毎朝つけているはずの日記に、自分が書いた覚えのない「翌日の記録」が残っていた。違和感は少しずつ形を変え、やがて私は「誰が、いつ、この日記を書いているのか」という問いから逃げられなくなっていく。
日記をつけ始めたのは、ちょうど三年前の春のことだった。
引っ越しを機に、何か習慣を作ろうと思ったのがきっかけだ。職場の近くに部屋を借りて、家具を運び込んで、段ボールを片づけて、それでもどこか落ち着かない夜が続いていた。物はあるのに空っぽな感じがする部屋で、寝る前に一日の出来事をノートに書き留めることが、当時の私にはちょうどいい「区切り」になっていた。
使っているのは市販の薄いノートで、特別なものでも何でもない。一日一ページという決まりを自分なりに設けて、日付を書いてから、その日に食べたものとか、仕事で気になったこととか、たわいもない内容をだいたい半ページ分くらい書く。それだけのことだ。特別な意味はないし、あとで読み返すつもりもなかった。書くことが目的で、書いたあとのことはあまり考えていなかった。
それが変だと気づいたのは、引っ越してから半年ほど経った、秋の始まりごろだった。
その日、仕事から帰ってきて夕飯を食べて、いつものようにノートを開いた。前日のページに続けて書こうとして、日付を書き入れる前に目が止まった。すでにそのページに、日付が書いてある。しかも、それは今日の日付だった。
一瞬、自分が日付を間違えて書いてしまったのかと思った。よくあることだ。気が抜けているときに一日ずれたまま書いてしまうことくらい、誰だってある。ところが内容を読んでいくと、その日の朝に食べたトースト、昼に同僚と話した他愛のない話題、帰り道に雨が降り出したこと、そういった今日の出来事が、きちんと順番に書かれていた。
文字は、間違いなく私の筆跡だった。
変だな、とは思った。でも正直、その時点ではそこまで深刻には受け取っていなかった。寝ぼけたまま書いたとか、記憶がないだけで無意識にやっていたとか、そういう説明を自分に向かってしてみて、それなりに納得しようとした。誰でもそうすると思う。おかしなことが起きたとき、まず自分のせいにして収めようとするのは、たぶん自然な反応だ。
ただ気になって、それから数日、日記の書き方を少し変えてみた。毎晩書き終わったら、そのページの端に小さく「了」とだけ書き添えるようにしたのだ。自分がそこで書き終えたという印として。
三日後、また同じことが起きた。
翌日の日付が、翌日の内容で、先に書かれていた。「了」の印は、その記録のいちばん最後にも、ちゃんとついていた。
そこから先は、少しだけ本気で怖くなった。
「了」の文字は、私が書く癖のある特徴的な形をしている。「了」の払いの部分を短く止めて終わらせる書き方で、学生のころに自然と身についたもので、意識しないとそうなる。他の誰かがまねようとしたら、かなり注意して観察しなければ気づかないような細かい癖だと思う。
鍵は、自分だけが持っている。オートロックの建物で、合い鍵は作っていない。誰かを部屋に呼んだことも、その半年のあいだほとんどなかった。
試しにある日、日記をつける前に、ノートを鍵のかかる引き出しに入れて眠った。翌朝、鍵を開けてノートを取り出すと、昨日書いたページの次に、今日の日付と今日の朝の記録が書かれていた。目覚めた時刻、今朝の天気、起き抜けに飲んだお茶のことまで。
私はその朝、まだ日記を開いてもいなかった。
しばらくのあいだ、意識的に日記から離れようとした。ノートを書き続けるのが怖かったわけではなく、確認するのが怖かった。見なければ、何も起きていないことにできると思ったのだ。一週間、二週間、ノートには触らなかった。部屋の隅の棚に置いたまま、できるだけ視線を向けないようにして過ごした。
二週間が過ぎたころ、ふと思い立ってノートを手に取った。最後に自分で書いたページから、ぱらぱらとめくっていく。最後に書いた日のページの次から、二週間分の記録が、すきまなく書かれていた。
内容は正確だった。仕事でミスをして上司に注意された日のこと、近所のスーパーがなぜか臨時休業していて困ったこと、眠れない夜に深夜まで起きていたこと。書いた覚えのないことが、書いた覚えのある筆跡で、ページを埋めていた。
一つだけ、おかしなことがあった。
ある日の記録に、こんな一文が混じっていた。
「窓の外をしばらく眺めていた。向かいの建物の三階に、いつも電気がついている部屋がある。あの部屋には、いつも誰かいる」
私はそんなことを考えた覚えがなかった。窓の外を眺める習慣もないし、向かいの建物を気にしたこともなかった。でもその日記を読んだあと、なんとなく窓の方を見てしまった。向かいの建物の三階に、たしかに明かりがついている部屋があった。時刻は夜の十一時を過ぎていた。
それからというもの、その部屋の明かりが気になるようになった。自分が気にし始めたのか、日記に書かれていたから意識するようになったのか、どちらかわからない。でも毎晩その明かりはついていて、カーテンの形が変わることもなく、影が動くこともなかった。
ある夜、日記にこんな記録が先に書かれていた。
「向かいの三階の部屋の電気が、今夜は消えていた。初めて消えているのを見た」
読んだ私はすぐに窓の外を見た。電気はついていた。
翌日の夜、電気は消えていた。
私は少し考えてから、その夜の記録をノートに書いた。「向かいの電気が消えていた。日記には昨日書かれていたことだった」と。初めて自分で書いた記録が、その一行だった。翌朝ノートを開くと、その先に今日の分の記録がすでに書かれていて、私が昨夜書いた一行のあとに、違和感なく続いていた。
どこかで、何かに追いつけない感覚がずっとある。
一度だけ、職場の先輩にそれとなく話してみたことがある。日記に覚えのない記録が書かれているという話を、冗談っぽく混ぜながら。先輩は少し笑って、「寝ながら書いてるんじゃない?」と言った。それで終わった。そうかもしれないと、私も笑って返した。
でも引き出しに鍵をかけて眠っていても書かれていたことは、誰にも言えなかった。
今もノートはある。今日も書かれていた。昨日の夜から今日の朝にかけて私がしたこと、考えたこと、それが日付の上に並んでいる。内容を読むとき、少しだけ怖い。自分が知らない自分の一日を、他人の目で読むような感覚がある。
一つだけ、最近気になっていることがある。
日記は、ずっと「一日ずれ」で書かれてきた。今日の出来事が、翌日には先に書かれている。そのルールは一度も崩れなかった。なのに、ある日の記録に、こんな一文があった。
「三月十四日の夜、日記をやめようと決める」
今日は、三月十二日だ。
三月十四日はまだ来ていない。一日ずれのはずなのに、その記述は二日先のことを書いている。つまり何か、ルールが変わっている。あるいは最初からそういうつもりで、ここまで来たということなのか。
やめようと決めるのが先なのか、それとも日記を読んだから私がそうしようと思い始めているのか、わからない。ただ今、ノートを眺めながらこれを書いている。
三月十四日まで、あと二日ある。

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