭の真ん中あたりに生えていた、ひときわ枝ぶりの大きな木がなくなっていた。あれだけ大きな木が、また痕跡もなく消えていた。土がほかより少し暗い色をしていること以外、なにも残っていない。五本になっていた。
その夜、私は初めて不動産屋に電話した。庭の木のことを話すと、担当者はしばらく間を置いてから「そういったことはこちらでは把握しておりませんで」と言った。管理会社に確認してみると言って、後日折り返しの電話がきたが、「庭の木に関しては前の入居者の方が植えたもので、管理会社としては関与しておりません」という回答だった。近所に聞いてみてはいかがでしょう、と言われた。
近所に話を聞きに行くのは、気が引けた。引っ越してきたばかりで、まだ挨拶程度しか言葉を交わしていない人たちに「庭の木が消えているんですが」と相談するのは、どう考えても変な人だと思われる。
だから私は、記録をつけることにした。
毎朝、台所の窓から庭を確認して、木の本数と状態をメモ帳に書き残すようにした。日付と本数だけのシンプルな記録だ。写真も毎朝撮った。以来、一か月ほどは変化がなかった。五本のまま、変わらなかった。木は普通に立っていて、葉が落ちて冬支度をしていた。私は少しずつ安心し始めて、最初から五本だったのかもしれないと、また思い始めていた。
その気の緩みを見透かしたように、年が明けた一月に、また一本消えた。
四本。
次は三月に一本。
三本。
そのあたりから、私は夜中に庭を見るようになった。何かが木を持っていくのなら、きっと夜のうちに来るはずだと思って、夜中の一時か二時に起きて、窓から庭を眺めた。街灯が遠くて庭は暗いから、懐中電灯を持って外に出ることもあった。でも、何もいなかった。木はそこにあった。誰もいなかった。朝になると木があった。翌朝も木はあった。そうして何週間か経って気が抜けた頃に、また一本なくなっていた。
二本。
どんなに見張っていても、消える瞬間を私は一度も見ていない。
夏の初めに、ひとつ年上の姉が遊びに来た。庭を見て「いい感じじゃない」と言った。私が「最初は七本あったのに」と言うと、姉は「でも庭木って管理が大変だから、業者に頼んで切ってもらったんじゃないの」と言った。私が「切り株も穴もないんだよ」と言うと、姉は少し黙ってから「そういう業者もいるんじゃない」と言って、それ以上は踏み込まなかった。
そういう業者が実在するのかどうかは、調べなかった。
秋になって、残り二本のうちの一本が消えた。
一本だけになった庭を毎朝確認しながら、私は次第に「最後の一本が消えたらどうなるのだろう」と考えるようになった。何かの終わりのような気がした。根拠はなかったが、木の本数と、何か別のものの数が連動しているような感覚があった。うまく言葉にできないが、庭の木は何かの目印なのかもしれないと、そのころ漠然と思っていた。
そのころから、夜中に外で音がするようになった。
音というより、気配に近い。何かを確かめるように、庭を一周する足音のようなもの。起き上がって窓から見ても、何もいない。でも耳を澄ますと、砂利を踏むような微かな音がして、それがゆっくりと庭の端から端へ移動して、やがて止まる。毎晩ではない。週に二回か三回ほど、決まった時間帯ではなく、不規則に。
気のせいと言えば気のせいだし、隣の敷地との境界が曖昧な場所があって、野良猫でも歩いているのかもしれない。でも、その音を聞くたびに、私はどうしても「数えている」と思った。残り何本あるか、確認しているのだと。
先月、最後の一本が消えた。
木曜日の朝、コーヒーを持って窓の前に立ったとき、庭は完全に空になっていた。木が一本もなかった。ただ、土だけが広がっていた。七か所、土の色がほかより少し暗い部分が、整然と並んでいた。
その夜から、足音がしなくなった。
あの足音が聞こえなくなったのは、良いことのはずだった。でも私は、その静けさが怖かった。目的を果たしたものが去っていった後の静けさのようで、それが何を意味するのかを、ずっと考えている。
七本の木が植えられていたことと、七本すべてが消えたことが、どこかで繋がっているはずだと思う。前の入居者が植えたと聞いたが、前の入居者が何者で、なぜこの家を出たのかを、私はまだ知らない。
庭に木を植える人は、何かを記念して植えることが多いと聞いたことがある。生まれた年や、誰かの命日に。
七本。
七という数字が、誰かにとって何を意味していたのかを、私は調べる気になれないでいる。もしかしたら、調べなくていいのかもしれない。知ってしまうと、また何かが始まる気がして。
今も私はあの家に住んでいる。庭は今、何もない土の広場だ。木を植えようという気には、なれない。

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