帰省した港町で、地元の人間たちが「あなたはもう来ている」と言い張る。私には覚えがない、はずだった。
これを書くかどうか、一週間ほど迷った。
書いても誰かに信じてもらえるとは思っていないし、書いたところで何かが解決するわけでもない。ただ、自分の記憶と、現実に起きたことのあいだにある食い違いを、どこかに吐き出しておかないと、このまま自分でも信じられなくなりそうで。だから書く。
私の実家は、関東から車で四時間ほど離れた、小さな漁村にある。
観光地でも有名な港でもない。海沿いの集落で、冬になると風が異様に強く、夏でも日中の陽気に反してどこかひんやりとした空気が流れている。そういう場所だ。
母親が股関節を痛めたという連絡が来たのは、九月の初旬だった。夫は仕事の都合がつかず、子どもを連れて私だけで帰ることにした。到着したのは平日の昼過ぎで、空は抜けるように晴れていたけれど、港の方から吹いてくる風はもう少しだけ秋の匂いがした。
最初におかしいと思ったのは、実家に着いてすぐのことだった。
玄関を開けると、母が台所から顔を出して、こう言ったのだ。
「あんた、もう来たの」
意味が分からなくて、一瞬止まった。「もう来た」というのは、「思ったより早かった」という意味に聞こえた。だから最初は、「渋滞もなかったし」と答えた。
でも母の顔が、少し変な表情をした。
「……そうじゃなくて。昨日も来たでしょ」
昨日。私が実家に着いたのは、今日が初めてだ。昨日は自宅にいた。夫も子どもも一緒に夕飯を食べていたし、夜にはオンラインで友人と短い通話もしていた。どこにも出かけていない。
そう伝えると、母は首を傾けた。「おかしいわね。昨日の昼に玄関に来てたよ。庭のほうから回って。声をかけたら、すぐ帰っちゃったけど」
庭のほうから。
実家の庭には古い松の木が一本あって、小さい頃から剪定のたびに業者が来ていた。その庭に面した勝手口から人が入ってきたと、母は言う。しかも、それが私だったと。
「見間違いじゃないの」と言うと、母は少し傷ついたような顔をして「あんたの顔を見間違えるはずないでしょ」と返した。
私はその会話を、頭の片隅に引っかけたまま、荷物を解いた。
翌朝、実家の近所に住む母の友人が訪ねてきた。七十代の小柄な女性で、子どもの頃から顔なじみだ。玄関で少し話して帰るような、そういう軽い訪問だったのだが、帰り際に彼女も妙なことを言った。
「昨日ね、港の手前の道で見かけたわよ。声かけようとしたら、すぐ路地に入っていっちゃったんだけど」
昨日、私は実家にいなかった。
「たぶん別の人だと思いますよ」と笑って返したら、「いやあ、そっくりだったわよ」と彼女は言って帰っていった。
その日の午後、母の様子を見ながら近所を少し歩いた。母の体はそれほど悪くなく、松葉杖があれば問題なく動けるので、私は実家の周辺をぶらぶらと散歩した。漁村は静かで、平日の昼間だから余計に人が少ない。網を繕っている老人がひとりいたくらいで、ほとんど人影がなかった。
港に続く細い坂道を下りていくと、鮮魚を扱う小さな店がある。子どもの頃に母とよく来ていた店で、今も同じ家族が経営している。顔を出すと、中年の女将さんが出てきた。
「あら」と彼女は言って、それから少し顔を曇らせた。「昨日はなんかあったの」
昨日、何かあったのか。私には分からない。
「昨日もここ来たでしょ。開店前の時間に。シャッター閉まってたからすぐ帰ったけど」
聞けば、午前十時ごろ、店のシャッターの前に女がひとり立っていたという。それが私だったと女将さんは言った。背格好、髪の長さ、服の色まで。「紺色のワンピースだったよね」と言われて、私は黙った。私はその日、紺色のワンピースを着て自宅にいた。
「違います、昨日はここにいませんでした」とはっきり言うと、女将さんは「あらそう」と言ったが、目は笑っていなかった。
