同じ場所で、同じ顔の人間に、何度も道を聞かれる。ただそれだけのことが、じわじわと日常を侵食していった記録。
最初に声をかけられたのは、去年の春のことだった。
仕事を終えて最寄り駅から歩いて帰る途中、商店街を抜けた先にある丁字路の角で、一人の男に呼び止められた。五十代くらいだろうか。紺色のジャケットを着て、手には古めかしい革の鞄を提げている。白髪混じりの髪を七三に分けた、いかにも実直そうな見た目の人だった。
「すみません、少しよろしいですか」
そう言って彼が取り出したのは、折り畳まれた紙の地図だった。スマートフォンでもなく、印刷したメモでもない、本当に紙の、それも随分と使い込まれた地図で、端がほつれていた。
聞けば、この近くにある「水神通り」という通りを探しているのだという。わたしはこの辺りに住んで三年になるが、そんな名前の通りは聞いたことがなかった。正直にそう答えると、男は「そうですか」とだけ言って、軽く頭を下げ、また歩き出した。後ろ姿を見送ってから、わたしも家へ向かった。
それだけのことだった。よくある話だと思っていた。
二度目に会ったのは、その三週間後だ。
同じ丁字路の角、同じ時間帯。わたしが角を曲がろうとしたところで、また背中に声がかかった。
「すみません、少しよろしいですか」
振り返ると、紺色のジャケット。革の鞄。七三分けの白髪混じりの男。前回とまったく同じ格好だった。
わたしは一瞬、ああこの人また道に迷っているのか、と思った。同じ通りを探しているのかもしれない。そう思いながら「はい」と答えると、男はやはり折り畳まれた紙の地図を広げて、「水神通りを探しているのですが」と言った。
妙だとは思った。ただ、人間は同じ場所で何度も道に迷うこともある。わたしにも馴染みのない通り名だったから、前回のことは覚えていないのかもしれない。「すみません、わからないんですよね」と答えると、男はまた「そうですか」と言って歩き去った。
帰り道、少し気になってスマートフォンで「水神通り」と検索してみたが、この町に関係する情報はひとつも出てこなかった。古い地名だろうか、とそのまま忘れることにした。
三度目に会ったのは、それからまた二、三週間後だった。
今度ははっきり覚えている。その日は少し残業があって、帰り着いたのがいつもより三十分ほど遅かった。丁字路の角に差し掛かったとき、街灯の下に人影があった。
紺色のジャケット。革の鞄。七三分けの男。
「すみません、少しよろしいですか」
今度こそわたしは戸惑いを顔に出したと思う。「あの、以前も聞かれましたよね」と言ってみた。男はきょとんとした表情を見せて、「え、そうでしたか、失礼しました」と頭を下げた。怒っている様子でも、おかしな感じでもない。本当に覚えていないのかもしれなかった。
「水神通りを探しているのですが、ご存じですか」
三度目の問いに、わたしは三度目の「わからない」を返した。男はまた「そうですか」と言って立ち去った。
同じ背中。同じ歩き方。どこへ向かっているのかは、商店街の暗がりに消えてしまってわからなかった。
その夜、わたしは初めて少しだけ怖いと感じた。
気持ち悪いとか、霊的なものを感じたとか、そういうことではない。もっと奇妙な、現実の網の目が少しだけずれているような感覚だった。同じ場所で、同じ人が、同じことを言う。ただそれだけのことが、妙に頭の中に引っかかって取れなかった。
翌日、職場の同僚に何気なく話してみた。「水神通りって知ってる?」と聞くと、同僚は「さあ」と首を振った。「この辺の古い地名じゃないですか」と言って、それきりだった。
その後、わたしは意識してあの角の時間をずらしてみることにした。いつもより早く帰る日もあった。遅くなる日もあった。別のルートで帰った日もあった。二週間、何事もなく過ぎた。
やはり気のせいだったか、と思い始めた頃に四度目が来た。
別のルートで帰っていたのに、その日わたしは少し考え事をしながら歩いていて、気づいたらいつもの丁字路に出ていた。習慣とは恐ろしいもので、体が勝手にいつものルートを選んでいたのだ。角に差し掛かったとき、先に人影があった。
見た瞬間に分かった。紺色のジャケット。革の鞄。七三分け。
