年に数回、実家に帰るたびに見覚えのない家具が一つずつ増えている。母親は「前からあった」と言い張るが、どこか目が笑っていない。
最初に気づいたのは、去年の正月に帰省したときのことだ。
俺は今、実家から電車で二時間ほどの距離にあるアパートで一人暮らしをしている。就職を機に地元を出てから、もう七年になる。実家に帰るのはせいぜい年に三回か四回。盆と正月、それに親の誕生日くらい。そういう感じの、ごく普通の関係だ。
父親は俺が大学生のころに亡くなっている。だから今は母親が一人でその家に住んでいる。築三十年くらいの、二階建ての一軒家。俺が物心ついたときからずっとあった家で、間取りも家具の配置もほとんど変わらないまま、ずっとそこにある。そういう家だった。
最初に気づいたのは、リビングの隅に置いてあった小さな木製のサイドテーブルだ。
ローソファーの横、窓際の位置に、見たことのない丸いサイドテーブルが置いてあった。アンティーク調というか、足が細くて、天板に浅い彫刻みたいな模様が入っている。どこかの雑貨屋か古道具屋で買ってきたような雰囲気のやつだ。
「これ、新しく買ったの?」と聞いたら、母親は「前からあったでしょ」と言った。
前から。前から? 俺は子供のころからこのリビングで過ごしてきたのに、そんなテーブルに記憶がない。でもまあ、七年も離れていれば、母親が家具の一つや二つ買い替えることくらいある。そのときはそう思って流した。
次に帰ったのは同じ年の夏、お盆のタイミングだった。
仏間に通されたとき、床の間の脇にガラス扉のキャビネットが置いてあった。小ぶりなやつで、中には小物が何も入っておらず、空のまま置かれていた。
「これも新しいやつ?」と聞くと、またしても母親は「ああ、前からあったよ」と言う。
今度は少しだけ引っかかりを覚えた。父が使っていた仏間の配置は、俺の中でかなり明確に記憶している。位牌の位置、香炉の置き場所、仏壇の向き。それは何度も手を合わせてきた空間だから、細部まで頭に入っている。そこに知らないキャビネットが増えているのは、さすがに変だと思った。でも母親が「前から」というなら、俺の記憶違いなのかもしれない。そう思おうとした。
問題は、それが続いたことだ。
秋に一度日帰りで帰省したとき、玄関に細長い靴箱が一台増えていた。これも見覚えがない。母親に聞くと、やはり「前からよ」と言う。声のトーンは穏やかで、責めるような感じではない。ただ淡々と「前からある」と言う。
そのとき初めて、俺は母親の目を正面からちゃんと見た。
なんというか、目が笑っていないとか、そういう言い方が一番近いかもしれない。口元は普通の表情をしているのに、目だけが、どこか少し遠くを見ているような感じがした。気のせいかとも思ったけど、なんとなく気になって、その日の帰り道ずっと頭に引っかかっていた。
年が明けて、今年の正月にまた帰省した。
今回は泊まりにした。一泊だけ。久しぶりにゆっくりするつもりで、実家に着いたのが夕方だった。
玄関を入ってすぐ、廊下の突き当たりに木製のラックが置いてあった。縦長で、棚が五段くらいある、本棚のような形のやつだ。色は濃い焦げ茶で、新品ではなくどこか使い込まれた雰囲気がある。棚には何も入っていなかった。
「お母さん、これ……」
「前からあるでしょ、あれは」と、俺が言い終わる前に母親が返してきた。
俺は黙った。数えてみると、去年の正月から一年で、サイドテーブル、キャビネット、靴箱、そしてこのラック。四つ増えている。全部、母親に聞くたびに「前からある」と言われる。
晩飯を食べながら、それとなく話を向けてみた。
「最近、何か買い物したりしてる? 家具とか」
「特に何も買ってないわよ」
「どこかで買ってきたとか、誰かからもらったとか……」
「何が言いたいの」と母親は少し怪訝そうな顔をした。「また変なことばっかり言って」
変なこと。俺が変なことを言っているのか。俺の方がおかしいのか。その夜、二階の自分の旧部屋に戻ってから、スマホで過去の帰省時に撮った写真を見返してみた。
実家の写真なんて意識して撮ることは少ないけれど、食卓の料理や仏壇への線香をあげているシーンなど、断片的には残っていた。去年の正月に撮ったリビングの写真には、確かにローソファーが映っている。でも、横にサイドテーブルはない。
仏間の写真も一枚あった。夏の帰省の前、二年前のお盆に撮ったやつ。位牌の前に手を合わせている自分の後ろ姿が写っている。床の間の脇には、何もない。キャビネットはない。
やっぱり増えている。俺の記憶違いじゃない。
