深夜の高速サービスエリアで、私は確かにあの放送を聴いた。しかし記録には、その放送が存在しない。
これを書いているのは、ある記録を整理しているときに思い出したことがあったからだ。私はいま、県境に近い古いマンションの管理人をしている。清掃と点検が主な仕事で、特に人と話すことも少ない。毎日、決まった時間に廊下と駐車場を回り、ゴミ置き場を確認して、管理室に戻る。そういう仕事だ。
事件といえるものは何もない。ただ、三年ほど前に経験したことが、いまだに説明できないでいる。
あの夜のことを書く。
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当時、私はまだ今の仕事には就いていなかった。内装関係の会社に勤めていて、現場の下見や資材の手配を担当していた。その年の秋口、仕事の都合で県をまたいだ移動が重なり、高速道路を深夜に走る機会が何度かあった。
問題の夜は、十月の終わりだったと思う。日没が早くなっていて、夕方五時を過ぎると空はもう暗かった。ただし正確には、私が高速に乗ったのは夕暮れどきで、まだ西の空に橙色が残っている時間帯だった。その色が、ちょうど赤みを失って紫がかってくる、あの時間帯だ。
私は仕事を終えて自宅方面へ向かっていた。急いでいるわけではなかったが、途中で立ち寄る予定もなかった。ただ、あのサービスエリアに差し掛かったとき、急に眠気が来た。正確には眠気というより、目の奥が重くなる感じ。危ないと思ったので、素直に入ることにした。
サービスエリアは県境の手前にある、小ぶりな施設だった。名前は伏せるが、山間部の高速に沿って建てられた古い施設で、フードコートは夜九時には閉まる。私が着いたのは夕方の六時前後だったから、まだ店は開いていたはずだ。
駐車場に車を入れて、少し歩いた。建物の中に入ると、それほど客はいなかった。家族連れが一組と、トラックの運転手らしい男性が数人、テーブルに散らばっていた。私はコーヒーを買って、窓際の席に座った。外はもう完全に暗くなりかけていた。さっきまであった西の空の橙色が、すっかり消えていた。
コーヒーを飲みながら、ぼんやりしていた。施設内はBGMが流れていた。有線らしき音楽で、特に耳に残るものではなかった。
放送が入ったのは、そのときだ。
施設内のスピーカーから、女性の声でアナウンスが流れた。内容はこうだった。
「本日は当サービスエリアをご利用いただき、ありがとうございます。ただいまより、施設内第三駐車場の照明が、点検のため一時消灯となります。ご不便をおかけしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。なお、第三駐車場の車両をご利用のお客様は、移動をお控えいただきますようお願い申し上げます」
私は窓の外を見た。駐車場はいくつかに区画が分かれていて、私が停めたのは建物に近い場所だったから、第三というのがどこなのかよくわからなかった。ただ、「移動をお控えください」という言い方が少し変だと思った。暗くなるから危ない、ということだろうか。まあそういうものか、と思って、そのまま座っていた。
三十分ほど休んだあと、私は車に戻った。外に出て、駐車場を歩いたが、特に照明が消えているエリアはなかった。整備員のような人影もなかった。第三駐車場がどこなのかも、よくわからないままだった。案内板がなかったのか、見落としたのか。まあいいか、と思って高速に戻った。
家に帰り着いたのは夜の九時過ぎだった。その日はそのまま寝た。
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あの放送のことが気になり出したのは、一週間ほどたってからだ。
別の用事でまた同じサービスエリアを通った。今度は昼間で、施設内も混んでいた。私はフードコートで昼食を食べながら、なんとなく駐車場の案内板を見た。区画の表示があった。第一、第二、まで確認できた。第三の表示が、なかった。
建物の裏に回れば別の区画があるのかもしれない。そう思って少し歩いてみたが、裏手は車が入れない構造になっていた。倉庫と機械室らしき扉があるだけで、駐車スペースはなかった。
気になってインフォメーションの窓口に行き、「第三駐車場というのはどこですか」と聞いた。
応対してくれた若い女性は、少し首を傾けて言った。「当施設には、第一と第二の駐車場しかございません」
