定年を機に移住した県境の町へ、お盆の深夜に高速を走っていた。サービスエリアで休憩するたびに、誰かが私の名前を呼んだ。聞き間違いにしては、あまりにも鮮明だった。
これを書いておこうと思ったのは、あの夜からちょうど一年が経ったからだ。
定年退職してから、私は妻とふたりで県境の山あいにある小さな町へ移った。子どものころ、夏休みになると祖父母の家で過ごした土地で、田んぼと杉林と、それから小さな神社しかないような場所だ。定年後にそういう暮らしがしたいと思っていたし、妻も賛成してくれた。都市部のマンションを売って、古い一軒家をリフォームして、去年の春から暮らし始めた。
移住してからの生活は、おおむね穏やかだった。近所の人たちとも少しずつ顔見知りになって、野菜をもらったり、逆に庭の柿をおすそわけしたり、そういうやりとりが日常になっていった。老後の地方移住というと寂しいイメージを持つ人も多いかもしれないが、正直、悪くなかった。
それが、去年のお盆のことだ。
移住して初めての夏だったから、都市部に残っている息子夫婦のところへ顔を出そうという話になった。孫も生まれたばかりで、一度ちゃんと会っておきたかった。妻は数日前から先に電車で向かっていて、私だけ仕事の引き継ぎ関係で残っていた用事があって、お盆の入りの前日、つまり八月十二日の夜に車で追いかけることにした。
高速に乗ったのは夜の十一時ごろだった。お盆の前日とはいえ、もうその時間になると帰省ラッシュも落ち着いていて、道はそれほど混んでいなかった。カーラジオをつけて、深夜番組を流しながら走った。天気は曇りで、山あいの高速は街灯も少なく、フロントガラスの向こうはほとんど真っ暗だった。
最初のサービスエリアに寄ったのは、乗ってから四十分ほど経ったあたりだったと思う。休憩というよりも、缶コーヒーが飲みたくなったというだけのことで、特に疲れていたわけでもなかった。
深夜のサービスエリアというのは、昼間と違った雰囲気がある。フードコートの明かりが半分落ちていて、トイレと自販機コーナーだけが煌々と光っている。人の数は少ないが、ゼロではない。長距離トラックの運転手らしい人や、私と同じように帰省の途中とおぼしき若い家族連れが、ちらほらと歩いていた。
自販機でコーヒーを買って、缶を握りながら駐車場の端に立って、少し夜風にあたっていた。曇っているせいで星は見えなかったが、夜の空気は涼しくて、しばらくそのまま立っていたかった。
そのとき、聞こえた。
「——さん」
私の名前だった。苗字ではなく、下の名前で呼んだ。声は女の声で、遠くも近くもない、ちょうど三、四メートル先から聞こえたような気がした。
振り返ったが、誰もいなかった。近くに立っていた人は、十メートル以上離れたところにいたトラック運転手だけで、その人はスマートフォンを見ていた。
私は聞き間違いだと思った。
下の名前というのが少し引っかかったが、それでも深夜のサービスエリアに、私を名前で呼ぶ人間がいるはずもない。どこかから音が漏れてきたか、風の音が偶然そう聞こえたか、そのくらいのことだろうと思って、コーヒーを飲み干して車に戻った。
走り続けて、次のサービスエリアに寄ったのは、それから一時間半ほど後のことだった。さすがに少し眠気を感じてきたので、トイレに立ち寄って顔を洗って、もう一本コーヒーを買った。
今度はもう少し規模の大きいサービスエリアで、二十四時間営業の食堂もまだ開いていた。私はそこで軽く食事をとることにした。かけそばを頼んで、カウンター席に座った。店内にいる客は私を含めて三人だった。
食べ終わって席を立ったとき、また聞こえた。
「——さん」
今度ははっきりとした声だった。食堂の中だったので、周囲の音もほとんどなかった。さっきより近い、すぐ後ろから聞こえたように感じた。
私はゆっくり振り返った。後ろの席には、四十代くらいの男性が一人で座っていて、定食を食べていた。その人は私を見ていなかった。他の客も、カウンターの端にいる老いた男性が一人、こちらを向いていなかった。食堂の入り口に店員が一人立っていたが、こちらを見ていなかった。
誰も、私を見ていなかった。
