うちのカレンダーの話

壁に掛けたカレンダーに、身に覚えのない書き込みが増えていく。自分の筆跡で、自分が知らないはずのことが書かれていた。

去年の話をしようと思う。

きっかけは本当に些細なことだった。引っ越し先のアパートに越してきて、最初にやったのは台所の壁にカレンダーを貼ることだった。百円ショップで買った、何の変哲もない薄いやつ。月曜始まりで、マス目が大きくて書き込みやすいタイプ。仕事のシフトとか、家賃の引き落とし日とか、そういうものをすぐ確認できるようにしておきたかった。

一人暮らしを始めて三度目の春だったけれど、引っ越しは初めてだった。実家から出たのは短大に入る前で、以来ずっと学生向けのワンルームに住んでいた。今度の部屋は少しだけ広くて、台所と居室が一応分かれているタイプ。駅から徒歩十五分、県の西の端に近い小さな町。特別どうということのない場所だった。

最初の一か月は忙しかった。新しい職場の研修があって、荷ほどきもろくにできないまま毎日バタバタしていた。カレンダーには研修の終了日と、近くのスーパーの特売曜日くらいしか書いていなかった。

違和感に気づいたのは、引っ越してから六週間ほど経った頃だ。

その日、シフトの確認をしようと台所のカレンダーをながめていたら、三週間ほど前の日付のマス目に、小さく文字が書いてあるのに気がついた。「夜中に外を確認」とあった。

最初は自分で書いたものだと思った。睡眠不足が続いていたし、入眠前に考えたことをメモする癖が昔からあった。ただ、内容がよくわからなかった。夜中に外を確認、って何を? ゴミ出しの確認でもないし、宅配便の不在票を探したわけでもない。記憶がなかった。

でも、そのときはそれだけで終わった。書いたのは自分だろう、ただ忘れているだけだろうと思って、特に気にしなかった。

問題は、それからだった。

一週間後、また気がついた。今度は別の日付のマス目に、同じような走り書きがある。「三時ごろ、音がした」。筆跡は明らかに自分のものだった。ボールペンの持ち方の癖が出ていて、「三」の書き方が独特なのは昔から変わっていない。でも、書いた記憶がどうしても出てこなかった。

その翌々日にも見つけた。「窓の外に人がいた気がする」。

私は二階に住んでいた。窓の外というのはベランダ側の話だと思うが、そこから人が見えるとしたら、外の駐車場あたりを歩く人影ということになる。それ自体はおかしくない。でも、「気がする」という書き方が引っかかった。自分でメモするなら、もっとはっきり書くはずだ。見えた、とか、確認した、とか。「気がする」というのは、半分夢の中で書いたような、ひどく曖昧な言い方だと思った。

ここで初めて、少しだけ怖くなった。

私は自分がうっかりものだということはわかっている。財布をどこに置いたか忘れるし、鍵を閉めたかどうか不安になって引き返すことも多い。でも、自分で書いたメモを丸ごと忘れるというのは、さすがに経験がなかった。

念のため、スマートフォンのメモアプリを確認してみた。カレンダーと並行して使うことがあるので、何か手がかりがあるかもしれないと思った。だが、アプリの方には何もなかった。仕事のシフトと、買い物リストと、実家の母に聞かれた親戚の電話番号くらいしか残っていない。

次の週末、もう一度カレンダーをはずして全体を見渡してみた。

引っ越してから現在までのすべてのマス目を、順番に確認した。自分が書いた覚えのある記述は、シフトの日程と、スーパーの特売日と、歯医者の予約日だった。それ以外に、七つの書き込みがあった。

七つ、全部、身に覚えがなかった。

日付順に並べると、こうなる。「夜中に外を確認」「三時ごろ、音がした」「窓の外に人がいた気がする」「また音。今日は長かった」「見てはいけないと思った」「何かが戻ってきた」「もう書かない」。

最後の一文で、手が止まった。

もう書かない。

それが書かれた日付は、確認した日の四日前だった。でも実際に見ると、その後にも何も書かれていないわけではなかった。「もう書かない」のすぐ下のマス、前日の日付のところに、一文字だけあった。「いる」と書いてあった。

筆跡は、やはり自分のものだった。

私はそのカレンダーを持って、職場の同期の子に電話した。彼女は怖い話が好きで、私が混乱したときにいつも話を聞いてくれる。事情を話すと、彼女はしばらく黙っていて、「誰かが部屋に入ってるんじゃないの」と言った。

その可能性は考えなかったわけではない。鍵を替えてもらうことも検討した。でも、鍵は一本しかなく、オートロックの番号も越してきた日に自分で設定していた。ベランダの窓には補助錠をつけていて、それは毎晩確認していた。少なくとも、物理的に誰かが侵入できる状況ではないと思っていた。

だとすれば、書いているのは自分ということになる。

夢遊病に近い状態で、眠りながら台所へ行き、カレンダーに書き込んで、また眠りに戻っている、ということなのか。それなら覚えていないのも説明がつく。でも、「見てはいけないと思った」とか「何かが戻ってきた」というのは、いったい何を指しているのか。自分が夢の中で何を見て、何を感じて、こういう言葉を選んだのか、まったく心当たりがなかった。

同期の子に勧められて、その夜から寝る前にスマートフォンで動画を撮りっぱなしにするようにした。台所に向けてスタンドを立てて、夜中の映像を残せるようにした。

三日間、何も映っていなかった。

四日目の朝、確認しようとスマートフォンを手に取ると、動画ファイルが保存されていなかった。撮影アプリを起動した覚えはあるのに、ファイルが残っていない。設定が変わっていたわけでもなく、容量が足りなかったわけでもなかった。何かの拍子に停止していたのかもしれないし、私が寝ぼけて止めてしまったのかもしれない。

そして、その朝のカレンダーに、また一行あった。

「撮られている間は来ない」。

それを見たとき、正直に言うと、少しだけ安堵してしまった自分がいた。来ない、ということは、来ない何かがいるということで、それは怖いはずなのに、書かれていること自体に、自分を守ろうとしている意思みたいなものを感じたから。

でも、すぐにそれが変だと思った。

書いているのが自分だとすれば、撮られている間は来ない、という事実を「私」はどうやって知っているのか。撮影が止まった後に何かが来て、そこで知った、ということになるのか。それとも撮影が止まった後に私自身が台所に行き、何かを見て、書いて、戻ったのか。

どちらにしても、私はそれを覚えていない。

その日の昼間、私は管理会社に電話して、この部屋の前の入居者について聞いた。教えてもらえるかどうかわからなかったけれど、電話に出た人は少し間を置いてから、「二年ほど空室になっていた部屋です」とだけ言った。なぜ空室だったのかは答えてもらえなかった。

その夜から、書き込みは止まった。

カレンダーに新しい一行が増えることは、それ以降なかった。私は二か月後に更新のタイミングで別の部屋に移った。引っ越しの理由は、通勤が少し遠いから、という口実にした。本当のことは誰にも言っていない。

カレンダーは引っ越しのゴミと一緒に捨てた。

ただ、一つだけ気になっていることがある。今の部屋に越してきて最初の週、新しいカレンダーを貼った翌朝のこと。何を書いたわけでもないのに、一番上のメモ欄に、薄く折り目がついていた。まるで、一度めくって戻したような跡。

買ったばかりのカレンダーに、誰もめくっていないはずの跡。

気のせいだと思っている。今も、そう思い続けている。

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