子どもの頃に過ごした離島で、お盆の時期だけ届いた「宛名のない手紙」。大人になって調べると、同じ記録が何十年も前から残っていた。
これを書こうと思ったのは、先週、押し入れの奥から古いアルバムが出てきたからだ。
子どもの頃の写真が何枚かあって、その中に一枚だけ、場所のわからない港の写真が混じっていた。桟橋と、白いフェリーと、夏の空。自分が写っているわけではなく、ただ港を撮っただけの写真。裏を返すと、ひらがなで「かえりのひ」とだけ書いてあった。筆跡は幼くて、おそらく私が書いたんだと思う。でも全く記憶がない。
その写真を見た瞬間に、ずっと頭の片隅に沈めていたものが浮かんできた。
私が小学三年生の夏、父方の祖父母が離島に住んでいて、お盆の時期だけそこへ行くのが毎年の習慣だった。島の名前は架空のものを使うけれど、仮に「椛島(かばしま)」と呼ぶことにする。本州から船で一時間半ほどかかる、小さな島だった。
フェリーに乗るのは好きだった。デッキに出ると潮の匂いがして、島が少しずつ大きくなるのを眺めながら、祖母が持たせてくれたミカンジュースを飲む。その一時間半が、夏休みの中で一番好きな時間だったかもしれない。
祖父母の家は島の高台にあって、縁側から海が見えた。お盆の間は親戚が集まって、大人たちが線香を焚いたり、仏壇に手を合わせたりしている間、私と従兄弟の誠一は庭や路地を走り回っていた。
その夏に変なことが起きたのは、島に着いて二日目の朝だったと思う。
朝ご飯の前に縁側へ出ると、玄関の郵便受けに白い封筒が一通入っていた。祖父の家の郵便受けは小さな木製のもので、普段ほとんど使われていなかった。封筒を手に取ってみると、宛名の欄に何も書いていなかった。住所も名前も、切手も消印も、何もなかった。ただ白い封筒に、何か入っているらしいふくらみがあるだけだった。
子どもだったから、怖いというより不思議に思って、そのまま祖母に渡した。
祖母は封筒をひっくり返して表と裏を確認して、「宛先もないのに変だねえ」と言った。それから祖母は封筒を少し開けかけて、中をのぞいたあと、すぐに閉じた。そして引き出しの奥にしまった。私が「何が入ってたの」と聞くと、「紙が入ってただけ」とだけ答えた。それ以上は教えてくれなかった。
そのときは、それで終わった話だと思っていた。
次の日の朝も、封筒が届いていた。
昨日と同じように白くて、同じように宛名がなかった。今度は私より先に祖父が気づいて、無言で引き出しにしまうのを遠くから見ていた。祖父は私が見ているのに気づいたのか、特に何も言わずに台所へ行ってしまった。
その後、誠一に話してみた。誠一は私より二つ上で、「どうせ近所の人の間違いだろ」と言って全然気にしなかった。でも私には気になった。封筒に宛名がないということは、誰かが直接あの郵便受けに入れに来た、ということだ。消印がないのだから、郵便局を通っていない。
三日目の朝、私は早起きして縁側に座って待ってみた。夜明けの島はひどく静かで、蝉がまだ鳴き始めていなくて、海の方から薄い霧が上がっていた。七時近くまでそこにいたけれど、誰も来なかった。誰も郵便受けには近づかなかった。
それでも、朝ご飯のために台所へ戻って、十分ほどして縁側を通ったとき、郵便受けにまた白い封筒が入っていた。
さすがに気味が悪くなって、母に話した。母は「誰かのいたずらじゃないの」と言ったけれど、表情が少し硬かった。夕方、母と祖母が台所で何か話しているのを廊下の陰から聞いていたら、祖母が「去年もあったから、もう慣れた」と言った。
去年もあった。その言葉が頭に残った。
私たちが帰る日、フェリーの乗り場へ向かう車の中で、「あの封筒って毎年届くの」と祖母に聞いた。祖母は少し間を置いてから、「お盆の時期だけね」と答えた。それから「あんまり気にしないのが一番だよ」と言って、それ以上は話さなかった。
結局その夏は、合計で三通の封筒が届いた。中に何が入っていたのかは、最後まで教えてもらえなかった。
祖父は翌々年に亡くなって、祖母も数年後に施設に入ったため、椛島へ行く機会はそれきりなくなった。あの夏のことも、子ども特有の思い込みとか、大人が何かを隠しただけとか、そういう話だと思って、ずっとそのまま忘れていた。
