閉店後のモールに、入ってはいけない

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大晦日の夜、アルバイト先のショッピングモールに居残った大学生が、閉店後の館内で「知っているはずの人たち」と遭遇する。だが、顔が少しだけ違う。

これを書こうと思ったのは、年が明けて三日が経ってからだ。あの夜のことを誰かに話すと、記憶が薄れる前に言葉にしておきたくなった。うまく整理できているかわからないけれど、ブログに残しておく。読んでくれる人がいるなら、最後まで付き合ってほしい。

俺は今、地方の私立大学に通っている二年生だ。実家から少し離れた、県境に近い中規模の街に一人暮らしをしている。去年の春から、その街の外れにある大型ショッピングモールでアルバイトをしていた。フードコートの端っこにある定食屋で、週に三、四回入るくらいのゆるいシフトだ。

そのモールは、県境の街では一番大きな商業施設だった。三階建てで、テナントが八十店舗以上入っている。ただ、ここ数年で客足が落ちていて、空き店舗もちらほら目立ってきていた。年末年始は毎年そこそこ混雑するけれど、大晦日の閉店後は、嘘みたいに静まり返る。

俺がここで話すのは、去年の大晦日から元日にかけての夜のことだ。

その日は、俺の勤めていた定食屋が年内最終営業日だった。普段より少し早い時間に閉店して、バックヤードで掃除と棚卸しをして、店長と二人でようやく片付けが終わったのが夜の十一時前だった。

問題は、俺が帰ろうとしたとき、モールの施設内に鍵がかかってしまっていたことだった。

正確に言うと、テナント用の従業員出入り口を操作するICカードを、更衣室のロッカーに置き忘れてしまったのだ。俺はそれに気づかず、バックヤードから本館側の廊下に出てしまっていた。店長はすでに先に出ていて、施設の管理室に電話をしようとしたら、圏外ではないのにどういうわけか繋がらなかった。

店長の番号も、何度かけても「おかけになった番号は——」というアナウンスが流れた。

しょうがないので、管理室まで歩いて行くことにした。モール内の案内図は頭の中に入っていたので、一階の北側にある管理室に向かえばいい。従業員通路ではなく、一般の館内通路を歩くことになったけれど、大晦日の夜、閉店後のモールの中を一人で歩いた経験がある人はあまりいないと思う。

シャッターが全部おりていて、灯りも最低限の非常灯だけが点いている。昼間あれだけ騒がしかった場所が、音を吸い込んだみたいに静まり返っている。フードコートのプラスチックの椅子が、整然と並んだまま誰もいない。ゲームコーナーの機械が、電源を切られたまま暗闇の中に突っ立っている。

気持ち悪いとは思わなかった。むしろ、変に落ち着いた空気だな、と感じた。最初は、だけど。

二階の吹き抜け部分を通り過ぎようとしたとき、下のフロアに人影が見えた。

一瞬、管理スタッフかと思った。作業着みたいな恰好をしていたので。でも、よく見ると、そのシルエットはゆっくりと、おかしな方向に歩いていた。シャッターが閉まっている店舗の方へ、ではなくて、シャッターと壁の間の、人が入れないような狭い隙間に向かって歩いているように見えた。

声をかけようとして、やめた。

なんとなく、声を出してはいけない気がした。根拠はない。ただ、そう思った。

俺はそのまま二階の通路を進んで、エスカレーターで一階に下りた。管理室のある北側通路に向かいながら、さっき見た人影のことを考えていた。あの人、どこに行ったんだろう。

管理室の前まで来ると、ドアが少し開いていた。中から、モニターの光が漏れていた。

ドアをノックしようとして、中の声が聞こえてきた。

女性の声だった。「ねえ、顔、ちゃんと合ってる?」

もう一人、男性の低い声が答えた。「合ってる。さっき確認した」

俺は手を止めた。

会話の意味がわからなかった。顔が合ってる、というのはどういう意味なのか。仕事上の符丁みたいなものかとも思ったけれど、そんな業界用語は聞いたことがない。

「あとひとり、戻ってないよね」と女性の声が言った。「大晦日に抜けたの、三年ぶりだって」

「しょうがない。年越しはいつもそういうもんだから」

「でも、顔が足りないままだと——」

そこで俺はノックした。大きな音が出てしまって、自分でも驚いた。

ドアが内側から静かに開いた。

管理スタッフらしい制服を着た、四十代くらいの男性が立っていた。丸顔で、眼鏡をかけていて、穏やかそうな顔をしていた。「どうかしましたか」と、普通の口調で言った。

俺はICカードを忘れて出られなくなった事情を説明した。

その男性は「ああ、それなら」と言って、従業員用の出口を解錠してくれるということだった。問題なく話は進んで、ほっとした。管理室の奥には女性スタッフの後ろ姿が見えたけれど、こちらには振り返らなかった。