じゃあ母親はなぜ「前からある」と言うのか。
認知症の初期、という可能性を考えた。記憶が混線して、最近のことと昔のことの区別がつかなくなっている。それならつじつまが合う。心配になって、翌朝の朝食のときに話しかけてみた。最近物忘れはないか、眠れているか、体の調子はどうか。
母親は不思議そうな顔をして、「どうしたの、急に」と言った。受け答えはしっかりしていて、昨日食べたもの、先週あった出来事も普通に話す。ボケているような感じは全くない。それがまた、妙に引っかかった。
荷物をまとめて帰る準備をしていたとき、ふと気になって二階の物置部屋を覗いてみた。普段はほとんど使わない部屋で、父親の遺品や古い段ボールが積んである。昔から雑然としていた場所だ。
ドアを開けると、部屋の奥に、見たことのない椅子が一脚置いてあった。
木製の、背もたれが高い椅子だ。アンティーク調で、座面に布張りがしてある。深い赤というか、くすんだワインレッドの布。埃をかぶっている様子もなく、どこかきれいに保たれている。ただそこにある、という感じで置かれていた。
その椅子が、なぜか怖かった。
家具が怖いなんておかしな話だと思うかもしれない。俺もそう思う。でも何か、その椅子には視線がひっかかるような感じがあって、うまく説明できないんだけど、そこに誰かが座っているときの残り香みたいなものを感じた。ずっと使われてきたものの、その重みとでも言うのか。
一階に下りて、母親に「物置に椅子があるけど、あれは?」と聞いた。
母親は少し考える素振りをしてから、静かに「前からよ」と言った。
今度は目を見ていた。やっぱり、目だけが少し違う。口元は穏やかなのに、目の奥が、どこか別のことを考えているような、そういう距離感がある。
「誰かが来てるの?」と俺は聞いた。
「誰も来てないわよ」
「一人で住んでるの、ちゃんと?」
母親はそこで少し笑った。笑い方は普通だった。「何言ってるの、当たり前でしょ」と言って、台所に戻っていった。
電車に乗って、家に帰る途中ずっと考えていた。
家具が増えている。母親は「前からある」と言う。認知症の様子はない。物置には誰かが使っているような椅子があった。
考えれば考えるほど、うまく整理できない。
一番気になったのは、増えた家具が全部、何も入っていないということだ。靴箱には靴が入っていない。キャビネットの中も空。本棚にも何もない。ただ置いてある。
使うために買ったものじゃないとしたら、何のために置いてあるんだろう。
それから二ヶ月後、今年の春に法事があって実家に親戚が集まった。叔母や従兄弟たちが来たので、俺はこっそり叔母に聞いてみた。叔母は母親の妹で、年に何度か実家に来る人だ。
「あのさ、うちの家具が最近増えてる気がするんだけど、気づいた?」
叔母は少し間を置いてから、「ああ……うん、増えてるよね」と言った。
「やっぱり? お母さんは前からあるって言うんだけど」
「私もそう言われたよ」と叔母は小声で言った。「何回か聞いたけど、毎回前からあるって。だから私もよくわかんなくて……なんか、聞くのやめちゃった」
聞くのをやめた。俺もなんとなく、その感覚がわかる気がした。追及すればするほど、自分の方がおかしいような気持ちになってくる。母親のあの目の感じに当たるたびに、何かを聞くのが怖くなってくる。
法事が終わって、みんなが帰ったあと、俺は最後まで残った。夕方、母親が台所で片付けをしている間に、俺はもう一度物置部屋を開けた。
あの椅子はまだそこにあった。
椅子の座面をよく見ると、布にわずかに歪みがあった。誰かが長い時間座っていたような、そういう沈み方だ。俺は手で触れてみた。
冷たくはなかった。
冷たくなかったというのは、つまり、室温と同じくらいの温度があったということだ。物置の部屋は窓がなくて冷える。床や壁は明らかに冷たい。なのに椅子の座面だけが、なんとなく温かみがあった。
気のせいかもしれない。本当に気のせいかもしれない。
俺はドアを閉めて、母親に「また来るね」と言って実家を出た。
アパートに帰ってから、増えた家具のことをメモに書き出してみた。いつ、どこに、何が増えたか。正月のサイドテーブル、夏のキャビネット、秋の靴箱、次の正月のラック、物置の椅子。一年とちょっとで五つ。
全部、何も入っていない。全部、母親は前からあると言う。
次に帰ったとき、また何か増えているんだろうか。
俺にはまだ、それが怖いことなのかどうかも、よくわからないでいる。


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