閉店後のショッピングモールでアルバイトをしていた大学生が、年末の警備中に「守らなければならない決まり事」の数が少しずつ増えていくことに気づいた話。何かを破ったのか、それとも最初から何かがいたのか、今も答えは出ていない。
これを書いておかないと、たぶん自分でも忘れてしまうと思って、年が明けてすぐにキーボードを叩いている。整理できているわけじゃない。ただの記録だと思ってほしい。
俺は今、東部のほうにある私立大学の二年生で、去年の秋から県境の町にある大型ショッピングモールで警備のアルバイトをしている。正確には警備会社から派遣される形で、モールの閉館後に施設内を巡回するやつだ。時給はそこそこ良くて、夜間だから人と話さなくていいし、体力的にも楽な部類だった。大晦日と元日は特別手当が出ると聞いて、年末のシフトも入れた。それが始まりだったと思う。
そのモールは築二十年近い古い施設で、県境の国道沿いに建っている。最盛期はそれなりに賑わっていたらしいが、今はテナントの半分近くが撤退していて、残っているのも地元のチェーン飲食店とかドラッグストアとか、そういう生活インフラ系ばかりだ。閉館後の館内はとにかく薄暗い。節電のために照明を落とすから、非常灯の緑だけが細長い廊下に点々と続いている。慣れると別に怖くはない、と最初は思っていた。
警備員の引き継ぎは毎日、閉館後の二十二時にバックヤードの詰め所でやる。そこに「業務申し送りノート」があって、前の番の人が気になったことや注意事項を書き残していく仕組みだ。俺がシフトに入り始めた最初の頃、そのノートには「巡回ルートの順番を変えないこと」「三階の北側トイレは最後に確認すること」という二つの決まりが書いてあった。理由は書いていなかった。ベテランの人に聞いたら、「昔からそう決まってるから」とだけ言われた。どこの現場にもそういう根拠のないローカルルールはあるもので、俺はとくに気にしなかった。
十二月の中旬にシフトに入ったとき、ノートを開いたら三つ目の決まりが増えていた。
「二階のフードコート跡地では立ち止まらないこと」
フードコート跡地というのは、二年ほど前にテナントが全部撤退して、今は什器も取り払われてただのがらんとした空間になっているフロアだ。照明も落とされているから、非常灯の薄緑の中に白いタイルの床が広がっているだけで、正直、夜に一人でいると気持ちの悪い場所ではある。でもそれだけだ。怪しいことは何もない。立ち止まるなというのが何を意味するのか、俺には分からなかったけど、ルールならルールとして守ればいいと思って、そのまま流した。
年末に近づくにつれて、シフトに入るたびにノートを確認するのが習慣になっていた。何かあったときの申し送りが書いてあることもあるし、単純に業務の確認として見ておく必要がある。十二月の下旬、クリスマスを過ぎた頃にまた一つ増えていた。
「一階南口のシャッター付近では声を出さないこと」
これは少し変だと思った。声を出すなというのは、不審者に気づかせないためとか、そういう防犯上の理由かとも考えたが、そうならもっと違う書き方をするはずだ。申し送りノートにそれを書き足したのが誰なのか、筆跡で分かる気がして見てみたが、全部同じボールペンで、癖のない几帳面な文字だった。詰め所に常駐している人物がいるわけでもないので、誰が書いたのかは確認しようがなかった。
年末の二十八日にシフトに入ったとき、五つ目が増えていた。四つ目がいつ増えたのか、俺には分からない。前のシフトに入ったのが二十三日だったから、その間に誰かが書き足したはずなのだが、内容はこうだった。
「巡回中に数を数えないこと」
意味が分からなかった。数を数えるというのが何を指しているのか。歩数なのか、テナントの数なのか、それとも何か別のものなのか。怖いというより、困惑した。同じ警備会社のベテランの人に翌日電話で聞いてみたら、「そのノートに書いてあることは全部守っておけ。理由は知らんけど、守っておいた方がいい」とだけ言われた。その言い方がどこか含みを持っているような気がして、もう少し聞こうとしたら「俺はもうあそこのシフトには入らんから」と言って電話を切られた。
五つ目が増えていた。
「非常灯の数が合わない場合、その場を離れること」
これを読んだとき、背筋がざわっとした。非常灯の数が合わないというのはどういう状況なのか。非常灯は建物の設備として固定されているものだ。増えることも減ることもない。なのに「合わない場合」という書き方をしているということは、合わないことが実際に起きたということなのだろうか。それとも、起きうることとして警告しているのか。
