引っ越し先のアパートで、押し入れの中身がいつの間にか入れ替わっていく。最初は片づけの記憶違いだと思っていたのに、そのうち自分が入れた覚えのないものが増えはじめた。
私が今住んでいるアパートに越してきたのは、去年の秋の終わりごろだった。
古い木造の二階建てで、外壁の塗装が所々はがれかけていたけれど、家賃が安かった。駅から少し歩くし、最寄りのスーパーまで自転車で十分かかるような、どこにでもある田舎の住宅地の中にある物件だった。前の住人がいつ出ていったのかは聞かなかった。不動産屋さんも特に何も言わなかった。
部屋は1Kで、六畳の和室に小さなキッチンと洗面台がついている。和室には押し入れがひとつ。上段と下段に分かれている、ごく普通の押し入れだ。
最初に荷物を搬入したとき、押し入れの中はきれいに空っぽだった。掃除もしてあって、新しい障子紙みたいな、かすかに糊の匂いがした。私は上段に季節外れの布団と、買い置きのタオルを数枚まとめてしまった。下段には空のダンボール箱二個と、キャリーケースを横向きに入れた。それだけだ。入れたものは、ちゃんと覚えている。
最初に違和感を覚えたのは、越してきて二週間ほど経ったころだった。
寒くなってきたので、押し入れから厚手の毛布を出そうと思って上段を開けたとき、布団やタオルの配置が少し変わっていた気がした。タオルを布団の右側に積んでいたのに、気づいたら左側にあった。自分でそっちに置いたっけ、と少し考えたけれど、引っ越し作業でバタバタしていたし、記憶が曖昧なだけだろうと思って気にしなかった。
次に気づいたのは、それから数日後のこと。
下段のキャリーケースが、なぜか取っ手を上に向けて立てた状態になっていた。私は横倒しに入れたはずだった。そっちのほうが場所を取らないから。でも、「もしかして自分が使って縦に戻したっけ」と考えたら、確かめようがなかった。最近どこかに旅行したっけ、と思ったけど、そんな予定はなかった。単純に記憶違いだろうと、また流した。
年が明けて、冬の一番寒い時期になっても、私はその部屋に住み続けていた。
変化に気づいたのは、一月の終わりごろだ。押し入れの上段に、小さな缶が一個増えていた。シルバーのアルミ缶で、中身のわからないデザインレスな缶だった。飾り気がなくて、ラベルも何もない。私が入れた記憶はなかった。ただ、引っ越し作業のときに何かを詰めてそのまま忘れていたのかな、という可能性は否定できなかった。缶を手に取ると、中で何かが動く感触があった。液体ではなく、もう少し固形に近い、砂か米粒みたいなものが少量入っているような重さだった。
開けてみようとしたけれど、蓋が固くてびくともしなかった。結局、またもとの場所に戻した。
その後、一週間くらい経ってから再び押し入れを開けると、その缶はなくなっていた。代わりに、折りたたまれた布のようなものが上段の奥に置いてあった。薄い灰色の布で、触ると少し埃っぽかった。広げてみると、大人の手のひらくらいの大きさの正方形だった。何に使うものか、まったくわからなかった。
このあたりから、私は少しずつ記録をつけ始めた。
スマートフォンのメモアプリに、押し入れに入っているものを毎日確認して書き留めるようにした。日付と、中身の一覧。「上段:布団、タオル三枚、灰色の布。下段:ダンボール二個、キャリーケース縦置き。」という具合に。几帳面な性格ではないのに、そうしないと落ち着かなくなっていた。
記録をつけ始めてから四日目に、タオルが三枚から二枚に減っていた。
捨てた記憶はなかった。洗濯のときに持ち出して戻し忘れたのかと思ったけど、洗濯ネットを全部確認しても、どこにも見当たらなかった。押し入れ以外の収納にも、洗面台の棚にも、なかった。
一枚のタオルが、どこにもなくなっていた。
そのとき初めて、本格的に怖くなった。
鍵はオートロックではないけれど、普通の鍵で施錠しているし、誰かが入ってくるのは考えにくい。合鍵が何本出回っているかは不動産屋に確認していなかったけれど、今更そんなことを聞くのも変な話だ。なにより、外から人が入ってきたとして、押し入れのタオルを一枚持っていく理由が思い浮かばない。
私はしばらく、毎日就寝前に玄関と窓の鍵を二重に確認するようになった。
それからまた数日後、今度は変化の方向が逆になった。
押し入れの下段、ダンボールの脇に、見覚えのない小さな木箱が置かれていた。蓋のついた、茶色の古びた木箱で、幅が十五センチくらい。爪楊枝の箱を三倍にしたような大きさ。蓋を開けると、中には折り畳まれた紙が入っていた。
紙を広げると、手書きの文字が書いてあった。
ひらがなで、「おかえり」とだけ書いてあった。
筆圧が強くて、ボールペンの跡がはっきりしていた。古い紙ではなかった。紙の白さはほぼ真っ白で、書かれてからそれほど時間が経っていない感じがした。
私は部屋の中で、しばらく動けなかった。
不動産屋に電話して事情を話すことも考えた。でも、何をどう伝えればいいかわからなかった。「押し入れの中身が変わっています」「知らない手紙が入っていました」と言っても、自分でも信じられない話だった。精神的に疲れているのかもしれない、と思われるのも嫌だった。
そのまま一週間が過ぎた。
木箱は次に確認したとき、なくなっていた。
ただ、代わりにまた別のものが増えていた。今度は上段に、白い陶器の小さな器が置いてあった。直径五センチくらいの、薬味入れか豆皿のような器。中には何も入っていなかった。
私はその器を手に持って、じっと見た。裏返すと、底に小さなスタンプの跡があった。漢字一文字のようにも見えたけれど、かすれていてはっきりとは読めなかった。
器をまた押し入れに戻して、私はその日、実家に電話した。
何か怖いことがあった、とは言えなくて、「ひとり暮らし久しぶりだからちょっと疲れてる」と話した。母は「ちゃんとご飯食べてる?」と聞いた。私は「食べてる」と答えた。
電話を切ってから、ふと気になって押し入れをもう一度開けると、器がなくなっていた。電話中に、私は押し入れを開けていなかった。電話してから戻すまで、十分もかかっていない。
私は押し入れの前にしゃがんで、上段の奥をじっと見た。
何もなかった。ただ、布団とタオル二枚だけが、もとの位置に戻っていた。
タオルが二枚だ。一枚は、まだ戻ってきていない。
それ以来、押し入れの中身が変わることはなくなった。もう二ヶ月近く経つけれど、何も増えないし、何も減らない。ただ、メモをつけるのはやめられないでいる。毎日確認して、毎日「変化なし」と書いている。
引っ越しも考えた。でも、何が起きていたのかわからないまま出ていくのが、なんとなく嫌だった。
どこかに引っ越しても、また始まるんじゃないかという気がして。
あの「おかえり」という字を書いた人間が、あるいは人間ではない何かが、私の帰りを待っていたとしたら。それが今は何らかの理由でおとなしくなっているだけで、また動き出す可能性があるとしたら。
逃げることに意味があるのかどうか、私にはわからない。
先週、何気なく押し入れの下段を開けたとき、ダンボールが二個から三個になっていた。
私が入れたダンボールは、最初から二個だけのはずだ。
三個目のダンボールは、私のものではない。フタが閉じてある。まだ、開けていない。

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