『ずっと映っていたね』と書かれていた

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閉鎖された病院の防犯カメラ映像を整理していた男性が、ある子どもの姿を見つけた。その子どもに、見覚えがあった——という話を、今から書く。

これを書くのは、ずいぶん迷った。

迷いながら、それでも書くことにしたのは、もうこの話を自分だけの中に収めておくのが限界だと思ったからだ。誰かに話したい。でも、声に出しては言えない。だからここに書く。

私は今、三十代の半ばを過ぎた。フリーランスで翻訳の仕事をしながら、小さな賃貸のアパートに一人で住んでいる。子どもの頃のことを振り返る習慣はほとんどなかったけれど、去年の秋ごろから、なんとなく記憶を整理したくなって、古い日記を引っ張り出したり、実家に電話して昔の話を聞いたりすることが増えた。

その延長で、ふとネットを調べていたときに、ある記事にたどり着いた。

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記事を書いていたのは、タケウチという名前の男性だった。職業はフリーのライターで、廃墟や閉鎖施設の記録を趣味で続けているらしかった。ブログ形式の、ちょっと古い作りのウェブサイトだった。最終更新は三年前で止まっていた。

その記事のタイトルは、「ある閉鎖病院の防犯カメラ映像について」というものだった。

私がそのページを開いたのは、純粋に興味本位だった。廃墟系のコンテンツはたまに見ることがあったし、病院という舞台が持つ独特の雰囲気も嫌いじゃなかった。軽い気持ちでスクロールを始めた。

記事によると、タケウチさんが調査対象にしたのは、県境の山あいにかつて存在した小さな病院だった。地名は伏せられていたけれど、記事の中の描写——山に挟まれた盆地、細い一本道の突き当たり、古い国道沿いに立つ三階建ての建物——を読んでいるうちに、私はなんとなく、あの場所のことを思い出した。

思い出した、というより、「知っている」という感覚の方が正確かもしれない。

でもその時点では、まだそれが何なのかよくわからなかった。よく似た場所は他にもあるだろうと思って、読み続けた。

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タケウチさんがその病院の廃墟に入ったのは、平日の真昼だったと書かれていた。人目を避けるために夜に行く人が多いが、自分は昼間の廃墟の方が怖いと思っている、というようなことも書いてあった。正午を少し過ぎた時間帯に単独で建物に入り、各フロアを記録して回った。

建物自体は老朽化が進んでいたが、内部の設備の一部はまだ残っていた。受付カウンター、点滴スタンド、色の褪せたリノリウムの床。そして、各フロアの廊下に、今でいう防犯カメラのような、当時の「見守りカメラ」が複数設置されたままになっていた。

電源が生きているわけがない、と思いながら近づいたら、一台だけ、赤いランプが点滅していた。

タケウチさんはそれをスマホで撮影して、病院を出た。

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ここからが本題で、私がこの記事を忘れられなくなった理由でもある。

タケウチさんはその後、地元の不動産関係者を通じて、病院が閉鎖される前に使用されていた防犯カメラの録画データの一部を入手した。正規のルートかどうかは書かれていなかったけれど、とにかく数時間分の映像データが手元に届いた。

映像は複数のカメラからのもので、日時スタンプが入っていた。すべて、平日の昼間の映像だった。夜や深夜の映像は含まれていなかった。

ほとんどは、看護師や医師が廊下を歩いている日常的な記録だった。タケウチさんはそれを粛々と確認していたが、あるカメラ映像の中に、繰り返し映り込む「子ども」の姿に気がついた。

三階の廊下を映したカメラに、何度も、同じ子どもが通り過ぎる。

背丈から見て小学校の低学年くらい。性別は判然としない。服装は、白っぽいシャツと地味な色のズボン。病院内にいる子どもとして、とくにおかしくはない。だから最初は流していたが、見ていくうちに、奇妙なことに気がついた。

その子どもは、いつも一人だった。

親らしき大人の姿が前後に映っていない。入院患者でもないらしく、病室から出てくる場面も、病室に入る場面もない。ただ、廊下をゆっくりと歩いている。同じ方向に。毎回、同じ方向に。

タケウチさんは記事の中でこう書いていた。「最初は見舞いに来た子どもかと思った。でも映像を整理しているうちに、この子どもが廊下に現れる時間帯には規則性があることに気づいた。日時は違う。でも時刻はいつも、正午から午後一時の間だ」。