大晦日のシフトは二十二時から翌朝六時の通し番で、特別手当が上乗せされていた。俺ともう一人、顔を知っている先輩のアルバイトが組んで入る予定だったが、その先輩が当日の夕方に体調不良で欠勤した。代わりの人員が見つからなかったらしく、結局俺一人でやってくれと言われた。断る理由が言いにくくて、了承した。
二十二時に詰め所に入って、引き継ぎノートを開いた。大晦日だから特別な申し送りでもあるかと思ったが、書いてあったのは今まで積み上がってきた六つの決まりだった。六つ目は初めて見る内容だった。
「エレベーターは偶数階でのみ使用すること」
そのモールは四階建てだ。一階と四階と、あとは地下一階の駐車場がある。三階には北側トイレがある、例の場所だ。六つのルールを頭に入れて、俺は巡回を始めた。
最初の一時間は何もなかった。館内を定められた順番通りに歩いて、異状なしをチェックシートに書いていく。年越しカウントダウンのイベントをやっている場所でもないから、外から歓声が聞こえてくるわけでもない。ただ静かな、薄暗い廊下が続くだけだ。
二階のフードコート跡地を通過するとき、立ち止まらないというルールを意識して足を速めた。広い空間を非常灯の緑だけで照らされた状態で、白いタイルの床だけが先に続いている。その時、端の方に何かが見えた気がした。見えた気がした、というのが正確なところで、振り返ったわけじゃない。ルールに従って立ち止まらなかったから、確認していない。ただ、視界の端に、横に長い、低いものが置いてあるような、そういう印象だけが残った。フードコートの什器は撤去されているはずだった。
日付が変わった頃、三階の北側トイレを確認しに行った。他の場所は全部先に回って、最後に来るというルール通りに。トイレのドアを開けると、個室が四つ並んでいる。窓がないから完全な密室で、非常灯が一つだけ点いている。異状なし。ドアを閉めて廊下に出た瞬間、非常灯の数が気になった。三階の北側廊下に非常灯がいくつあるか、俺は初めてまじめに数えた。七つ。前に来たときも七つだったかどうか、まったく自信がなかった。合っているのかどうか、判断できない。でも確かめるために数え直すことは、六つ目のルールに引っかかるかもしれないと思って、その場を離れた。
元日の午前二時過ぎ、一階の巡回に戻ったとき、南口のシャッター付近に来た。声を出さないというルールを守るために、俺は普段なら独り言を言いながら歩いていたところを、口を閉じて歩いた。シャッターの前に立って、外の駐車場の方を見た。駐車場は真っ暗だった。何もいない。帰ろうとしたとき、シャッターの内側、足元に何かがあることに気づいた。
紙だった。A4のコピー用紙で、折り畳まれていた。拾い上げて開いたら、ボールペンで几帳面な文字が書いてあった。
「七つ目:元日以降もこのノートを確認すること」
ノートじゃなくて、紙だった。でも書き方はノートの申し送りと同じだった。筆跡も同じだった。誰が、いつ、ここに置いたのか分からない。閉館後に俺以外の人間が館内にいるはずがなかった。
俺はその紙を詰め所に持ち帰って、ノートに挟んだ。朝六時に退出するときに施設の担当者に報告しようと思っていたが、引き継ぎに来た人がいなかった。連絡先に電話しても繋がらなかった。結局、ノートだけ置いて俺は出てきた。
それから三日後、警備会社の担当から電話があって、「あのモール、来月から警備契約が終了するから、シフトはもう組みません」とだけ言われた。理由は教えてもらえなかった。
ノートに書き足された決まりが合計六つで、シャッターの下に置いてあったのが七つ目だとすると、俺がそのモールに入り始めた秋の時点では二つしかなかったことになる。その間に四つか五つ増えた。誰が増やしたのか、分からない。ルールが増えていった理由も、分からない。
ただ一つ気になっているのは、俺は一度だけ、ルールを破ったかもしれないということだ。あの夜、三階の北側廊下で、非常灯の数を数えた。意識して数え直したわけじゃないが、確かに頭の中で七つと数えた。数を数えてはいけないというルールが四つ目にあった。あれは、歩数とか段数とかじゃなくて、非常灯の数のことを言っていたんじゃないかと、後から思った。
でも、ルールを破ったとして、何かが起きたかというと、何も起きていない。少なくとも俺には。
ただ、元日以降もノートを確認しろという七つ目が残っている。そのノートは今も詰め所にあるはずだ。俺はもうそのモールには行かない。行く理由がない。
答えは出ない。ただ、書いておく。

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