退去後も届いていた、あの部屋の手紙について

引っ越しから半年後、旧居の郵便受けに自分宛の手紙が届き続けていると知った。差出人の名前は、どこにも登録した覚えがなかった。

引っ越しというのは、思っていた以上に後処理が長引くものだと知ったのは、二十八歳のときだった。

当時の僕は、県境に近い小さな町の築三十年ほどのアパートに四年間住んでいた。2DKで家賃が安く、駅から少し遠いのが難点だったけれど、静かで住みやすい部屋だった。それを引き払ったのは、仕事の都合で隣の市に異動が決まったからだ。特に名残惜しいとも思わず、淡々と荷物を梱包して、業者に運ばせて、鍵を管理会社に返した。退去の手続きも特に揉めることなく終わった。

新居に落ち着いてから最初の一ヶ月は、転居届の処理だとか、各種登録住所の変更だとか、そういうこまごまとした事務作業に追われていた。郵便局には転送届を出したから、旧住所に届いた郵便物はしばらく新居に回ってくるはずだった。実際、転送期限の一年間はちらほらとDMや古い金融機関からの通知が届いていた。それ自体はよくある話だし、気にもしていなかった。

問題が起きたのは、引っ越してからおよそ半年が経ったころのことだ。

旧居の近くに住む知人——僕のひとつ上の先輩で、名前を遠藤さんという——から連絡が来た。遠藤さんは僕がそのアパートに住んでいたことを知っていて、たまに近くを通ることがある人だった。

「なあ、お前まだあのアパートに何か届いてるのか」

唐突な連絡だったので、最初は意味がよくわからなかった。転送届を出しているから、郵便物は新居に来るはずですよ、と答えると、遠藤さんは「違う、そういう話じゃなくて」と言ってから、少し間を置いた。

「昨日あの前通ったら、お前の部屋の郵便受けに封筒が入ってたぞ。名前、お前の名前だったと思う」

僕は最初、何かの誤配だろうと思った。よくある話だ。名前が似ていたとか、番地を間違えたとか。でも遠藤さんは「いや、フルネームで合ってた」と言う。下の名前まで。

気にはなったけれど、そのときはまあそういうこともあるかと思って、軽く流してしまった。

それが続いたのだ。

遠藤さんが次に連絡してきたのは、それから二週間後だった。今度も同じ場所——旧居の郵便受け——に封筒が入っているのを見たという。遠藤さんはわざわざ立ち止まって確認してくれたらしく、「やっぱりお前の名前だった。しかも封筒の色が先週と同じような気がした」と言った。

僕はそこでようやく、少しだけ嫌な感じを覚えた。

転送届が機能していないのかと思って、郵便局に問い合わせてみた。すると担当者は、転送の登録は正常に処理されており、該当住所からの郵便物は新居に転送されているはずだと言った。ただ、差出人が転送不可の設定をしている場合や、特定の方法で郵送された場合は転送されないこともある、と付け加えた。

そういうものか、と思った。でも、届いた封筒が僕の元に回ってきていないということは——差出人が誰であれ、その手紙はあの郵便受けの中で止まっているということになる。

退去から半年が経っているあの部屋には、今は別の入居者がいるはずだった。その人が回収しているのか、それとも郵便受けの中に放置されているのか、それすら僕にはわからなかった。

旧居に直接行ってみようか、と考えた。でも管理会社に確認もせずに元住んでいた部屋の郵便受けを覗きに行くのも妙な話だし、新しい住民に迷惑をかけるのも申し訳なかった。だから管理会社に連絡して、旧居宛に自分の名前で郵便物が届いているようだ、と伝えた。

管理会社の担当者は、調べてみますと言ったきり、しばらく音沙汰がなかった。一週間後に電話がかかってきて、「確認しましたが、現在その部屋は空室になっております。郵便受けの中は、担当者が先週確認した時点では何も入っていませんでした」と言われた。

空室。

僕が退去してから、誰も入っていなかったということだ。それ自体は珍しくないが、何となく引っかかった。あの部屋は条件が悪くないはずだった。四年間、快適に住んでいたのだから。

