引っ越し先の庭に立っていた一本の木が、ある朝から少しずつ遠ざかっていた。気づいたときには、失われていたのは木だけではなかった。
あの家に越してきたのは、秋の終わりごろだった。
夫の転勤にともなって、わたしたちは県境に近い小さな町に引っ越した。周囲を山に囲まれた静かな場所で、バスは一時間に一本、コンビニまで車で十分かかるような土地だった。はじめは不便だと思ったけれど、家そのものは悪くなかった。築二十年ほどの一軒家で、南向きの縁側があり、こじんまりとした庭がついていた。
その庭の中心に、一本の木が立っていた。
不動産屋の説明によれば、前の住人が植えたものだという。種類はよくわからなかったが、葉がすっかり落ちた状態でも幹だけで存在感があった。高さは二メートルほど、幹回りは子どもの胴くらいあって、根元には丸い石が三つ、まるで置いたように並んでいた。
なんとなく気になって夫に話すと、「木があると落ち着くじゃないか」と言われた。たしかにそうかもしれないと思い直し、わたしも特に気にせず荷ほどきを続けた。
おかしなことが始まったのは、引っ越して三週間ほど経ったころだった。
その日の朝、わたしはいつも通り縁側のカーテンを開けた。日課にしていた庭の確認というほどのものではなくて、ただ光を入れるためにカーテンを引くと、自然と庭が目に入るというだけのことだ。
あの木が、心なしか右に寄っていた。
最初は気のせいだと思った。引っ越したばかりで生活の感覚がまだ定まっていない、庭の全体像をきちんと把握していないから距離感がおかしく見えるのだろう、そんなふうに自分に言い聞かせた。夫に話すと、「植木は動かないよ」と笑われた。それもそうだ、と思って、その日は忘れることにした。
でも翌朝も、木は昨日と同じ位置に見えた。昨日おかしいと思った位置に、ちゃんとある。つまり最初にわたしが把握していた位置より、確かに右に寄っていた。
気になって縁側に出た。庭の土は乾いていて、特に掘り返された様子はなかった。根元の丸い石も三つ、きちんと並んでいる。でも木の位置は、わたしの記憶にある場所とずれていた。引っ越してきた日にスマートフォンで撮った写真を確認してみると、たしかに木の立ち位置が違う。縁側から見て、明らかに中央寄りだったはずが、今は右端に近い。
写真の撮り方がおかしかっただけかもしれない、とも思った。でもそこから、わたしはほぼ毎朝、木の位置を写真に撮り続けた。
一週間分の写真を並べてみたのは、その翌週の日曜日のことだった。
木は、毎日少しずつ右に移動していた。
いや、移動というのが正確かどうかわからない。位置が変わっているのは確かなのに、土が乱れた形跡はなく、根元の石の並びも変わっていない。まるで最初からそこにあったかのように、ただ静かに、庭の端へと近づいていた。
夫に写真を見せた。夫はしばらく画面を見比べて、「確かに違うな」と言った。笑わなかった。「でも、植木が動くわけがない。何か勘違いがあるんじゃないか」とも言った。それ以上の言葉は出なかった。
わたし自身も、どう考えていいのかわからなかった。近所に不動産屋が言っていた前の住人の痕跡はほとんどなく、隣家に挨拶に行ったときも、「静かな人が住んでいたね」という程度のことしか教えてもらえなかった。
木のことが気になりながらも、生活は続いた。
それから二週間ほど経ったある朝、縁側のカーテンを開けたとき、わたしははっきりと違和感を覚えた。庭が、広く見えた。
木は、庭の右端まで来ていた。フェンスのすぐ内側に、ぴったりと寄り添うように立っていた。根元の石は相変わらず三つ、きちんと並んでいる。
次の朝、わたしは怖くてカーテンを開けるのが遅くなった。
縁側に立って庭を見ると、木はフェンスの向こう側にあった。
庭の外に出ていた。
フェンスのすぐ外、隣の空き地との境目あたりに、あの木が立っていた。根元の石は見当たらなかった。幹だけが、すとんとそこにある。
夫を呼んで一緒に確認した。夫も絶句していた。「昨日まで庭にあったよな」と何度も確認するように言った。わたしは「うん」と答えるだけだった。
空き地の持ち主に無断で入るわけにもいかず、わたしたちはしばらく外から木を眺めた。根が土に埋まっているのか地面すれすれに何かあるのかも、遠目にはわからなかった。
翌朝、木は空き地の奥に進んでいた。
その翌朝は、見えなくなっていた。
フェンスの向こうに目を凝らしても、空き地には木の姿がなかった。どこかに行ってしまったとしか言いようがない。あれだけ幹回りのある木が、一晩で消えていた。
夫は「誰かが持っていったんだろう」と言った。でも夜中に人の気配はしなかったし、翌朝に確認しに行っても、土が掘られた形跡すらなかった。
その日から、わたしは毎朝の写真をやめた。
木がなくなったことで、何か区切りがついたような気がした。奇妙な体験だったけれど、害があったわけでもないし、木が消えたなら消えたで仕方がない、と半ば無理に納得しようとしていた。
ところが一か月ほど経ったころ、夫が口にしたことがあった。
「そういえば、縁側の向こうに松の木があったっけ」
なんでもない口ぶりだった。夕食の後、縁側の外を見ながらぼんやりと言った言葉だった。
わたしは箸を置いた。
「あれは松じゃなかったよ」と答えると、夫が少し首を傾けた。「そうだっけ」と言って、また外を見た。
松ではなかった。幹の質感も、枝の出方も、全然違った。あの木の種類がなんだったかは今もわからないけれど、松ではなかった。引っ越してきた日に撮った写真を見せようとしたら、スマートフォンのアルバムを遡っても、庭の写真が一枚も見つからなかった。
毎朝撮り続けていた、あの一週間分の写真も、ない。
削除した覚えはなかった。念のためにゴミ箱も確認したけれど、空だった。
夫にそのことを話すと、「そんなに写真を撮っていたっけ」と言われた。笑顔だったけれど、どこか遠いような顔だった。
その夜、眠れなくて布団の中でずっと考えた。
引っ越してきた日、縁側から見た庭の光景。中心にあった木。根元に並んだ石。夫と二人で外からフェンス越しに眺めた朝のこと。あのとき夫は確かに「昨日まで庭にあったよな」と言っていた。
でも今の夫は、木を松だと思っている。
翌朝、わたしは縁側に出て庭を眺めた。木のなくなった庭は、こんなに広かっただろうかと思うほど、がらんとして見えた。
根元の石が、三つ、並んでいた。
木のない場所に。土は平らで、何かあった形跡もない。それでも石だけが、最初の日と同じように、丸く、静かに、並んでいた。
わたしはその場を離れた。夫を呼ぼうとして、やめた。
夫に見せても、あの石が最初からそこにあったと言うかもしれない、という気がしたから。
今もあの石は庭にある。わたしは触れていない。夫はとくに気にした様子もなく、天気がいい日には縁側で本を読んでいる。
木のことを話題にすることは、お互いにしなくなった。
わたしだけがまだ覚えているのか、それとも本当は誰も覚えていないのか、確かめる方法がわたしにはもうない。
ただあの石だけが、何かをそこに繋ぎ止めるように、庭に残っている。


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