大晦日の深夜、山道を一人で走った私は、翌朝になってあの道で何かがおかしかったことに気づいた。写真に残っていたのは、自分の影だけではなかった。
これは私が経験したことを、記録として残しておくための文章です。
誰かに信じてほしいわけではないし、怖がらせたいわけでもない。ただ、あの夜のことを自分の中だけに抱えておくのが、だんだんしんどくなってきた。だから書く。それだけです。
私は介護施設で夜間の仕事をしている。正確には「夜勤専従」という形で、週に三回か四回、夜の十時から翌朝の九時まで施設に入り、利用者さんの様子を見ながら夜を過ごす仕事だ。日勤の人間と生活リズムがまったく合わないので、友人とも疎遠になりやすいし、恋人もいない。年末年始も関係なく仕事は入るし、クリスマスも正月も、起きているのか寝ているのかよくわからないまま過ぎていく。そういう生活を、もう五年以上続けている。
去年の大晦日も、私は夜勤だった。
施設は、私が住んでいる町から車で四十分ほどの場所にある。県境に近いエリアで、途中に山道がある。峠を越えるような本格的な山岳道路ではないけれど、街灯が少なく、カーブが多い。夜に走ると対向車のライトがカーブの向こうから突然現れたりして、慣れるまでは緊張する道だ。私はもう慣れてしまったが。
大晦日の夜、仕事が終わったのは翌朝、つまり元日の午前九時過ぎだった。職場では簡単な年越しの挨拶があって、同僚からお菓子をもらって、それだけ。利用者さんの中には「あけましておめでとう」と言ってくれる方もいた。私はお辞儀をして、笑って、車に乗って帰路についた。
元日の朝の山道は、空気が違う。
これは本当にそう思っていた。怪談のつかみとして書いているわけじゃなくて、毎年そう感じていた。年が明けた直後の山の空気って、冷えているのに妙に澄んでいて、たまに山の中を走りながら「ああ、年が変わったんだな」と実感することがある。初詣に行くとか、家族と過ごすとか、そういう年越しの経験とはまったく別の、自分だけの感覚として。
その日も同じように感じていた。峠に差し掛かったあたりで少し窓を開けて、冷たい空気を入れた。空は晴れていて、山の向こうにうっすらとした青が広がり始めていた。初日の出が見えるかもしれないと思って、ちょうどカーブが終わったところにある小さな広場——地元の人が景色を見るために使うような場所——に車を停めた。
そこで、写真を撮った。
スマートフォンで、山のシルエットと空を。それから自分の影も、なんとなく。朝日が低い角度から差し込んできて、影が細長く地面に伸びていた。
それだけだった。写真を撮って、また車に乗って、家に帰った。帰宅したのは午前十時ごろで、シャワーを浴びて、すぐに眠った。
翌日の昼ごろ、目が覚めた。
お腹が空いたので何か食べながらスマートフォンをぼんやり見ていた。SNSには初日の出の写真が大量に流れていて、そういえば自分も撮ったなと思ってカメラロールを開いた。
山の写真が数枚。空の写真が一枚。そして影の写真。
最初は何も感じなかった。きれいに撮れてるな、くらいで。
でも、何か引っかかって、もう一度開いた。
影の写真。
自分の影が、地面に長く伸びている。足元から始まって、砂利の広場を横断して、向こうの草の縁まで続いている。
それはいい。問題ない。
ただ、その影の、少し右側に、もう一本、影が写っていた。
細い。人の形をしている。でも私一人しかあそこにいなかった。
最初は「なんだろう、電柱か何かかな」と思った。でも写真をよく見ると、電柱も柵も、影を落とすような構造物はない。その広場はわりと開けた場所で、向こう側に木が少しあるだけで、背の高いものは何もなかったはずだった。
それに、形が変だった。
私の影は頭のてっぺんが丸くて、コートを着ているからか、シルエットがゆるやかに広がっている。でももう一本の影は、細くて、頭の部分が少し尖っている。
人の影というより、子どもの影に近い形だった。
写真を拡大して、縮小して、また拡大した。見れば見るほど、それは地面に落ちた何かの影にしか見えなかった。私の影と同じ方向に伸びている。光源が同じ、つまり同じ朝日の角度で生まれた影だ。
