卒業写真の、知らないクラスメイト

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これはフィクションです。三十代半ばになって届いた同窓会の案内をきっかけに、語り手は卒業アルバムの集合写真に見覚えのない同級生が写っていることに気づく。しかし、他の誰もがその人物のことを「普通に覚えている」と言う。

三十五歳になって初めて、同窓会というものに参加した。

中学の同窓会だった。幹事をやってくれたのは地元に残った田村という男で、卒業以来ほとんど連絡を取り合っていなかったにもかかわらず、どこで調べたのか俺の携帯にメッセージを送ってきた。「お前も来いよ、久しぶりに集まろう」。そういう誘いを断る理由もなかったし、正直に言えば少し懐かしい気持ちもあって、参加することにした。

会場は、県境の町に一軒だけある少し古びたホテルの宴会場だった。俺の故郷はそういう場所で、山に囲まれた小さな集落で、同じ中学に通った生徒は三年間を通じてもせいぜい百人ちょっとしかいない。その中で当日集まったのが三十人ほどだったから、まあそれなりに賑わっていた。

懐かしい顔もあった。変わった顔もあった。太った奴、痩せた奴、すっかり白髪になった奴。二十年以上ぶりに顔を見て「あ、あいつだ」とすぐにわかる人間と、名前を聞いてやっと思い出す人間がいる。それはお互い様だったし、そういう温度感の時間が心地よかった。

宴会も終盤に差し掛かったころ、田村が「せっかくだから写真撮ろうぜ」と言い出して、全員で宴会場の端に並んだ。スマホで何枚か撮った後、誰かが「卒業アルバム持ってきてる人いる?」と言った。持ってきていたのは田村だけだったが、それを囲んで数人がページをめくり始めた。

俺もその輪に加わって、久しぶりに三年生の集合写真を見た。そのとき初めて、気づいた。

写真の端のほうに、一人だけ見覚えのない顔があった。

最初は見間違いかと思った。二十年以上前の写真だし、自分の記憶も曖昧だ。でも何度見ても、その人物だけ、どうしても思い出せない。男か女かも、そのときはっきり認識できなかった。背が低く、少し俯き加減で写っていて、ちょうど隣の生徒の肩が少し被さっているような位置に立っている。顔はちゃんと写っているのに、輪郭が妙にぼやけて見えた。

「なあ、この人誰だっけ」俺は隣にいた川上に聞いた。

川上は少し考えてから「あーいたいた、桐原でしょ」と言った。桐原。その名前を聞いても、俺の中では何も引っかかってこなかった。

「桐原って、どんな奴だったっけ」

「え、覚えてないの?大人しい感じの子だったよ。三年間同じクラスだったじゃん」

俺は曖昧に笑って、それ以上は聞かなかった。その場の雰囲気を壊したくなかったし、単純に自分の記憶力が弱いだけかもしれないと思ったから。でも内心は、じわじわと落ち着かない気持ちになっていた。

その夜、ホテルを出て車に乗り込んでから、スマホに保存された今日の集合写真を見返した。今日撮ったばかりの写真には、参加した三十人ちょっとが並んでいる。当然だが、桐原という人物は写っていない。今日来ていたからだ、という話ではなく、そもそも今日その名前を名乗った人間が宴会場にいた記憶が、まったくなかった。

帰宅してからも気になって、実家に眠っていた自分のアルバムを引っ張り出した。中学のときのもの、小学校のもの、何冊かある。中学三年の集合写真を開くと、やはりその人物が写っていた。田村が持ってきたアルバムで見た記憶と同じ位置、同じ立ち姿。ページの下に印刷された名前一覧には、たしかに「桐原」という名前があった。

でも俺にはその顔が、どうしても誰のものなのかわからなかった。

翌日、俺は同窓会のグループチャットで軽い感じを装って聞いてみた。「なあみんな、桐原って覚えてる?俺なんか記憶薄くて」するとすぐに何人かから返信が来た。「覚えてるよ」「大人しかったよね」「確か転校してきた子じゃなかったっけ」「いや違う、最初からいたよ」。返信はそれなりに来たが、よく読むと誰も具体的なエピソードを書いていない。「覚えてる」とは言うが、その先が続かない。