男性に案内されて、南側の従業員出口まで歩いた。その途中で、俺はさっきの話が引っかかって、何気なく聞いてみた。「さっき、顔が合ってるって話してましたよね。業務用語ですか」

男性は一瞬、止まった。

止まった、というのが正確な表現かどうかわからないけれど、歩みが一秒くらい途切れた。そして、振り返らずに答えた。「シフト表のことですよ。顔ぶれ、っていう意味で使う言い方なんです」

なるほど、と俺は答えた。

でも、なんとなく腑に落ちなかった。

出口のドアを解錠してもらって、俺は外に出た。冷たい年越し前の風が吹いていた。「よいお年を」と言ったら、男性は「ええ、よいお年を」と答えた。

ドアが閉まった。

外に出て、駐車場を歩きながら、なんとなく振り返った。

ガラス越しに、さっきの男性の後ろ姿が見えた。廊下を歩いていた。

おかしいと思ったのは、そこからだ。

その男性の後頭部が、さっきより一回り大きく見えた。

暗かったから、ガラス越しだったから、見間違いかもしれない。でも、俺の目には確かに、頭のかたちが違って見えた。さっきより、輪郭がぼんやりと丸かった。

気のせいだと思いたかったけれど、次の日、気になることがあった。

元日の昼ごろ、同じモールのバイト仲間の先輩から連絡が来た。先輩は年明けから数日後のシフトに入っている人で、「あけましておめでとう」という流れで少し話した。その中で、俺は何気なく「昨日の夜、モールに居残っちゃって、管理室の人に助けてもらった」と話した。

先輩は「ああ、誰に対応してもらったの」と聞いてきた。

俺は「眼鏡かけた四十代くらいの丸顔の男性で、穏やかな感じの人」と答えた。

先輩は少し黙った。

「管理室の正規スタッフ、今は二人しかいないんだよね。一人は若い女性で、もう一人は背が高いごつい感じの男性。眼鏡の人はいないと思うけど」

俺は「え」と言ったまま、しばらく返事ができなかった。

先輩は「でも大晦日は業者が入ることもあるから、そっちの人だったんじゃない?」と続けた。それで話は終わった。

たぶん、先輩の言うとおりなのかもしれない。業者か、あるいは俺の記憶違いか。

ただ、どうしても引っかかることがある。あの夜の管理室で聞いた会話のことだ。「顔が合ってる?」「足りないままだと——」

顔が合ってる、というのは、シフト表の顔ぶれのことだと言っていた。でも、その言い方を俺はそれまで聞いたことがなかったし、それ以来も聞いたことがない。

もうひとつ、引っかかることがある。

閉店後のモールで一人で歩いていたとき、二階から見えたあの人影だ。シャッターと壁の隙間に入っていったような、あの人。それから管理室で背を向けていた女性スタッフ。振り返らなかった。

そして、外から見た、あの男性の後頭部の輪郭。

俺が気にしすぎているだけかもしれない。大晦日の夜、非日常の空間にいたせいで、感覚が狂っていただけかもしれない。

ただ、ひとつだけ、はっきりと覚えていることがある。

あの男性に案内されながら歩いていたとき、途中で通った婦人服店のシャッターの前を通った。そのシャッターは鏡面素材で、歩いている俺と、横に並んだ男性の姿が薄く映り込んでいた。

俺は自分の姿を確認した。普通に映っていた。

でも、男性の顔が、映っていなかった。

シャッターには、俺の隣に、制服を着た人間の輪郭だけが映っていた。顔の部分だけが、ぼんやりと白く、何も映っていなかった。

電灯の角度のせいだと思いたい。

でも、それから俺は、何度か昼間にそのモールに行った。アルバイトがある日も、プライベートで行った日も。そのたびに、知っているはずの従業員や、見知ったバイト仲間の顔を見るたびに、少しだけ確認してしまう癖がついた。

本当にその人の顔か、と。

こんなことを書いても、信じてもらえないと思う。俺自身、信じたくない。

でも、あのモールはまだ営業していて、俺は今もそこでバイトをしている。年明けからも、変わらずシフトに入っている。同じ定食屋で、同じ仕事をしている。

何かが変わったわけじゃない。日常は普通に続いている。

ただ、大晦日の夜に「顔が足りない」と言っていた声が、頭から離れない。

今年の大晦日が来たとき、俺はどこにいるんだろう。

モールのシャッターが下りた後、あの廊下をまた歩く羽目になったら、と思うと、少しだけ怖い。

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