引っ越して三週間、毎朝起きるたびに台所の椅子が一脚だけ、窓のほうを向いていた。誰も動かしていないのに、いつも同じ椅子が、同じ角度で。
去年の秋に、ひとりで引っ越しをした。
仕事の都合で県境の町に移ることになって、急いで決めた物件だった。築三十年のアパートで、二階建ての二階の端。窓が東向きで、朝日がよく入るというのが決め手だった。家賃は相場より少し安くて、前の入居者がいつ出たのかは聞かなかった。不動産屋さんが「人気のお部屋ですよ」と言ったのを、そのまま信じた。
荷物を運び込んで、最初の一週間はとにかく疲れていた。段ボールを開けて、棚を組み立てて、慣れない土地で仕事を覚えて、夜になると何もできずにそのまま布団に倒れこんでいた。台所には小さなダイニングテーブルを置いて、椅子を二脚セットした。ひとり暮らしに椅子が二脚あるのは少し多い気もしたけれど、実家で使っていたものをそのまま持ってきたので、捨てるのも忍びなくて。
椅子のことに気づいたのは、引っ越して十日ほどが経った朝だった。
その日は少し早く目が覚めて、台所に水を飲みに行った。朝の六時前で、窓から白い光が差し込んでいた。冷蔵庫を開けて麦茶を取り出しながら、なんとなくテーブルのほうを見た。
椅子が、窓を向いていた。
二脚あるうちの、窓に近いほうの椅子だけが、外のほうを向いている。テーブルに向かって座るのが普通の配置なのに、そっぽを向くみたいに、九十度ほど回転していた。
最初は自分が昨夜動かしたのだろうと思った。疲れていて、椅子を引いて何か取り出して、そのまま戻し忘れたのかもしれない。深く考えずに直して、仕事に出た。
次の朝も、同じだった。
今度は寝起きで台所に入るなりそれが目に入った。昨夜直したはずの椅子が、また窓のほうを向いている。同じ椅子、同じ角度。テーブルのほうを向いた椅子のとなりで、一脚だけが外を見るように据えられていた。
少し気になったけれど、まだそのときはそれほど怖くなかった。古いアパートだから床が歪んでいて、椅子が滑るのかもしれない。そう考えた。でも椅子の脚にはフェルトのパッドが貼ってあって、それほど滑るとは思えなかった。試しに同じ椅子をわざと少し斜めに置いてみたけれど、翌朝にはまた窓向きになっていた。自然にそうなる角度では、なかった。
その週は毎朝、確認するようになった。
起きる、台所に行く、椅子を見る。必ず窓向きになっている。必ず同じ椅子が、同じ方向を向いている。もう一脚のほうは、前夜に置いた位置からまったく動いていない。
誰かが部屋に入っているのかと思った。でも鍵は一本しかなくて、ドアチェーンも毎晩かけていた。窓も締め切って寝ていたし、外から入れるような隙間はない。管理人さんは一階に住んでいる七十代くらいのおじいさんで、マスターキーを持っているはずだけど、毎朝私が出かけるときに会えば穏やかに挨拶をしてくれる人だった。椅子を動かすために夜中に入ってくるような人には見えなかった。
引っ越して三週間が経ったころ、同じ職場の先輩に話した。冗談っぽく「うちの椅子が勝手に動くんですよ」と言ったら、先輩は笑いながら「地震じゃない?」と言った。確かに私の住む地域はそのころ微震が多かった。でも地震なら両方の椅子が動くはずで、なぜ一脚だけが決まった向きになるのかは説明がつかなかった。それを言うと先輩は少し黙って、「まあ、古い建物だからねえ」と言ってごまかすように笑った。
夜中に起きていようとした日がある。
一時ごろまでスマホを見ながら台所を見ていたけれど、何も起きなかった。疲れて寝てしまって、朝起きたら椅子は窓を向いていた。
その翌朝、椅子をよく見たら、座面のほこりの積もり方が少し変だった。座面の奥のほう、ちょうど背中側に近い部分が、うっすらと平らになっていた。何かを置いたような、あるいは誰かが腰を下ろして、少し体重をかけたような跡に見えた。それ以上確認したくなくて、雑巾で拭いた。