声は確かに私の名前を呼んだ。しかも、下の名前で。この旅の道中で私の名前を知っている人間はいないはずだった。妻もここにはいない。息子は到着を待っている。知人は誰もいない。
そのとき、変なことに気がついた。後ろの席の男性が食べていた定食の、味噌汁の湯気が、全く揺れていなかった。空調が入っているはずなのに、煙のように静止していた。いや、もしかしたら冷めていたのかもしれない。そういうことだと思い直して、私は店を出た。
三度目に寄ったのは、目的地まであと七十キロほどのサービスエリアだった。時刻は午前二時を過ぎていた。さすがに人は少なく、トラックが数台停まっているだけで、乗用車はほとんどなかった。私はトイレだけ済ませて、すぐに戻ろうと思っていた。
トイレから出て、洗面台で手を洗っていたとき、鏡越しに後ろの個室の扉が見えた。全部で四つある個室のうち、一番奥だけ、扉が少し開いていた。中に人がいる様子はなかった。明かりも消えていた。
気にせず手を拭いて、出口に向かいかけたとき、また聞こえた。
「——さん」
今回は、個室の方から聞こえた。奥の、扉が少し開いているあの個室から。
私は動けなかった。三度目だった。最初は聞き間違い、次は気のせい、と思ってきたが、三度同じ声が同じ名前を呼んだとなると、もうそうは片づけられなかった。しかも場所が場所だった。開いた個室の扉、暗い中から私を呼ぶ声。
しばらく立ったまま、じっとしていた。また呼ばれるかもしれないと思ったし、何かが出てくるかもしれないとも思った。だが何も起きなかった。個室はただ静かに、扉を細く開けたまま、そこにあった。
私は小走りで外に出た。車に乗り込んで、鍵を閉めた。エンジンをかけて、すぐに発進した。バックミラーに駐車場の明かりが映ったが、人影はなかった。
息子の家に着いたのは午前三時過ぎだった。玄関を開けてくれた妻に「疲れた顔してる」と言われた。私は「道が長かった」とだけ答えた。
翌朝、お盆の朝に、妻と話していて気づいたことがある。あの旅の途中で私の下の名前を呼んだ声は、亡くなった母の声に似ていた。母は私が四十代のころに逝って、それからもう十年以上になる。生前、母は私をいつも下の名前で呼んだ。そういう人だった。
似ていた、というのは途中の食堂を出たあたりから薄々そう思っていた。ただ、そう認めると何かが崩れるような気がして、私は意識してそれを考えないようにしていた。
お盆というのは、そういう時期だ。帰ってくるものが帰ってくる時期だと、田舎の年寄りたちはよく言った。母が私を追いかけてきたのかもしれない、と思えば怖くはなかった。むしろ少し、温かい気持ちになった。
けれど、だ。
一つだけ、どうしても腑に落ちないことがある。
私の名前を、あの声は正しく呼んだ。下の名前で。それはいい。母ならそう呼ぶ。
でも私は、あの旅の途中でずっと一人だった。母が呼ぶのであれば、それはわかる。問題は、その声を聞いたのが、高速のサービスエリアに寄るたびだったということだ。最初のSA、次のSA、三つ目のSA。私が休憩のために車を停めるたびに、声がした。
まるで、私が停まるのを待っていたような。
まるで、私が車から降りるのを知っていたような。
それとも、ずっと車の中に一緒にいて、私が外に出るたびについてきたのだろうか。
あの夜、私は一人で運転していた。後部座席を振り返ったのは最初のSAを出た直後だけだったが、そのときは何もなかった。でも、それ以降は振り返らなかった。深夜の高速道路を走りながら、バックミラーで後ろを見ることはあった。しかし後部座席を、直接振り返っては確認しなかった。
あなたならどうする。深夜の高速を一人で走っているとき、名前を呼ぶ声がSAに寄るたびに聞こえたとしたら。次のSAでも降りるか。それとも、目的地まで一度も停まらないか。そして、車の後ろを振り返れるか。
私はあの夜、三つ目のSAを出てから、一度も後部座席を見なかった。
見なかったのは、疲れていたからだ。そう思うことにしている。

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