「すみません、少しよろしいですか」
今度わたしは、声が出なかった。男の顔を正面からしっかりと確認した。年齢、顔立ち、目の色、何もかもが前の三回と一致していた。同じ人間だ。記憶違いではない。
「水神通りを探しているのですが、ご存じですか」
「……あなたと前にも会いましたよね」とわたしは言った。「三回、この場所で」
男は少しだけ目を細めて、それから困ったように微笑んだ。「はあ、そうでしたか。それは失礼しました」と言う。謝り方も前と同じだ。
「覚えていないんですか」
「ええ、すみません、方向音痴で。この辺りはよく迷うんですよ」
そう言って彼は再び地図を広げた。折り畳まれた紙の地図。端がほつれている。わたしはその地図の表面をじっと見た。何度も折り畳まれた跡と、インクが薄れた路線図のようなもの。そこに書かれた文字を読もうとしたとき、男は「わからないなら構いません」と言って地図を畳んだ。
「水神通りはもう少し先の方にあるはずなんですがねえ」
そう言いながら男は商店街の方へ歩いていった。わたしはしばらくそこに立ち尽くしたまま、後ろ姿が暗がりに消えるのを見ていた。
その夜、眠れなかった。
わたしが気になったのは、男の言葉だった。「水神通りはもう少し先の方にあるはずなんですがねえ」。三回聞いてもわからないと言われ続けているのに、なぜまだ「この辺りにある」と思っているのか。それとも本当に、男はわたしとの三回の会話を覚えていないのか。
翌週、わたしは少し調べることにした。といっても大げさなものではない。地域の図書館に行って、この町の古い地図を見せてもらっただけだ。
司書の方に「水神通りという通りを探しているのですが」と言うと、しばらく考えてから古い資料を出してきてくれた。三十年以上前の地図だった。
「ああ、これですね」と司書の方が指差した場所を見て、わたしは息を呑んだ。
水神通りは、確かに存在していた。かつて。
わたしがいつも帰る丁字路のあの角から、ほんの百メートルほどのところに、昔は「水神通り」と呼ばれていた路地があったらしい。ただし、今はもう存在しない。三十年前の区画整理で消えた通りだという。今のあの辺りは駐車場と商業施設になっていて、面影もない。
わたしはその地図をしばらく眺めた。
男が探している通りは、今はもうない。それなのに彼は何度も同じ場所で同じ地図を広げて、同じ通りを探している。
変なことを考えていると自分でも分かっている。単なる奇妙な偶然かもしれない。あるいは男が認知症で、記憶が戻らないのかもしれない。そういった、現実的な説明はいくらでも付く。
ただ。
帰り道、わたしはまた丁字路の角を通った。その夜は誰もいなかった。街灯の下に、紺色のジャケットの男の姿はなかった。
それから二週間、男には会っていない。
ただ先週、少し気になることがあった。同じ職場に、わたしと帰り道が重なる後輩がいる。その後輩が昼休みに、「最近、駅近くの丁字路で道を聞かれたんですよ」と言い出した。
「紺色のジャケットの人でしたか」とわたしは聞いた。
後輩は目を丸くした。「そうです。なんで知ってるんですか」
「水神通りを探してた?」
「え、はい……なんで知ってるんですか、それ」
わたしはうまく答えられなかった。「僕も前に聞かれたことがあって」とだけ言っておいた。
後輩はそれきり深く追及しなかった。昼休みの会話として、少し笑いながら「不思議な人もいますよね」と言って終わりにした。
それはそうだ。普通に考えれば、ただの方向音痴な人が同じ場所で何度も道に迷っているというだけの話だ。記憶が薄く、また人の顔をあまり覚えられない人なのかもしれない。
ただわたしは、図書館で見た古い地図のことを思い出す。三十年前に消えた通りの名前。今はもう存在しない路地を、今も誰かが探している。
あの角には何かあるのだろうか。それとも、あの男自身に何かあるのだろうか。
わたしには答えが出ない。
ただここ最近、あの丁字路を通るたびに少しだけ足が速くなっている。意識してそうしているわけではない。体が勝手に、急いでいる。
そういうことだけは、確かだ。


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