一人暮らしのはずの台所に、毎朝少しだけ「使われた形跡」が残されていた。最初は自分の寝惚けだと思っていたが、ある朝、シンクの中に見覚えのない食器が一枚増えていた。
その部屋に引っ越してきたのは、二十六の秋だった。
駅から歩いて十分ほど、県境の町の外れにある古い集合住宅の二階。築三十年は超えているだろう建物で、廊下の蛍光灯はいつも少し黄ばんでいた。家賃が相場よりずいぶん安かったのが決め手で、内見のときに感じた微妙なじめじめ感は、まあ慣れればいいか、と自分に言い聞かせて契約した。
一人暮らしはそれが三度目だった。大学のときから数えれば、もう慣れたものだと思っていた。
最初の異変に気づいたのは、引っ越しから三週間ほど経った頃のことだ。
その朝、目が覚めていつもどおり台所へ向かった。コーヒーを淹れようとケトルを手に取ったとき、なんとなく視線がシンクのほうへ流れた。昨夜、食器はすべて洗って水切りカゴに伏せておいたはずだった。それなのに、シンクの中に湯のみが一つ、置かれていた。
底のほうがほんのり濡れていた。
最初は自分が寝ぼけて使ったのだと思った。眠れない夜に台所に立つことはある。ただ、その湯のみは私がふだん使わない棚の奥のほうにしまっていたもので、取り出した記憶が一切なかった。引っ越し前の家から持ってきた、祖母の形見の古い湯のみだった。白地に青い菊の絵が入った、少し背の高いやつ。
気持ち悪いなとは思ったが、それきりにした。
次に何かを感じたのは、その四日後だった。
朝、台所のガス台の前に立ったとき、コンロの五徳が少しずれていた。ずれているというより、向きが変わっているという感じだった。四つの五徳のうち一つだけ、ほんの十五度ほど回転しているような気がした。掃除のときに動かしたかな、と思ったが、その週は掃除をしていなかった。
そのときも、まあそういうこともある、と流した。
問題は、それが続いたことだった。
毎朝というわけではなかった。三日に一度か、四日に一度か、そのくらいの頻度で、台所に何かが起きていた。
ある朝は、シンクの蛇口の向きが違った。私は蛇口をいつも真正面に向けて閉めるくせがあるのに、その日は少し右に傾いていた。ある朝は、排水口のゴムのふたが外されてシンクの端に置かれていた。ある朝は、調味料棚の塩と砂糖の位置が入れ替わっていた。塩と砂糖は同じような白い容器に入れていたから、最初は気づかなかったけれど、コーヒーに入れてみて初めておかしいとわかった。
どれも、言葉にすると大したことではない。一つひとつは、自分が寝惚けてやった、あるいは単なる記憶違いだ、と説明できないことはなかった。でも、それが台所だけで、そして毎回、微妙な頻度で繰り返されることが、じわじわと私の中に積もっていった。
十一月に入って、私はスマートフォンで台所を撮影しはじめた。
毎晩、眠る前に台所全体の写真を撮った。コンロの五徳の向き、シンクの蛇口の角度、水切りカゴの中の食器の配置、調味料棚の並び順。撮影するたびに少し馬鹿げているとは思ったが、自分の記憶が正しいかどうかを確かめたかった。
最初の一週間は何も起きなかった。
写真と翌朝の台所を比べても、違いはなかった。やっぱり気のせいだったか、と少し安心しはじめた矢先のことだった。
その朝、シンクの中にあの湯のみが、また置かれていた。
底が濡れていた。前回と同じだった。
私はすぐに前夜撮った写真を開いた。水切りカゴはきれいに空で、シンクには何もなかった。湯のみは棚の奥に伏せて片付けてあり、写真にもはっきり棚の扉が閉まっている状態が映っていた。
自分でやったとは考えにくかった。
鍵は一本しかなく、合鍵も作っていない。窓はすべて施錠して眠る習慣がある。誰かが入り込めるような構造ではなかった。
それでも、湯のみは濡れていた。
私は管理会社に電話した。言いたいことを整理しながら話したつもりだったが、向こうの担当の声はどことなく曖昧で、「入居者さんの思い違いということも多くて」と柔らかく返してきた。それ以上深く聞かれることもなく、「気になるようであれば錠前の交換もできますが」と言われた。費用は自己負担だった。
交換はしなかった。
なんとなく、鍵の問題ではないような気がしていた。
十二月に入ったある朝のことを、私は今でもはっきり覚えている。
その日も写真を撮ろうと台所に立ったとき、最初から何かが違うと感じた。空気の質みたいなものが、いつもと少し違った。台所は寒いはずなのに、シンクのあたりだけほんのり温かい気がした。
シンクに近づいて、排水口を見た。
水が、少し残っていた。
ほんの薄い膜のように底に張っている程度で、完全に流れ切っていないような、そういう状態だった。まるで、たった今誰かが水を使って、その場を離れたような。
湯のみは棚の中にあった。蛇口は真正面を向いていた。他には何も変わっていなかった。
でも、その排水口の水だけが、どうしても気になった。
私はしばらく動けなかった。台所の真ん中に立って、排水口を見つめていた。やがて換気扇の音だけが部屋を満たして、それ以上何も起きなかった。
結局、私はその部屋に年明けまでいた。
引っ越す理由として管理会社に告げたのは「職場の都合」だった。本当のことは言えなかった。言ったところで、たぶん「思い違いということも多くて」と、またあの声で返ってきたと思う。
引っ越しの日、最後に台所を見回したとき、棚の奥にあの湯のみを忘れてきたことに気づいた。取りに戻ろうと思ったが、足が動かなかった。
祖母の形見だったから、本当は持っていきたかった。でも、どうしても手が伸びなかった。
今思えば、あの湯のみを最初にシンクで見つけた朝から、何かが変わりはじめていたのだと思う。台所の何かではなく、私の感覚の話だ。毎朝、台所に立つたびに、前の晩と何かが違うかもしれないという前提で見るようになっていた。
それは怖いというより、すごく疲れることだった。
同じ空間が、毎朝少しずつ見知らぬ場所になっていくような感覚。自分が使った形跡かもしれないのに、自分のものとして確認できない細部が積み重なっていく感覚。
新しい部屋に移ってもう半年以上になる。台所には何も起きていない。写真も撮らなくなった。
ただ、今でも朝シンクの前に立つと、一度だけ排水口を見る癖が抜けない。
水が残っていないか、確認する。
今のところ、いつも乾いている。
今のところ、は。


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