一人だけ、こんな返信を送ってきた女がいた。小林という、当時も今も地元に住んでいる人間だ。「桐原さんてさ、卒業式来てたっけ?」。それだけだった。それ以上は書いてこなかった。俺がダイレクトメッセージで「どういう意味?」と送っても、既読にはなったが返信はなかった。

その一文が、ずっと頭にひっかかった。

卒業式に来ていたかどうか、なぜそれが疑問になる。在校生が卒業式に来ないのは珍しくないが、卒業する本人が来ていないというのはどういうことだ。それとも、卒業式の前に何かあったのか。転校したのか、あるいは何か別の理由で。でも転校したなら、卒業写真には写っていないはずだ。

俺はその後、同窓会に参加していた全員に、それとなく桐原のことを聞いて回った。LINEで個別に連絡したり、共通の知人を通じて話を聞いたり。全員が「覚えている」と言った。でも全員が、同じような返し方をした。「大人しかった」「あまり目立たなかった」「何をしていたかあまり記憶にない」。具体的な話が、誰からも出てこない。

あるとき、当時の担任教師の連絡先を田村に聞いた。今は県内の別の町で暮らしているらしい、六十代の男性だった。メッセージを送ると意外にも返信が来て、近況を少しやり取りした後で、俺は直接聞いた。「先生、桐原という生徒を覚えていますか」。

返信が来るまで、二日かかった。

「覚えています。でも、あなたが知っている桐原さんと、私が知っている桐原さんが同じかどうか、私にはわかりません」

意味がわからなかった。俺は「どういうことですか」と返した。

「あの子が最後にクラスにいたのがいつか、私には思い出せないんです。在籍していた記憶はある。でも、いなくなったことに気づいたときの記憶がない。そういうことです」

それ以上は何も送ってこなかった。何度か追加でメッセージを送ったが、既読がつくだけで返信はなかった。

俺はもう一度、自分のアルバムを取り出した。集合写真を眺めた。桐原という人物が写っている。間違いない。でも今度は、別のことが気になった。その人物の、目線だ。

全員が正面を向いてカメラを見ているのに、その一人だけが、かすかに横を向いている。視線の先には何もない、ただ端の方の壁がある。それだけのことなのに、そこだけ切り取って見ると、なんというか、その人物だけが、自分が写真に写っていることを知らないような、そういう印象を受けた。

後日、俺は地元の図書館に連絡して、中学の卒業生名簿の閲覧を依頼した。卒業した年度のものを調べてもらったところ、その年の卒業生一覧に「桐原」という名前は存在しなかったと言われた。ただし、在籍記録については学校側に問い合わせないとわからないとも言われた。

学校に問い合わせる気にはなれなかった。

今もアルバムは手元にある。集合写真も、そのままある。俺が何度見ても、その人物は写真の中にいる。でも俺には、どうしてもその人物のことが思い出せない。顔を見てもわからない。声も、笑い方も、名前の呼ばれ方も、何も出てこない。

同窓会のグループチャットでは今日も誰かが近況を投稿していて、たまに笑えるような話題が流れてくる。桐原の話題は、あれ以来一度も出ていない。誰も気にしていないのか、それとも誰もが意識的に触れないようにしているのか、俺には判断できない。

ただひとつ、最近になって妙に気になっていることがある。

今年撮った同窓会の集合写真を改めて見ていたとき、参加者を数えてみた。その日の宴会場には、確実に三十一人がいたはずだった。田村が作った出欠リストを後からもらって確認したから間違いない。でも写真に写っているのは、どうやって数えても三十二人いる。

誰が一人多いのか、俺にはわからない。正直に言えば、数えるたびに結果が変わる気もして、だんだんちゃんと見るのが怖くなってきた。だからもう、数えないことにしている。

そのほうがいい気がして。

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