気になって、前の入居者のことを調べようとした。不動産屋に電話して「以前に住んでいた方はどんな方でしたか」と聞いたら、「個人情報なので」と断られた。そのときの担当者の声が、少しだけ早口になった気がした。気のせいかもしれない。
管理人のおじいさんに、さりげなく聞いてみたこともある。「この部屋、前はどんな方が住んでいたんですか」と。おじいさんはしばらく考えるような顔をして、「おばあさんが住んどったよ、長いことね」と言った。「引っ越されたんですか」と聞くと、「まあ、そうじゃのう」とだけ言って、話を変えた。その「まあ」の間が、少し引っかかった。
十月の終わりごろ、ある変化があった。
いつもは窓向きになっている椅子が、その朝は違う角度を向いていた。窓のほうではなく、もう一脚の椅子のほうを向いていた。まるで向かいに座った誰かの顔を、見ているみたいな角度で。
その日だけ、そうだった。翌朝からはまた窓向きに戻った。
私はそのころから、もう一脚の椅子を台所から出した。別の部屋の隅に立てかけて、台所には椅子を一脚だけにした。なんとなく、向かいに誰かを置いておきたくなかった。
椅子をひとつにしても、窓向きになることは続いた。
十一月に入ったある朝、起きたら外が雨だった。台所に行くといつものように椅子は窓を向いていて、その窓ガラスに雨粒が伝っていた。なんとなく近づいて、外を見た。駐車場と、向かいの古いアパートが見えた。
ふと気になって、その椅子に座ってみた。
窓から見える景色は、変わらず駐車場だった。それだけだった。でも座ってみると、椅子の角度がちょうど窓の中央を正面に捉えていて、外がよく見えた。雨の中、誰かが傘を差して歩いていくのが見えた。駐車場の端の、古い水道管のあたりに、小さな花束が置かれているのが見えた。造花のような、プラスチックの白い花だった。
いつからあるのか、知らなかった。
管理人のおじいさんにそれとなく聞いたら、「ああ、あれはもう何年も前から」と言いかけて、「誰が置きよるんかは知らん」と続けた。顔を合わせなかったので、そのときの表情はわからない。
今も、毎朝椅子は窓を向いている。
直さなくなったのはいつごろからだろう。気づいたら、そのままにするようになっていた。朝起きて台所に行って、窓向きの椅子を見て、それから自分の朝ごはんを作る。もう一脚は別の部屋に立てかけたままで、台所に戻す気にはなれない。
椅子のことは誰かに言うたびに、うまく説明できない。動くのが怖いわけじゃない。誰かがいる気がして怖いのかというと、それも少し違う。ただ、その椅子が何年もそこで同じように窓を向いて、同じ景色を見ていたのかもしれないと思うと、なんとも言えない感覚になる。
先週、ふと思い立って駐車場に下りて、白い花束を近くで見た。造花じゃなかった。乾いて色が抜けているけれど、本物の花だった。誰かが定期的に替えているのか、それとも最初から枯れていたのか、わからなかった。花束の根元に、小さな紙が折られて挟まっていた。雨で文字はほとんど読めなかった。読めたのは、最初の二文字だけだった。
部屋番号だった。
私が今、住んでいる部屋の番号。
それ以上読もうとしたけれど、残りはにじんで消えていた。引っ越す前から置かれていたのか、私が来てから誰かが置いたのか、それもわからない。そのまま花束に触れずに、部屋に戻った。
台所の椅子は、今日も窓を向いている。
外が晴れた日は、駐車場の端までよく見える。雨の日は窓ガラスに水が伝って、外がにじんで見える。どちらの日も、椅子はいつも同じ角度で、同じ方向を向いている。
私が引っ越す前から、そうだったのかもしれない。
そしてこれからも、ずっとそうなのかもしれない。

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