【洒落怖】その集落の朝に、記録がない

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山あいの集落に赴いた清掃員が、毎朝同じ時刻に流れる不審な放送の記録を追ううち、その放送が「存在しない」ことを知る。集落の古老だけが、その声を知っていた。

これは、俺が三十代の半ばに経験した話だ。

当時、俺は県境に近い山あいの町で、集合住宅の管理・清掃を請け負う会社に勤めていた。といっても大きな会社ではない。社員は俺を含めて五人。社長と、現場担当が三人と、事務が一人。受け持つ物件は町内のアパートや公営住宅が中心で、繁忙期でもせいぜい一日に四、五棟を回る程度の、のんびりした仕事だった。

問題の現場に割り当てられたのは、ちょうど四月に入ったころだった。

担当が変わったんだよ、と社長に言われた。その現場は「岩倉団地」というところで、山の斜面を切り開いて建てられた、古い県営の集合住宅だった。棟数は全部で六棟。昭和五十年代に建てられたというから、もう築四十年近い。エレベーターはなく、外廊下の手すりは錆びている。入居者の多くは高齢者で、現役世代はほとんど残っていないと聞いた。

前任者がなぜ変わったのかは、最初は教えてもらえなかった。

「体調を崩してね」と社長は言ったが、目を合わせなかった。

俺が最初に岩倉団地を訪れたのは、その月の半ばごろ、平日の朝だった。担当は週に三回、月水金の清掃と、月末の設備点検というスケジュールだ。

車で山道を三十分ほど走ると、斜面に張り付くようにして灰色の建物が現れた。周囲は杉林で、麓からだと団地の全体がよく見えない。坂を上がっていくと、駐車場の脇に古びた掲示板があって、「岩倉団地管理組合」と書かれたプレートが斜めに傾いていた。

清掃の内容は、廊下と階段の掃き掃除、ゴミ集積所の確認、掲示物の整理といったものだ。六棟を順番に回るだけで午前中はほぼ終わる。最初の週は何もなかった。山の空気はひんやりしていて、廊下を歩くと谷のほうから風が吹いてきた。入居者の老人たちは会うと必ず会釈してくれた。静かで、悪くない現場だと思った。

異変に気づいたのは、三回目に訪れた日のことだ。

朝の七時ちょうどだった。

俺が一棟目の外廊下を掃いていると、どこかからスピーカーの音が聞こえてきた。くぐもった、年代物の音質だった。最初は音楽かと思ったが、違う。人の声だった。

「――本日も皆様に、お知らせがあります」

そういう出だしだったと思う。続きは風に混じってよく聞き取れなかった。放送設備があるとは聞いていなかったが、古い団地だから防災放送の設備でも残っているのだろうと、その時は気にしなかった。

翌週の月曜日も、同じことがあった。

七時ちょうど。俺が廊下に立っていると、同じスピーカー音が流れてきた。今度は少し聞き取れた。女の声だった。高くも低くもない、事務的な口調だった。

「――三番の方は、今日も同じ場所に」

そこで途切れた。

三番、というのが何を指すのかわからなかった。棟番号か、部屋番号か。俺は少し気になって、清掃を終えてから管理組合の集会室を覗いてみた。鍵はかかっていなかった。中は古いパイプ椅子が積まれているだけで、放送機器らしいものは見当たらなかった。

屋外スピーカーの配線を確認しようとしたが、柱に取り付けられた古いスピーカーボックスは錆びていて、配線も途中で切断されていた。どう見ても使えない状態だった。

それでも放送は聞こえた。

俺は次の水曜日、少し早めに現場に着いて、七時になるのを待った。腕時計を見ながら、一棟目の廊下の端に立っていた。六時五十七分。五十八分。五十九分。

七時ちょうど。

流れた。

「――皆様のご協力に、感謝申し上げます。本日は四番の方と、九番の方へ」

そこまで聞こえて、また途切れた。

声は間違いなく、敷地のどこかから聞こえていた。反響の仕方から判断すると、おそらく三棟目か四棟目のほうだ。俺はすぐにそちらへ向かったが、音は止んでいた。周囲を見回しても、外に出ている人間はいなかった。