でも、その影の主が、写真のどこにもいない。
写真には私の体は写っていない。自分の影だけを撮ったから。だから仮に誰かがそこにいたとしても、写り込まなかったという可能性はある。でも。
私はあの時、確かに一人だった。
元日の朝の九時過ぎ、山道の途中の小さな広場に、他に誰かいたか。停まっている車は私のだけだった。誰かが歩いてくるような気配もなかった。寒かったし、静かだった。
それを確かめようと思って、別の写真を見た。
山のシルエットを撮った写真。空の写真。角度は少し違うが、広場全体が写り込んでいるものがある。
そこには誰もいない。
当然だ。私一人だったんだから。
でも、影の写真には、もう一本ある。
これが最初に気づいたことだった。
その後、気になって、もう一度あの広場に行ってみた。二日の午後、仕事が休みだったので。
広場はひっそりしていた。年始だからか、誰も来ていなかった。私は車を同じ場所に停めて、同じ方向を向いて立った。
影は当然、一本だった。
周りを見回した。影を落とすような背の高いものは、やっぱりなかった。木は遠くて、角度的に広場に影を伸ばせる位置にはない。電柱は道の反対側にあって、向きが違う。
何もなかった。
それで一度は「撮り方の問題かな、レンズのゴーストか何かかな」と思おうとした。でもどうしても、あの形が頭から消えない。細くて、少し尖った頭の形。
仕事柄、私は人が死んでいく場面に慣れているほうだと思う。施設で何人もの方を看取った。怖くないとは言わないけれど、人の死というものに、ある程度向き合ってきた自信はある。だから自分が怖がりだとは思っていなかった。
でも、あの写真を見るたびに、何か落ち着かない気持ちになる。
怖い、というより、何かを確認し損ねたような感覚、とでも言えばいいのか。
たとえば夜勤中に、巡回で利用者さんの部屋を回るとき、人数を数えることがある。一人ひとりの呼吸を確認して、ベッドに誰が寝ているか、確かめながら歩く。あの感覚に少し似ている。数えたら一人多い、みたいな。
峠のあの広場で、私が数えなかったものが、写真の中に残った。
そういう感じがしている。
一つだけ、あと気になっていることがある。
あの日の帰り道、私はカーラジオをつけていた。元日の朝の番組で、お正月の特集みたいなものをやっていた。でも途中から電波が悪くなって、砂嵐みたいになった。山道ではよくあることなので、消してしまった。
その後、施設で同僚と話したとき、「帰り道どうだった」と聞かれた。何気ない会話だったから、何も考えずに「空がきれいでしたよ」と答えた。
そしたら同僚が「あの道、たまに変なの出るって聞くよ」と言った。
笑いながら言ったので、私も笑って返した。「何が出るんですか」と聞いたら、「なんか昔、峠のあたりで事故が多かったって。だいぶ前の話みたいだけど」と言って、それっきりだった。
ありがちな話だな、と思った。峠には必ず霊がいるとか、あそこで死んだとか、そういう話は山のある場所ならどこにでもある。私はそういう話を特別信じているわけでも、否定しているわけでもない。
ただ。
あの写真の影は、今も消えていない。
スマートフォンのカメラロールに、そのまま残っている。削除しようかと何度か思ったけれど、なんとなくできなくて、今日もそのまま置いてある。
見るたびに、同じことを考える。
あの時、私は一人だったか。
一人だった、と思う。思っている。でもだとしたら、あの影は何だったのか。
私には答えが出ない。
出す方法もない。
だからとりあえず、ここに書いた。見た日付、場所の状況、写真に何が写っていたか、それだけ。答えのない記録として。
もし似たような経験をした人がいれば、教えてほしいとも思う。でもあんまり期待はしていない。
こういう話は、似たような話を探し始めると、どんどん深みにはまっていく気がして。だから検索もしていない。
ただ書いた。
それだけです。


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