県境近くの無人駅で夜間警備を続けていた男が、停電が続いた三日間だけ記録したノートがある。毎晩2時17分にホームで何かが起きていたが、彼はその記録を最後まで自分では読み返せなかった。
これは俺が実際に書き残したノートをそのまま打ち直したものだ、と最初に言っておく。
加工はしていない。日付と時刻だけ、プライバシー上の理由で一部ぼかしてあるけれど、内容はそのままだ。読んでいて気分が悪くなった人はそっとページを閉じてほしい。俺自身、今もこれを見返すことが正直できていない。だから妻に頼んで、代わりに読み上げてもらいながら打ち直した。だからところどころ、妻の補足が入っている部分がある。括弧でわかるようにしてある。
俺の名前は出さない。ただ、あの県境の町の、山を越えたあたりにある無人駅で、去年の秋から警備の仕事をしていたということだけ伝えておく。
その駅は、一日に数本しか電車が来ない。最終は夜の9時台で、それ以降は翌朝まで駅員どころか誰も来ない。俺の仕事は夜間の見回りと施錠確認で、管理会社から委託された形だった。最初の三ヶ月は何もなかった。ホームを歩いて、機械室を確認して、外の自販機の電気が点いているか確認して、仮眠室で朝まで過ごす。ただそれだけの仕事だった。
問題が起きたのは、停電の三日間だ。
台風が来た。正確には、台風の余波みたいな低気圧で、あの辺りの山沿いは風が強かった。夜の10時過ぎに、突然、駅の電気がすべて落ちた。管理会社に連絡したら、「復旧に最低でも二日はかかる、ただし駅自体の見回りは続けてほしい」と言われた。変な話だと思ったが、それが仕事だから従った。
懐中電灯を持って、暗い駅舎の中で夜を明かした。初日は何もなかった。ただ暗いだけで、ちょっと心細いだけだった。
ノートに書き始めたのは二日目の夜からだ。なぜ書こうと思ったのか、今となってはよくわからない。ただ、暗い中でじっとしているのが怖かったというか、何かに記録を残しておきたい気持ちになったんだと思う。
以下、ノートの内容そのまま。
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【二日目夜、推定22時頃】
電気なし。懐中電灯あり。仮眠室にいる。外の風は少し落ち着いてきた。暇なので日記でも書く。
【二日目夜、推定0時頃】
一度ホームの見回りに出た。真っ暗。自販機も電気が落ちているので、外も完全な闇。懐中電灯の光の輪だけが頼り。ホームの端まで歩いて、折り返して戻った。何もなし。ただ、帰りがけに少し気になったことがある。ホームの一番端、線路が山のほうに消えていくあたりに、なんとなく立ち止まりたくない感じがした。気のせいだと思う。疲れているせいだろう。
【二日目夜、2時17分】
(ここから文字が少し乱れています。妻注)
音がした。ホームの方から。電車が来る音じゃない。もっと小さい。誰かが歩くような音。でも今夜は終電とっくに終わっているし、そもそも停電中なので自動改札も開かない。外から入れるはずがない。懐中電灯を持ってドアを少し開けた。ホームは見えた。誰もいない。音も止まった。気のせいか。
【三日目夜、推定22時頃】
昨日の2時17分のことが少し頭に残っている。たぶん何もないと思う。
【三日目夜、2時17分】
また聞こえた。同じ時刻、同じ音。今日は少しはっきりしていた。足音、というより、何かが引きずられるような音。重くはない。薄い何かが床の上をすべる感じ。今日はドアを開けた。ホームに出た。懐中電灯で端から端まで照らした。誰もいない。でもホームの一番端、昨日立ち止まりたくなかった場所、あそこだけ、光を当てたとき、なんとなく空気が違う気がした。うまく言えない。冷たいというより、光が少し届きにくい感じ。気のせいだと思いたい。ただ時刻が完全に一致しているのが気になる。もし明日も同じならメモしておく。
【四日目夜、2時00分】
電気は今日の夕方に復旧した。でも俺はまたここで夜勤に入っている。ホームの電気も戻った。今夜は明るい。2時17分を待っている。正直、来ないと思う。電気が戻ったからかもしれないし、そもそも停電中の気のせいだったかもしれない。ただ確認したい。
【四日目夜、2時17分】
(ここで一度ページが変わっています。妻注)
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ここでノートの記録は途切れている。四日目の2時17分の欄は、走り書きで何かが書いてあるんだが、俺自身、それを今も読み返せていない。妻に読んでもらったら、「読めない」と言った。文字が崩れていて解読できないらしい。ただ一か所だけ、「いる」という字がはっきり読めると教えてくれた。
俺はその日の夜、朝まで仮眠室に引きこもって出なかった。翌朝、管理会社に電話して、「体調不良で今後の勤務が難しいかもしれない」と伝えた。結果的に、あの駅での仕事はそれ以降続けなかった。
今も正直、自分でうまく整理できていない部分がある。だから少し、ここに書いておこうと思う。
あの2時17分という時刻に、俺は何かが起きていると感じた。電気がなかった二日間だけじゃなく、電気が戻った夜も、同じ時刻に何かがあった。停電のせいだとか、暗さのせいだとか、疲れのせいだとか、そういう言い訳が通じたのは最初の二日だけだった。電気が復旧して、ホームにちゃんと照明がついた状態で、同じ時刻に何かが起きたという事実が、俺には今もうまく説明できない。
ホームの端に何があったのか。俺はあの場所に、最後まで近づかなかった。近づいてはいけないという確信があった。その確信がどこから来たのか、今もわからない。ルールみたいなものがあった気がする。誰が決めたわけでもない、でも「そこに踏み込んではいけない」という感覚が、体の中心から湧いてきた。
一つだけ補足しておく。停電が明けてから、管理会社の人間が駅の点検に来た。そのとき、ホームの一番端の床に、細い引っかき傷のような跡がいくつも残っていたらしい。俺は立ち会っていないので確認していない。でも管理会社の担当者から、「あの傷、以前からありましたか」と聞かれた。俺は「わからない」と答えた。正直な答えだった。停電前にあったかどうか、俺はホームの端を細かく見たことがなかった。
ただ、「以前からありましたか」という聞き方が、少し引っかかっている。まるで、あの人も見たことがある傷だけど何日に付いたものかわからない、という聞き方に聞こえた。気のせいかもしれない。
ノートはいまも手元にある。最後のページだけ、俺はまだ自分では広げていない。妻には「読めない」と言われたが、俺は本当は読めていないのか、読みたくないのか、自分でも判断がついていない。
あなたが同じ立場だったとして、あのホームの端に近づけましたか。それとも、俺と同じように引き返しましたか。最後のページ、あなたなら開けますか。
俺にはまだ、答えが出ていない。
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この話を読んでくれた方へ。フィクションとして書かれたものだと思って読んでくれれば、それで構わない。ただ、もし似たような経験をした方がいれば、コメントで教えてほしい。同じ時刻に、同じ場所で、同じ音が繰り返すという経験を。俺だけじゃないなら、少し楽になれる気がしている。

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