俺は社長に電話して、岩倉団地に放送設備があるかどうか確認してほしいと頼んだ。翌日、折り返しがあった。

「ないよ、そんなもの」

防災無線は麓の役場が管理しているが、団地内に独自の設備を設置した記録はないという。設計図面にも、設備台帳にもない。

「誰かが個人でラジオでも流してるんじゃないか」と社長は言った。

俺もそう思おうとした。でも、毎朝七時ちょうどに、同じ女の声で、あれだけはっきり聞こえるラジオというものが、果たしてあるだろうか。

その月の末、設備点検の日に、俺は入居者の一人に声をかけた。

一番棟の一階に住む、岩城さんという八十二歳の男性だった。この団地に三十年以上住んでいると聞いていたので、何か知っているかもしれないと思ったのだ。

岩城さんは縁側で日向ぼっこをしていた。俺が放送のことを話すと、老人は少し間を置いてから、こう言った。

「ああ、あれか」

否定しなかった。

「昔からあるよ。朝の七時だろ。聞こえる日と聞こえない日がある」

「いつから、ですか」

岩城さんは首をかしげた。「わしが越してきたときにはもうあった。だから三十年以上は前だな。最初のころは管理組合でも問題にしたんだが、設備がないんだからしょうがないと、そのうちみんな言わなくなった」

「内容は」

「聞いたことあるが、よくわからん。名前みたいなものを言ってたな。でも誰の名前かわからなかった。住んでる人間じゃないと思う」

「どうしてそう思うんですか」

岩城さんは少し困ったような顔をした。

「呼ばれた翌日、いなくなる人間が何人かいたから」

俺は、その言葉をしばらく飲み込めなかった。

「いなくなる、というのは」

「死んだ人もいる。引っ越した人もいる。病院に担ぎ込まれた人もいる。でも必ず、翌日には団地にいなくなっとった。だから皆、朝七時には外に出ないようになった。聞こえないようにしておけばいいと、そういうことになった」

俺はその日、会社に戻ってから、前任者のことを改めて社長に聞いた。社長は少し躊躇してから、教えてくれた。

前任者は、四月の頭に急に入院した。原因は心臓だと聞いている。今は別の病院に転院して、回復中らしい。岩倉団地の担当だったのは、三月の頭からだったという。

一ヶ月ちょっとで、心臓を病んだ。

俺は次の清掃日から、七時より前に作業を終えて車に戻ることにした。岩城さんの話が正しいかどうかはわからない。でも、わからないまま聞き続けることが、どうしても怖かった。

その判断は正しかったのか、今でも確かめる方法がない。

ただ、一つだけ後日談がある。

それから二ヶ月ほどして、ある朝、俺は車の中で七時を迎えた。ガラス越しに団地の棟を眺めながら、窓を閉めたまま待っていた。七時ちょうど。窓の外で、何かが流れた気配があった。音は聞こえなかった。でも、スピーカーボックスのあたりが、ほんの一瞬、白く霞んだように見えた。

気のせいかもしれない。

その日の清掃を終えて、一番棟の前を通ると、岩城さんが外に出ていた。珍しかったので声をかけると、老人は穏やかな顔でこう言った。

「今日は聞こえなかったよ」

「そうですか」

「あんたが来るようになってから、呼ばれた人間が出とらん。不思議だな」

俺はその言葉の意味を考えながら、帰りの山道を下った。俺が何かをしたわけではない。ただ、七時に外に出るのをやめただけだ。それが何かに作用したのかどうか、俺には判断できない。

岩倉団地の設備台帳を、俺はその後、会社の書庫で一度だけ引っ張り出して確認した。昭和五十三年の竣工から現在まで、放送設備の設置記録は一行もなかった。

点検記録もない。修繕記録もない。

あの声の、記録が何一つない。

それでも毎朝、七時になると、何かが流れている。

俺は今も、その現場を担当している。ただし七時より前に、必ず車の中に戻ることにしている。岩城さんは今年の春で八十四歳になった。先月会ったとき、「最近は聞こえる日が減った」と言っていた。

本当にそうなのかどうかは、俺には確かめようがない。

聞こえない場所にいるのだから。

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