それよりも僕が気になったのは、「何も入っていなかった」という言葉だった。遠藤さんが見たと言った封筒は、どこに消えたのか。管理会社が回収したのか。それとも。

遠藤さんに聞いてみると、「俺は確かに見た」と言い張った。遠藤さんは冗談を言うタイプではないし、あの人が嘘をつく理由もない。

その後、僕は自分で旧居まで行ってみることにした。

アパートは変わっていなかった。鉄骨の外階段、廊下の錆びかけた手すり、各部屋の前にある薄い金属製の郵便受け。僕が住んでいた部屋は二階の端だった。平日の昼間に訪ねたので、廊下に人の気配はなかった。

郵便受けを覗いてみた。何も入っていなかった。

でも気になって、受けのフタを引き下げて中を確認した瞬間、奥にぴったりと貼り付くようにして一枚の封筒があるのに気づいた。差し込み口から見えない位置に、ほとんど押し込まれるような形で入っていた。

取り出してみると、宛名は確かに僕の名前だった。住所は旧居のもの。でも差出人の欄に書いてある名前が、見覚えのないものだった。

珍しい苗字だった。「久方」と書いて、「ひさかた」と読むらしい、と後で調べてわかった。名前は「清」。久方清。

まったく知らない名前だった。

封を開けるのが怖くて、少しの間、その封筒を持ったまま廊下に立っていた。やがて意を決して開けると、中には便箋が一枚入っていた。手書きで、細い丁寧な文字が並んでいた。

内容は、ほとんど意味をなさなかった。

「先日はご丁寧にありがとうございました。その後のご様子はいかがでしょうか。またお目にかかれる日を楽しみにしております。どうかお体にお気をつけて。久方より」

それだけだった。

「先日」とはいつのことか。「またお目にかかれる」とはどういう意味か。何について「ご丁寧にありがとう」なのか。まるで文脈がなかった。そして何より、久方という名前に僕は一切の心当たりがなかった。

消印を確認しようとしたが、消印の部分がにじんでいて、日付が読み取れなかった。

持ち帰って保管していたが、気持ち悪くて何度も見返してしまった。そのうちに気づいたことがあった。封筒の紙の質感が、妙に古い感じがするのだ。薄黄色くなっていて、現代のコンビニや文具店で普通に売っているものとは違う。便箋も同様だった。インクの色も、ボールペンで書いたにしては妙に淡くて、万年筆とも少し違う。

思い過ごしかもしれない。でも、あの封筒が何年前に書かれたものなのか、正直なところ判断がつかなかった。

遠藤さんにその話をすると、「それ、最初から何通か届いてたんじゃないのか」と言われた。意味がわからなくて聞き返すと、「俺が気づいたのが半年後ってだけで、お前が退去した直後から届いてた可能性もあるだろ」と。

そうか。管理会社が確認に行ったとき、「何も入っていなかった」と言ったのは——それ以前に届いていた分は、どこかに消えてしまっていた可能性がある。

僕は久方清という名前を調べてみた。

ありふれた名前ではないから、何か手がかりがあるかもしれないと思ったのだ。しかしいくら調べても、その名前と旧居のある町、あるいは僕自身を結びつける情報は何も出てこなかった。

そのままにしておくしかなかった。

それから三ヶ月が経ったころ、遠藤さんからまた連絡が来た。今度は電話だった。

「あのアパート、取り壊しになるらしいぞ。管理会社から貼り紙が出てた」

老朽化による解体だという。確かに築年数はそれなりにあったし、入居者が少なかったのかもしれない。

「それで」と遠藤さんは続けた。「取り壊しの前に一回確認してこようと思って、昨日通ってみたんだ。もう郵便受けとか全部撤去されてたんだけどな」

「撤去されてたんですね」

「ああ。でも」

電話の向こうで遠藤さんが少し言いよどんだ。

「撤去された郵便受けが、外の地面に並べて置いてあったんだよ。解体業者が出したんだろうな。で、何となく気になってお前の部屋のやつ確認したら——」

僕は黙って続きを待った。

「また入ってた。同じような封筒が」

郵便受けがすでに壁から外され、地面に置かれた状態であっても。

その封筒がどこから来たのかを、遠藤さんも、僕も、説明できなかった。

あのアパートはその後まもなく更地になった。郵便受けも含めて、全部片付けられたはずだ。

ただ、それからも時々、僕は思う。久方清という人は、僕のことをどこで知ったのか。「またお目にかかれる日を楽しみにしております」と書いた、その人と、僕は本当に一度も会っていないのか。

何を根拠にそう思い込んでいるのか、自分でもわからなくなることがある。

あの四年間、あの部屋で何か見落としていたことがあったとしたら——今となっては、確かめる術がない。

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