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私はここで、スクロールする手を止めた。

胸のあたりに、じわりとした感覚があった。不安とも懐かしさとも取れない、奇妙な感触だった。

読み続けた。

タケウチさんは、その子どもの画像をキャプチャして、記事に貼っていた。画質は悪い。古い防犯カメラの映像を画面録画したものだから、ぼやけていて、表情は読み取れない。でも、輪郭だけはわかる。

私は、その画像を見て、しばらく息ができなかった。

画質が悪い。それは間違いない。でも、なんとなく、そのシルエットが、自分に似ているような気がした。子ども時代の、自分に。

いや、似ているような気がする、というのは主観的すぎる。誰だってそういう気がすることはある。だから、私はそれを「気のせい」として読み続けることにした。

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記事の終盤に、タケウチさんはひとつの事実を書いていた。

その病院には、かつて小児科の外来があった。閉院のおよそ一年前に外来部門が縮小されて、小児科だけが残り、地域の子どもたちが通っていた時期があった。外来の診療時間は、午前十時から午後一時まで。

つまり、映像に映り込んでいた子どもは、外来患者である可能性が高い。

タケウチさんはそこで記事を締めくくっていた。「正体がわかれば怖くない話かもしれない。でも、映像の日付とその病院の小児科の閉院日を照らし合わせると、一枚だけ、外来が終了した後の日付のものが混じっている。その日の映像にも、その子どもは映っていた」。

それだけ書いて、記事は終わっていた。

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私はブログのコメント欄に書き込もうとしたが、コメント欄は閉じられていた。

代わりに、問い合わせフォームがあった。私は深夜、ほとんど衝動的に、そのフォームにメッセージを送った。自分でも何を確かめたかったのかよくわからない。ただ、「その病院のことを知っている気がする」と書いた。もう少し詳しく聞かせてもらえますか、と。

返信はすぐには来なかった。

三日後、タケウチさんから短い返信が届いた。

「場所の特定はしていませんが、差し支えなければ、あなたが幼い頃にどのあたりに住んでいたか教えてもらえますか」という内容だった。

私は、実家があった地域の名前を書いた。山に囲まれた盆地の、小さな町。

また三日待った。

次のメールには、一枚の画像が添付されていた。

あのキャプチャ映像だった。ブログに掲載されていたものと同じものだと思っていたけれど、少し違った。これは、ブログには載せていない別のカットだとタケウチさんは書いていた。

画像の中の子どもは、廊下の途中で立ち止まって、カメラの方を向いている。

ぼやけた画質の中で、顔の向きだけははっきりわかった。

カメラを、真正面から見上げている。

そしてタケウチさんのメールには、一行だけ、追記があった。

「映像のタイムスタンプを確認しました。この日、この病院の外来に来ていた子どもの記録が、一件だけ残っていました。名前は控えますが、その子の苗字の読み方が、あなたのメールアドレスのアカウント名と一致しています」

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私はメールを閉じた。

それから、実家に電話した。母が出た。私は、子どもの頃に病院に通ったことがあるかどうかを聞いた。「あったよ」と母はあっさり言った。「ほら、小学校に上がる前の一年間、しょっちゅう体が弱くてね。あの山の向こうの病院に、毎週連れて行ったじゃない。覚えてない?昼間に行ってたから、お父さんには仕事休んでもらって」

覚えていなかった。

ほとんど、何も。

でも今、あの記事に貼ってあったぼやけた画像を思い浮かべると、廊下の、ひんやりとしたリノリウムの感触が、足の裏に蘇るような気がする。気がする、だけかもしれない。

タケウチさんへの返信は、まだ書けていない。

ただ、最後に受け取ったメールを読み返すたびに、件名のところに目が止まる。

タケウチさんがそのメールにつけた件名は、こうだった。

「ずっと映っていたね」

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これが、私が書けることのすべてだ。

あの映像の子どもが私なのかどうか、私には確かめる方法がない。記憶は戻らないし、戻ってきたとして、それが本当の記憶かどうかもわからない。

ただひとつだけ、妙に気になっていることがある。

タケウチさんのブログの最終更新は、三年前で止まっている。

でも私がメールを送ったのは、先月のことだ。

返信は来た。確かに来た。

件名に「ずっと映っていたね」と書かれたメールは、今も受信トレイにある。

送信者のアドレスを確認しようとするたびに、なぜか画面が暗くなる。気のせいかもしれない。ただ、今日の昼間、ふと気がついたら、同じ時刻に何度もそのメールを開いていた。

気づいたら、正午を過ぎていた。

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