夜、布団の中で考えた。
三人が、別々に、別々の場所で、「昨日の私」を見ている。母は庭の方から来た私を。近所の女性は港の手前の路地で。女将さんは鮮魚店のシャッターの前で。しかも服装が一致する。
私の意識にはない。完全に、どこにもない。
翌日、私はひとつだけ確かめることにした。自宅に置いてきた夫に電話して、昨日の私の行動を確認した。夫は少し怪訝そうにしながらも、「普通にいたよ。昼は一緒にそうめん食べたじゃないか」と言った。夫には嘘をつく理由がない。子どもも「おかあさんといたよ」と受話器の向こうで言った。
実家にいなかった。それは確かだ。
でも、地元の人たちは、確かに私を見ている。
四日目の夕方のことだった。
母が「庭の松、昨日また誰か来てたよ」と言い出した。今度は姿は見えなかったが、庭に置いているサンダルが動いていたと言う。実家の庭には、客用の古いサンダルをいくつか出してある。それが、一足だけ向きを変えていたと。
「誰かが履いたのかもしれない」と母は言って、それ以上は追わなかった。でも私は気になって、翌朝、庭に出てみた。
松の根元に、砂がついていた。
海の砂だ。細かくて白い、港の砂浜と同じような砂が、松の根元に薄く積もっていた。庭に砂浜はない。風で飛んでくるほど近くでもない。ただ、小さな砂の山が、松の根元にだけあった。
私はそれを見て、なぜかひどく怖くなった。
帰省してから五日目、荷物をまとめて帰ろうとした朝のことだ。
玄関の鍵を探していたら、母が「あそこの引き出しに入ってるはずよ」と言った。玄関脇の小さな棚の引き出しを開けると、鍵はすぐに見つかった。でも一緒に、メモが一枚入っていた。
白い、小さなメモ用紙。母の字でも私の字でもない、丸っこい見慣れない字で、こう書いてあった。
「もどります」
それだけ。「もどります」という四文字だけ書かれた紙が、引き出しの中に入っていた。
母に見せると、「なにこれ、知らない」と言う。業者が来た時の書き置きかと思ったが、こんな短いメモを引き出しに入れていくような業者はいない。誰が書いたのかもわからない。いつ入ったのかもわからない。
私はそのメモを持ち帰った。今も手元にある。
帰りの車を運転しながら、ずっと考えていた。
あの漁村で、誰かが私の姿をして歩き回っていた。そういう説明が一番単純だ。でも、服装まで一致するのはおかしい。そして、その「誰か」は、私が普段行くような場所を知っていた。子どもの頃から通っていた鮮魚店。実家の庭。港の手前の路地。
帰宅して、夫に全部話した。夫はしばらく黙っていて、それから一言だけ言った。
「ところでさ、一昨日の昼間、どこか行ってた?」
私は首を横に振った。ずっと家にいた。
「そう」と夫は言った。「でも、一昨日の昼、君の車がなかったよ。買い物でも行ったのかと思ってたけど、帰ってきたら何も言わないから聞けなくて」
私には覚えがない。
車を運転した記憶がない。どこかへ行った記憶がない。でも夫は、車がなかったと言う。
今も、答えが出ていない。
あのメモの「もどります」という字が、誰の字なのか、まだ分からない。似ていると言えば、少しだけ、私自身の字に似ている気がする。でもそれは気のせいかもしれないし、確認したくて何度も見比べるうちに、そう見えてきただけかもしれない。
ただひとつだけ、どうしても気になっていることがある。
帰省した日に母が言った、最初のひとこと。
「あんた、もう来たの」
今思えばあれは、「思ったより早く来た」という意味ではなかった。
「もう来たの」は、本当に「もう来たの」だったんだと思う。私がすでに来ていて、それが二度目だったから、母はそう言ったんだ。
最初から、ずっとそういう意味だった。
私は、自分が知らないあいだに、あの漁村に行っていた。
それが一番怖い。


コメント