職場の隣の席に座る同僚の「小野さん」が、ある日を境に少しずつ変わり始めた。記憶と現実がズレていく感覚の中で、私は何を見ていたのか、今もわからないままでいる。
これを書こうと思ったのは、先週の昼休みに古いスマートフォンを整理していて、あるメモを見つけたからだ。日付は去年の秋。内容はたった一行で、「小野さんが今日も違う」と書いてあった。
私はそのメモを書いた理由をほとんど覚えていない。覚えていないのに、読んだ瞬間に手が止まって、しばらくそこから動けなかった。だから書くことにした。記憶が今よりさらに薄れる前に。
職場に移って最初の一ヶ月は、何もかもが慌ただしかった。私が配属になったのは、地方の小さな営業所で、スタッフは十人もいない。デスクは向かい合わせに並んでいて、私の正面が田中さん、隣が小野さんだった。
小野さんは私より三年先輩の女性で、年齢は三十代前半だったと思う。最初に「わからないことがあったらなんでも聞いて」と言ってくれた人で、私はすぐに好感を持った。ショートカットで、いつも薄いピンクのリップをしていて、声が少しかすれていた。風邪をひきやすいと自分で言っていて、よく龍角散のど飴を舐めていた。あの飴の独特な香りは、今でも小野さんのことを思い出させる。
異変に気づき始めたのは、配属から二ヶ月ほど経ったころだった。
ある朝、私は小野さんに「昨日の電話、ありがとうございました」と声をかけた。前日の夕方、取引先からの急ぎの問い合わせに困っていた私に、小野さんが横から口を挟んで助けてくれたことへのお礼のつもりだった。
ところが小野さんは、少し首を傾けて「電話? 昨日、私いたっけ?」と言った。
昨日は定時で帰ったから、と続けた。確かに彼女は私より先に上がっていたけれど、問い合わせの電話が来たのは夕方五時すぎで、その時点では小野さんはまだデスクにいたはずだった。私はそう説明したが、小野さんは「うーん、覚えてないな」と首を振った。
記憶違いかな、と思って流した。でも翌日、田中さんに同じ話をしたら「そうそう、小野さん助けてくれてたよ、俺も見てた」と言った。田中さんも見ていたのに、なぜ小野さんだけ覚えていないのか。
それからしばらくして、今度は昼食のことで似たようなことがあった。私と小野さんと田中さんの三人で、近くの定食屋に行ったことがあった。私はその日、小野さんが頼んだものをはっきり覚えている。鶏の唐揚げ定食で、ご飯を大盛りにしていた。意外とよく食べる人だなと思ったから、記憶に残っていた。
翌週、田中さんが「そういえばこの前の定食屋、また行く?」と言い出した。小野さんはそれに対して「どこの話? 私、最近行ってないけど」と答えた。
今度は私も田中さんも、ちゃんと覚えていた。日付まで一致した。でも小野さんは「行ったっけ、うーん」と困ったような顔をするだけで、最後まで思い出せなかった。
物忘れがひどい人なのかもしれない、と思った。でも日常業務は完璧にこなしている。取引先の名前も、数字も、スケジュールも、小野さんはまったく間違えない。なのに、なぜか私や田中さんと共有したはずの記憶だけが、ごっそり抜けている。
気になり始めると、小野さんのことを注意して見るようになった。
そこで気づいたのが、表情の話だ。
小野さんはよく笑う人で、声を立てて笑うこともあれば、口元だけで静かに笑うこともあった。私はどちらの笑い方も好きだった。でも、ある日の昼すぎに、私が書類作業をしながらふと横を見ると、小野さんがパソコンの画面を見ながら笑っていた。声はない。口が横に開いている。でも目が、笑っていなかった。
それ自体は別に珍しいことじゃない。誰だってそういう表情をすることはある。でも次の瞬間、小野さんは視線を動かさないまま、ゆっくりと、私の方に顔を向け始めた。顔だけが、首ごとゆっくりと回ってくる。
私は反射的に書類に目を戻した。心臓が少し速くなった。
数秒後に顔を上げると、小野さんはまた画面を見ていた。何事もなかったように、マウスを動かしていた。
なぜあの瞬間があんなに怖かったのか、うまく説明できない。何かが違った、としか言えない。
その翌週から、私はこっそりメモをつけ始めた。スマートフォンに、日付と内容だけを書く簡単なものだ。小野さんの言動で「おかしい」と感じたことを記録していた。後から読み返せるように。