でも先週、あのアルバムの写真を見て、急に思い出した。
思い出したら、気になってしまった。
今は調べようと思えばいろいろできる。地域の歴史を記録している団体があって、島のアーカイブをウェブで公開しているところもある。椛島については、県の離島文化研究会みたいな団体が資料をデジタル化していた。そこには古い島の風習や、民俗に関するメモがいくつか収録されていた。
特に目を引いたのは、一九七〇年代に島の郷土史家が書いたとされる短い記録だった。
そこにはこう書いてあった。「盆の時期、島内の一部の家屋において、差出人不明の封書が郵便受けに投函される事例が、複数の世帯から報告されている。封書の内訳は確認されていないが、受け取った家人の多くは内容を他言しない傾向がある。起源は不明。島外の郵便局には記録がなく、島内の関係者も関与を否定している」
一九七〇年代。私があの夏を過ごした時期より、二十年以上前から記録されていた。
もっと遡ってみた。同じ資料の別のページに、明治期に島の神官が書いたとされる覚書の写しがあった。虫食いで読みにくかったが、現代語に訳したと思われる注釈がついていて、そこにはこうあった。「盂蘭盆の折、差出人を持たぬ書状が各戸に届くことあり。受け取りし者はこれを他に示さず、盆明けに焚き捨てるが慣わしとなりたり」
焚き捨てる。
祖父母が引き出しにしまっていたのは、もしかして、最後に燃やすためだったのだろうか。
その夜、母に電話した。あの封筒のことを覚えているか聞いた。母はしばらく黙って、それから「覚えてる」と言った。
「何が入ってたか聞いたことある?」と私が言うと、母は「一度だけ」と答えた。「おばあちゃんに聞いたの。そしたら、名前が書いてあるって言われた」と。
「誰の名前?」
「それは教えてもらえなかった。知らない方がいいって言われて、それきり聞けなかった」
私はその言葉を聞いて、少しの間、何も言えなかった。
宛名がない封筒に、名前が書いてある。
外側に宛先はない。でも中に名前がある。では、その名前は何の名前なのか。宛先ではなく、中に書かれた名前とは、一体誰の、何の名前なのだろう。
考え始めたら、止まらなくなった。
お盆というのは、死者が戻ってくるとされる時期だ。迎え火を焚いて、送り火で見送る。戻ってきた誰かが、手紙を届けていたとしたら。いや、そんなことを言い出したら何でも話になってしまう。
でも。
宛名がないということは、届けた側には届け先がわかっている、ということでもある。私たちに宛名を読ませる必要がない、ということでもある。
アルバムの写真を、また手に取った。「かえりのひ」と書いた子どもの自分が、あの朝、縁側で何かを待っていたことを、今はうっすら思い出せる気がする。
封筒を覗いた祖母が、すぐに目を逸らしたこと。引き出しにしまうときの、あの静かな手つき。盆明けに、焚き捨てる。
郷土史の記録は、どこまで遡ってもその封筒の起源を特定していなかった。一番古い記述が明治期というだけで、それより前のことは誰も書いていなかった。ずっと前から、あの島ではお盆になるたびに、宛名のない封筒が届いていた。受け取った人間は黙って、燃やしていた。
どこから来るのか、何のためなのか、誰も言わなかった。
私はその記録を読み終えて、パソコンを閉じた。
押し入れのアルバムはまだ机の上に出したままだった。「かえりのひ」と書いた写真を、元の場所へ戻そうとしたとき、ふと思った。
あの夏、私は島を去るとき、郵便受けをもう一度確認しただろうか。最後の日、封筒はあっただろうか。
覚えていない。
ただ、「かえりのひ」と書いた私の字が、妙に落ち着いているのが気になった。何かに急かされたふうでもなく、怖がっているふうでもなく、ただそれだけを記録した子どもの字。
あの封筒が今も、毎年のお盆に、あの島のどこかの家へ届いているとしたら。受け取った人が黙って、盆明けに燃やしているとしたら。
中に書かれた名前を、誰も口にしないままで。

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