私は「そうですか」と返して、その場を離れた。
思い違いだろうと思った。放送の内容を聞き違えたのかもしれない。あるいは別の施設のことを言っていたのか。ただ、あのアナウンスの声と内容は、ひどくはっきり覚えていた。聞き違えるような余地があるほど、ぼんやりとした内容ではなかった。
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私が今の清掃の仕事に就いたのは、その翌年の春のことだ。内装の会社を辞めて、縁があってマンション管理の仕事を始めた。日課として、自分で管理日誌をつけるようになった。その習慣が、後でひとつの発見につながった。
あのサービスエリアのことを折に触れて思い出すうち、私は一度、ちゃんと調べてみようと思い立った。
まずインターネットで施設の情報を探した。公式サイトには駐車場の案内があり、やはり第一と第二の二区画しか記載されていなかった。次に、高速道路の管理会社が公開している施設情報のページを調べた。同じだった。第三という区画は存在しなかった。
放送のアーカイブがどこかに残っていないか、とも考えた。もちろん、そんなものが公開されているわけはない。施設内の放送を録音して公開する人間がいるとしたら、それはよほど変わった趣味の人だ。
ただ、そのとき私はひとつのことを思い出した。あの夜、私は一人ではなかったかもしれない、ということだ。
正確に言うと、記憶が揺れている。車を一人で運転していたのは確かだ。ただ、コーヒーを買ったとき、私は一つ買っただろうか、それとも二つ買っただろうか。そこだけがぼんやりとしている。領収書は取っていない。
誰かと一緒だったなら、その人物もあの放送を聴いているはずだ。一緒にいたとすれば、その人物は誰だったのか。私には、当時交流のあった人間が何人かいる。しかし、その一人ひとりの顔を思い浮かべても、あのサービスエリアで隣に座っていた人間が誰だったか、まるで出てこない。
一人で行ったのだとすれば、コーヒーは一つのはずだ。しかし、なぜそこだけ記憶が霞むのか。
気味が悪くなって、その調査はそこで止めた。
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今年の夏、また高速を使う機会があった。同じルートを通ることになり、あのサービスエリアをまた通過した。今度は立ち寄らなかった。ただ、施設の前を通り過ぎる瞬間、ちらりと建物を見た。
夕暮れの時間帯だった。ちょうど三年前のあの夜と同じような、空の色が橙から紫に変わっていく時間帯だった。
施設の駐車場に、見慣れない区画があった。建物から少し離れた、斜面に沿って作られた場所。照明が一本も立っていなかった。ほんの一瞬見えただけだったから、確かとは言えない。ただ、あそこが第三なのだとすれば、あの日私が停めた位置からは死角になる場所だった。
問題は、その区画が今年初めて見えたのか、以前からあったのに私が気づかなかっただけなのか、まったく判断できないことだ。
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管理日誌をつける習慣がついたせいか、私はこのごろ、記録というものを強く意識するようになった。起きたことを書き残せば、後から見返せる。見返したとき、記憶と記録がずれていたら、それは自分の記憶の問題だとわかる。
ただし、それが成立するのは、記録が正しく残っている場合だけだ。
あの夜の放送は、どこにも記録されていない。存在しないはずの区画に向けたアナウンスが、あの施設のスピーカーから流れた。それを私は確かに聴いた。しかし施設の側に、その記録はない。
私の隣に、誰かが座っていたかもしれない。しかしその人物の記憶が、私の中に残っていない。
これが単なる記憶の混乱なのか、それとも本当にあの夜、あのサービスエリアで何かが起きていたのか、私にはわからない。
ただ、ひとつだけ言えることがある。
今も私は、あのルートを通るたびに、あの施設の前で夕暮れの空の色を確認する。橙が消えて紫になる、あの数分間。施設の駐車場を目の端で追う。第三区画が今日もあるかどうか。照明が立っているかどうか。
今日も確認して、今日も判断できないまま、通り過ぎる。
それだけが、今も続いている。

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