記録の中でいちばん長く残っているのは、十月の終わりに書いたものだ。
その日、私は仕事の帰りに駅前のスーパーで小野さんを見かけた。向こうはこちらに気づいていなかったのか、青果コーナーで野菜を選んでいた。私は「小野さん」と声をかけようとして、足が止まった。
なんとなく、呼んではいけない気がした。
小野さんは棚の前に立って、ごく普通に買い物をしていた。変なことは何もなかった。でも私にはなぜか、あの人に声をかけることができなかった。そのまま別のレジに並んで、気づかれないように店を出た。
家に帰ってから、なぜ呼べなかったんだろうと考えた。考えたけれどわからなくて、ただ「今日の小野さん、呼べなかった」とだけメモに書いた。
年が明けてからも、ちょこちょことした違和感は続いた。ある日、昼休みに私が社内の休憩室でお茶を飲んでいると、小野さんが入ってきた。「ここにいたんだ」と言って、向かいの椅子に座った。しばらく他愛もない話をして、そのまま午後の業務に戻った。
夕方、田中さんが「今日の昼、小野さん見なかった? 連絡したかったんだけど、席にもいないしどこ行ったかと思って」と言ってきた。私は「休憩室で一緒にいたよ」と答えた。田中さんは「え、でも小野さん今日有休じゃないっけ」と言った。
確認したら本当に有休だった。その日の出勤簿に、小野さんの名前はなかった。
私はどういうことなのか、しばらく理解できなかった。昼休みに確かに話していたのに。声も聞こえていたし、内容も覚えていた。でも彼女はその日、職場に来ていないことになっていた。
さすがに夜、眠れなかった。
翌日、出勤してきた小野さんに昨日の話をした。「昨日、休憩室にいたよね」と聞いたら、小野さんは少しだけ間を置いてから「昨日は家にいたよ」と言った。笑顔だった。いつものかすれた声だった。
「でも私、話してたよ」と言うと、「そうだったら良かったのにね」と返ってきた。
その言い方が引っかかった。「そうだったら良かったのにね」というのは、どういう意味なのか。残念だったね、という意味なのか。それとも、何か別のことを言っているのか。
聞き返す前に、小野さんはもう業務用の電話を取っていた。
私はその後、少しずつ小野さんと距離を置くようになった。意識してそうしたわけじゃなかった。ただ、何かを話しかけるたびに、これは本当に彼女に届いているのか、この人は本当にここにいるのか、という変な感覚が頭をよぎるようになって、それが煩わしくなってきた。
春になって、私は異動の内示をもらった。本社に近い支社への転勤で、会社としての昇格も含んでいた。良い話だったから、素直に喜んだ。
最終出勤日、同僚たちが小さな送別会を開いてくれた。小野さんも来た。かすれた声で「向こうでも頑張って」と言ってくれた。龍角散のど飴を一つ、手のひらに乗せてくれた。「餞別」と言って笑った。
私は笑い返しながら、どうしても一つだけ聞きたくなった。
「小野さん、私のこと覚えてる?」
我ながら変な質問だと思ったけど、聞かずにはいられなかった。
小野さんは少しだけ目を細めて、「もちろん」と言った。
それだけだった。その先は何も言わなかった。「なんで?」とも「どうして?」とも聞かなかった。ただ「もちろん」と言って、また飲み物に口をつけた。
新しい職場に移ってからは、バタバタとしていて、あまり思い出さなかった。たまに龍角散のど飴を見ると思い出した。でもそれだけだった。
先週のメモを見つけるまでは。
今でもわからないのは、小野さんが覚えていなかったあれこれが、本当に起きたことだったのかどうかだ。私の記憶違いなのか、田中さんと私が共謀して同じ嘘をついているのか、あるいは小野さんの側に何かがあったのか。
有休の日に休憩室で話した人は、誰だったのか。
「そうだったら良かったのにね」という言葉の意味は、何だったのか。
答えはない。ただ、あのメモの一行だけが残っている。「小野さんが今日も違う」。
自分で書いた言葉なのに、読んだ瞬間に手が止まったのは、たぶん私自身がその意味を、もうよく分かっていたからだと思う。

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