定年を機に移り住んだ漁村で、地域の歓迎行事として撮られた集合写真。その写真の中に、自分の知らない「自分」が写っていた。
定年退職を機に、妻と二人で海沿いの町へ移住した。
子どもたちはとっくに独立していたし、都市部のマンションにいつまでも居座る理由も特になかった。漁師町として知られる小さな港町だった。県境に近い、名前を知っている人間のほうが少ないような場所だ。波の音が聞こえる平屋を借りて、そこで静かに暮らしていくつもりだった。
移住して最初の一ヶ月は、とにかく挨拶回りに追われた。田舎の人間関係というのは都市部とは密度が違う。隣近所はもちろん、自治会の班長、漁協の担当者、地域のコミュニティセンターの世話役の人間……それぞれに手土産を持って顔を出し、「よそ者ですがよろしくお願いします」と頭を下げて回った。妻は「なんだか転校生みたいね」と笑っていたが、そのくらいしないと地域に馴染めないことはわかっていた。
歓迎してくれる人も、少し警戒した目で見てくる人もいた。それは当たり前のことだと思っていた。
転入から三週間ほど経ったころ、自治会の主催で「新住民歓迎の集まり」が開かれた。名称はもっと長いものだったが、要するに移住者を地域の人間として正式に迎える、昔ながらの行事のようだった。漁協の集会所の大広間に、地区の住民が五十人近く集まった。テーブルに並んだ料理は地元の食材を使ったもので、どれも素朴で美味かった。妻は地元の女性たちとすぐに打ち解けていた。私はどうにも口下手で、隣に座った元漁師の老人と、天気や魚の話を静かに続けていた。
その席で、集合写真を撮った。
世話役の人間がデジタルカメラを持ってきて、全員並んでくれと言った。五十人近い人間が縦三列に並ぶと、前列の子どもたちや後列の背の高い人間の頭が少しはみ出た。フラッシュが光って、それで終わりだった。
二週間ほど後に、その写真が印刷されて配られた。B5サイズで、少し青みがかった印刷だったが、顔は十分に判別できた。私と妻の顔も、後列の右端あたりにはっきりと写っていた。妻はさっそくスマートフォンで写真を撮って「子どもたちに送るね」と言っていた。私はその写真を、玄関脇の棚の上に立てかけておいた。
おかしいと思い始めたのは、一ヶ月ほど後のことだ。
ある平日の真昼、妻が外出していて、私一人で家にいた。特に用事もなく、ぼんやりと玄関先に立ったとき、棚の上の集合写真が目に入った。なんとなく手に取って、ひとりひとりの顔を眺めた。自治会長の顔、元漁師の老人の顔、世話役の若い女性の顔。一人ひとり、名前と顔が少しずつ一致してきていた。
そのとき、後列の左端に立つ人物に目が止まった。
背の高い、中年の男だった。グレーのシャツを着て、やや俯きかげんに立っている。顔がはっきり写っているわけではないが、見覚えのない顔だった。特に気にするほどのことでもなかった。当日は五十人近い人間がいたし、私が名前を覚えていない人間のほうがまだ多い。
ただ、そのとき少しだけ引っかかったのは、その男の立ち方だった。他の全員が正面を向いているなか、その男だけがわずかに横を向いていた。レンズの方向ではなく、列の内側、つまり私たちの方向を向いているような角度で。
それきり、私はその写真を棚に戻した。
次に写真を手に取ったのは、それから二週間後の平日だった。またしても真昼で、妻は友人になった地元の女性と買い物に出ていた。理由は覚えていない。ふと気になって、また棚から写真を取り出した。
後列の左端を見た。
男が、いなかった。
最初は見間違いかと思った。写真を窓の光にかざして、隅々まで見直した。後列の左端、そこに立っているのは別の人間だった。眼鏡をかけた、小柄な女性だ。その人物は前回も当然そこにいたはずで、私がグレーのシャツの男に気を取られて見落としていたのだと、そう思おうとした。
でも、違和感が消えなかった。
