拾ったノートが、私の夢だった

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雨の日に拾ったノートには、見知らぬ誰かが書き続けた夢の記録が綴られていた。読み進めるうち、その夢が自分の夢と完全に一致していることに気づく。

それを拾ったのは、梅雨の終わりごろの話だ。

駅から徒歩十分ほどのところに住んでいて、毎朝同じ道を歩いて通勤していた。歩道と車道を仕切るガードレールのそばに、公園へ続く小道がある。普段は素通りするだけの場所なのだけど、その日は傘を差しながら何となく目が向いて、足が止まった。

ベンチの上に、ノートが一冊、置いてあった。

雨に濡れていたから、誰かが忘れていったのはずいぶん前のことだと思う。表紙は黒いキャンバス地で、市販の大学ノートより少し厚みがあった。落とし物として届けようにも、近くに交番はなかったし、時間もなかった。なんとなく気になって、カバンに入れた。

仕事が終わって家に帰って、乾かすために表紙を開いた。

名前は書いていなかった。連絡先も、日付以外の個人情報は何もなかった。ただ、最初のページに細かい文字でびっしりと、夢の内容が書いてあった。

「夢日記だ」と思った。

私も同じものをつけていたから、すぐわかった。学生のころから続けていた習慣で、起きたらすぐに枕元のノートに夢の内容を書き留めるようにしていた。夢は起きた瞬間から薄れていくから、目を開けたまま手を動かす。そうしないと消えてしまう。だからその几帳面な手書きの文字を見た瞬間、書いた人の気持ちが少しだけわかった気がした。

何気なく読み始めた。

最初の数ページは、ありきたりな夢だった。電車に乗り遅れる夢。知らない建物の廊下を歩く夢。顔のない人と話す夢。夢日記によくある内容で、「あ、こういうの私も書いたな」と思いながら読み進めた。

問題は、十ページ目あたりで起きた。

そこに書かれていた夢が、私の記憶と重なった。

「古い家の縁側に座っている。庭に柿の木が一本ある。葉が一枚も付いていないのに、実だけがたくさんなっている。近くで誰かが自分の名前を呼んでいるが、振り返れない」

その夢を、私は見たことがあった。

はっきり覚えている。去年の秋ごろ、繰り返し見た夢だ。柿の木の細かい枝の質感まで。振り返れない息苦しさまで。自分のノートにも書いてある。確認しようと思ってすぐに枕元のノートを引っ張り出したら、ほぼ同じ内容が書いてあった。

日付まで同じだった。

偶然だと思いたかった。柿の木の夢なんて、誰だって一度くらい見るだろう。縁側がある家で育った人なら特に。そう言い聞かせて、その夜は拾ったノートを引き出しにしまった。

でも次の日、また読んでしまった。

読めば読むほど、重なる夢が増えた。「砂浜を歩いていると、砂の中から手が出てくる。引っ張られる感覚があるが、自分の足は動かない」という夢。「誰かと食事をしているが、相手の顔が見えない。料理の内容だけが鮮明で、確か煮物だった」という夢。どちらも私のノートに書いてある夢と、ほぼ一字一句変わらない内容だった。

気になって、日付を全部照合した。

重なっている夢のほとんどが、同じ日付か、一日二日しか違わなかった。同じ夢を、同じ夜に見ている。それが、少なくとも十件以上あった。

誰なのか、まったく手がかりがなかった。ノートの持ち主に心当たりはなかったし、筆跡も知人のものではなかった。女性の字のようにも見えたし、几帳面な男性の字にも見えた。ただ、毎日書いていることだけはわかった。日付の抜けが、ほとんどなかったから。

ノートが終わっているのは、拾った日の二週間前だった。

最後のページには、こう書いてあった。

「また同じ夢だった。川沿いの道を歩いている。前から歩いてくる人がいる。すれ違う瞬間に顔を見ようとするが、見るたびに目が覚める。今日で三十七回目」

三十七回目。

同じ夢を三十七回見たということが、そこに書いてあった。

私は自分のノートをめくった。似たような記述を探した。川沿いの夢は、私も見ていた。でも私のノートには「三回目」と書いてあって、日付は拾ったノートの最後の日付から三日後だった。

ノートが終わった後、私が夢を見始めていた。

その事実に気づいたとき、背中が冷たくなった気がした。

でも、それだけなら「たまたま」で片付けられなくもなかった。人は誰でも似たような夢を見る。川の夢、知らない道の夢、顔のない人の夢。そういうものは、夢の中でも特に普遍的な光景だ。重なって当然とも言える。

問題は、その後だった。

ノートを拾ってから一週間ほど経ったある夜、私は夢を見た。

細い路地に立っている。夜で、街灯が一本だけ点いている。路地の奥に、女の人が立っていた。こちらに背を向けていて、ゆっくりこちらに向かって歩いてくる。距離が縮まるにつれ、その人がノートを持っているのがわかった。黒い表紙のノートだった。

女の人が近づいてきて、ぱっと顔を上げた。

そこで目が覚めた。

夢の内容を枕元のノートに書きながら、変な感覚があった。この夢、どこかで読んだ気がする。そう思って、拾ったノートを引き出しから出してめくり始めた。

半分より少し前あたりのページに、あった。

「細い路地に立っている。夜で、街灯が一本だけある。路地の奥に誰かがいて、ゆっくり近づいてくる。その人がノートを持っている。顔を見ようとしたところで目が覚めた」

日付を見た。

三ヶ月前だった。

拾ったノートの持ち主が、三ヶ月前に見た夢を、私が今夜見た。順番が逆になっていた。それまでは同じ夢を同じ頃に見ていたのに、今度は向こうが先に見た夢を、後から私が見ていた。

誰かに話そうと思ったけれど、話せなかった。「拾ったノートと同じ夢を見てる」と言っても、信じてもらえないだろうし、信じてもらえたとしても、どうすればいいのかわからなかった。

ノートを捨てようかとも思った。

でも捨てたとして、夢は止まるのかという疑問があった。夢は、ノートを拾う前から重なっていた。ノートはただの記録で、問題はその外側にある。そう考えると、捨てることに意味があるかどうかもわからなかった。

それからも夢は続いた。

月に数回、拾ったノートの中の夢と同じ夢を見た。ページを遡るように、古い日付のものを後から体験していく感覚があった。持ち主が見た順番とは逆に、私の夢は進んでいた。

そして先月、ノートの一番最初のページと同じ夢を見た。

知らない部屋にいる。窓から光が差し込んでいる。誰かが隣に座っている。顔を見ようとするが、見るたびに視線がずれる。ずっと隣にいるのに、決して正面から見ることができない。そういう夢だった。

ノートの最初のページには「これが最初の夢。日付は覚えていないが、ここから記録を始めることにした」と書いてあった。

私は全部の夢を見終えた。

今は、新しい夢を見ていない。夢を見ないわけじゃなくて、ただの普通の夢を見ている。追いかけていたものが、なくなったような感じ。

ノートはまだ引き出しの中にある。

一つだけ気になっていることがある。

ノートの最後のページ、三十七回目の川沿いの夢の記述の下に、消しゴムで消したような跡がある。薄く残った筆圧を光に当てて読んでみようとしたことがあるけれど、文字なのかどうかもわからなかった。

ただ、一つだけ読めた気がする言葉があって。

それは、私の名前に似た形をしていた。

確かめようと思ったのだけど、翌朝には、もうどこにも見えなかった。見間違いだったのかもしれない。あるいは、光の当て方が悪かっただけかもしれない。

ノートは今日も引き出しの中にある。

捨てるタイミングを、なんとなく逃している。

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