引っ越したアパートの窓から見える景色が、ある日を境に少しずつ変わり始めた。最初は気のせいだと思っていたが、やがて「景色」だけではない何かが変わっていることに気づく。
おれが今のアパートに引っ越したのは、二年ほど前のことだ。
仕事の関係で、それまで住んでいた街から少し離れた、県境に近い小さな町に越してきた。田んぼと住宅が交互に並ぶような、どこにでもありそうな場所だ。駅からは徒歩十五分ほど、スーパーまでは自転車で五分。不便でも便利でもない、ごく普通の立地だった。
部屋は二階建てアパートの二階の角部屋で、六畳一間にユニットバスとミニキッチンがついたやつだ。家賃は安かった。築年数は聞かなかった。聞かなくても分かる程度には古かったけれど、清潔感はあったし、日当たりも悪くなかった。内見したときに窓から外を眺めて、ああ悪くないな、と思ったのを覚えている。
その窓というのが、部屋の南側についている腰高窓で、開けると目の前に空き地が広がっていた。雑草が生えていて、端の方にブロック塀があって、その向こうに古い平屋が一軒、見えていた。平屋は誰かが住んでいるのかどうかよく分からない雰囲気だったけれど、夜になると薄ぼんやりと電気がついていることがあったから、たぶん人はいるのだと思っていた。
最初の数か月は、とくに何も感じなかった。
違和感を覚えたのは、引っ越してから四か月か五か月が経ったころだったと思う。
ある朝、窓の外を何気なく眺めていて、おれはふと思った。あれ、木があったっけ、と。
空き地の中央あたりに、細い木が一本立っていた。樹種はよく分からない。背丈は二メートルちょっとくらいで、葉がついていて、風にゆれていた。別に不思議なことではない。空き地に木が生えていたって普通のことだ。ただ、おれの記憶の中にはその木がなかった。内見のときも、引っ越した直後も、空き地はただの空き地だった気がした。
でも、そんなこと誰にも確認できないし、最初からあったのに気づかなかっただけだろうと思って、すぐに忘れた。
次に気づいたのは、それから一か月くらい後のことだ。
今度は、平屋の向きだった。
これを言うと、たいていの人には「そんなわけない」と笑われる。建物の向きなんて変わるわけがない、と。おれだって、そう思う。そう思いたい。でも、あの日おれが窓から見た平屋の正面玄関は、確かに右側を向いていた。それまではずっと左側にあったのに。
おれはしばらく窓の前に立ったまま、その平屋を眺めていた。見間違いかもしれない。角度の問題かもしれない。光の加減で、玄関の位置が違うように見えることだってあるだろう。そう自分に言い聞かせた。
ただ、その日以来、おれは窓の外を眺めるときに少し緊張するようになった。
スマートフォンで写真を撮り始めたのもそのころだ。日付入りで保存しておけば、何かが変わっても比較できると思ったからだ。毎朝、起きてすぐに一枚。同じアングル、同じ窓から撮るだけの、地味な作業だった。写真に撮ってみると、そこに映るのは本当に何でもない空き地と平屋と空の景色で、我ながら何をやっているんだろうという気持ちになった。
それが三か月ほど続いたある日、写真を見返していておれは手が止まった。
木が、消えていた。
あの細い木が、どこにもない。日付で確認すると、十日ほど前から写真に映っていない。生えていた場所には、ただ草があるだけだった。抜いたのか、枯れたのか。それとも最初からなかったのか。おれには分からなかった。
ただ、写真には確かに写っていた。その事実だけが残った。
おれが本格的に怖くなり始めたのは、その少し後、隣の住人と廊下ですれ違ったときのことだ。
隣の部屋には、引っ越してきたころから四十代くらいの男性が住んでいた。名前は知らない。会えばお辞儀をする程度の関係だった。その人が廊下で洗濯物を干しているのを見て、おれは何となく話しかけた。
「ちょっと聞いてもいいですか。あの空き地の木、いつの間にかなくなってましたよね」
その人は一瞬、表情が止まった。
「木?」
「南側の空き地に、細い木が生えてたと思うんですけど」
「そこに木なんてありましたっけ」
その人はそう言って、少し困ったような顔をした。記憶にないのか、本当に木がなかったのか。どちらとも受け取れる顔だった。おれはそれ以上聞けなくて、「あ、見間違いかもしれないです」と笑って部屋に戻った。
でも、写真には映っていた。
それからというもの、おれは毎日窓の外の写真を撮り続けながら、それを見比べる作業を続けた。変化はゆっくりで、だからこそ気づきにくい。ブロック塀の高さが、二枚の写真を並べてみると微妙に違う気がする。平屋の屋根の形が、少し変わっているような気がする。でも確信が持てない。おれの撮り方が微妙にずれているせいかもしれないし、光の加減や季節によって見え方が変わることだって当然ある。
変化しているのは、本当に窓の外だけだったのだろうか。
ある夜、酒を飲みながら撮りためた写真をぼんやり見ていて、おれはある事実に気がついた。
写真の中に、おれ自身が映りこんでいる。
窓ガラスに反射して、撮影しているおれの姿が薄く映りこむことがある。腰高窓だから、立って撮ると上半身が映る。それ自体は珍しいことでも何でもない。ただ、おれは三か月分の写真を見返しながら、徐々に気持ち悪くなっていった。
写真の中のおれの姿が、何枚かで少し違う。
顔は分からない。ガラスへの反射だから、細部はぼやけている。ただ、着ている服が、その日おれが着ていたものと違う写真がある。二枚か、三枚。ちゃんと数えなかった。数えたくなかったから。
着替えてから撮ったのかもしれない。寝間着のまま撮ったのかもしれない。記憶なんてそんなに正確じゃない。おれはそう思うことにした。
でも、そのうちの一枚だけ、どうしても説明がつかない写真がある。
撮影したのは平日の朝七時過ぎ。おれはその日、仕事の都合で早く家を出なければならなくて、着替えを終えてから写真を撮った。スーツを着ていたのは間違いない。なのに、その日の写真のガラスに映っているおれは、何も着ていないように見える。上半身が、肌色だ。
スマートフォンの小さな画面で見たときは、汚れか何かかと思った。でも拡大してみると、それは人の形をしていた。
おれは今でも、毎朝写真を撮っている。
それを誰かに見せたことはない。見せたとして、きっと「光の加減でしょ」とか「撮り方の問題」と言われるのが分かっているからだ。おれだってそう思いたい。
ただ、昨日また一つ気になることがあった。
朝の写真を撮ろうとして窓に近づいたとき、ガラスに映るおれの姿が先に動いた。
おれが窓に近づくより、コンマ数秒だけ早く、ガラスの中の人影が動いた。
気のせいだと思う。本当に気のせいだと思う。目が覚めていなかっただけだと思う。
ただ、その日から窓に近づくのが少し怖くなった。
写真は今日も撮った。景色はいつも通りだった。空き地があって、ブロック塀があって、その向こうに古い平屋が見える。おれが越してきたころと、たぶん変わっていない。
ただ一つだけ、どうしても気になっていることがある。
今日の写真を撮ったあと、念のためガラスへの映りこみを確認しようとしたんだけど、そこにおれの姿がなかった。
ガラスには景色しか映っていなかった。
おれが、映っていなかった。
それが今日の話だ。

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