私は写真をスマートフォンで撮影して、画像を拡大した。後列の左端に、眼鏡の女性が写っている。その隣、左から二人目の位置。そこに、かすかに不自然な空白があるような気がした。人と人の間隔が、そこだけわずかに広い。五十人近い人間が並んだ写真だ。気のせいかもしれない。ただ、もしその空白に誰かが一人立っていたとしたら、ちょうど収まる広さだった。
妻に話すと、彼女は写真をまじまじと見て、「そんな人、いたかしら」と首を傾げた。「あのとき私もずっとそっち側にいたけど、背の高い男の人なんて記憶にないわ」と言った。
世話役の女性に電話で聞いてみた。当日の参加者名簿を持っているはずだったから。彼女は快く調べてくれたが、「後列左端? そこに立っていたのは伊東さんの奥様だと思いますよ。眼鏡の」と言った。グレーのシャツの男については、「それらしい方、名簿にはいないですね」と言われた。
そこで一度、話が止まった。
私は自分の記憶を疑うことにした。移住直後の慌ただしさで、記憶が混乱しているだけかもしれない。五十人近い人間の顔と立ち位置を正確に覚えていられるわけがない。グレーのシャツの男など、最初から存在しなかったのかもしれない。写真を見ながら作り上げた、誤った記憶なのかもしれない。
そう納得しようとしていた、ある平日の真昼。
自治会のコミュニティサイトに、集合写真のデジタルデータが公開されているのに気づいた。世話役の女性が管理しているサイトで、地区の行事記録がまとめてある。歓迎会の項目を開くと、当日撮影した写真が何枚か掲載されていた。
そのなかに、集合写真があった。
私は画面に顔を近づけて、後列の左端を確認した。眼鏡の女性が写っている。その隣の空白らしき箇所。そして、後列全体を端から端まで視線でなぞった。
後列の右端。私と妻が立っているはずの場所に、妻の顔があった。
私の顔は、なかった。
妻の隣、私が立っていたはずの位置に、人間が写っていない。隣の人間との間隔が、不自然に広い。配られた印刷版では確かに私の顔が写っていたのに、デジタルデータでは私がいない。どちらかが間違いなのか、それともどちらも正しいのか、私にはわからなかった。
そのとき初めて、妙な感覚が体を通り過ぎた。
グレーのシャツの男のことを考えた。俯きかげんで、レンズではなく列の内側を向いていた男。後列の左端に立って、写真の中からこちら側、つまり私の方向を向いていた男。
もし彼が写真から消えたのではなく、移ったのだとしたら。後列の左端から、後列の右端へ。
私は印刷された集合写真をもう一度手に取った。後列の右端。妻の顔の隣、私が立っているはずの場所に写っている人物の顔を、今度は改めてゆっくりと見た。
グレーのシャツを着ていた。
私はその顔を、鏡で何十年も見てきた顔のはずなのに、一瞬だけ他人の顔のように感じた。目が合った気がした。写真の中の目と。
妻がちょうど帰ってきて、玄関のドアが開く音がした。私は写真を棚に戻した。
それ以来、その写真を手に取っていない。棚の上に立てかけたままにしてある。たまに、ふとした拍子に視界に入る。そのたびに、後列右端を確認しようとして、やめる。
何が写っているのか。自分の顔が写っているのか。それとも。
確かめたい気持ちと、確かめたくない気持ちが、ずっと均衡を保っている。
ただ一つだけ、今もはっきりと覚えていることがある。
歓迎会の当日、集合写真を撮る直前、世話役の人間が「全員揃ってますか」と声をかけた。そのとき、私の隣に立っていた元漁師の老人が、少し首を回して周囲を見渡してから、こう言った。
「一人、多くないか」
誰も答えなかった。フラッシュが光って、それで終わりだった。私はあのとき、その言葉を聞き流した。笑い話のつもりだと思って、特に気にしなかった。
今でも、あの言葉がときどき頭の中で鳴る。
一人、多くないか。
それが誰のことを指していたのか、私には、もう聞けない。

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