旅先の写真に残った、私の影のこと

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旅行先で撮った写真を見返すと、自分の姿はどこにもないのに、自分だけの影が地面に落ちていた。最初は光の加減だと思っていた。

去年の秋に、一人で小さな旅行をした。

目的地は特に決めていなくて、ただ仕事が続きすぎて疲れていたから、なんとなく電車に乗って、終点のひとつ手前で降りた。県境に近い小さな町で、観光地というわけでもないけれど、古い商店街と、石畳の路地があって、ゆっくり歩くには悪くない場所だった。

一泊だけして、翌朝帰るつもりだった。それだけの旅行だった。

写真はスマートフォンで、気が向いたときだけ撮った。観光客のすることをなんとなくなぞるみたいに、古い蔵の外壁とか、路地の突き当たりに咲いていた遅い彼岸花とか、夕暮れに染まった石畳とか。自分が映り込むような撮り方はしていない。一人旅だったし、自撮りをする習慣もないから、その日の写真に私自身が写っているはずはなかった。

帰宅してから数日後に、なんとなくアルバムを見返した。

最初の何枚かは普通だった。蔵の白い漆喰の壁、商店街のシャッター、石段、彼岸花。どれも静かで、少し寂しい感じの写真で、でも旅の空気がちゃんと残っていて、悪くないと思った。

問題の写真は、十三枚目だった。

石畳の路地を撮ったものだった。左右に古い家屋が続いていて、正面奥に小さな祠のようなものが見えている。午後三時頃に撮ったから、日差しはまだ残っていて、石畳には家屋の影が細長く伸びていた。

その家屋の影の手前に、もうひとつ影があった。

人の影だった。

足元から伸びる影で、方向からすると、カメラ、つまり私が立っていた場所のあたりから落ちている。腕を少し広げたような形で、頭の輪郭も出ている。誰かが路地の手前に立って、その向こうの祠に向かって正面を向いている。そういう影だった。

でも、影を落としている人間は、写真のどこにもいない。

私だけが、そこに立てる場所に立っていた。

最初は光の加減だと思った。複数の光源が重なって、家屋の影が人の形に見えているんだろうと。スマートフォンの画像は補正が入るから、影のエッジが強調されて、人型に見えやすい形になったんだろうと。そう思って、写真を閉じた。

翌日、もう一度開いた。

やっぱり影だった。光の加減じゃなかった。頭の輪郭が丸く、肩から腕の角度があって、左右非対称な自然な立ち方をしていた。こういう形が偶然の重なりで出るとは考えにくかった。

それより気になったのは、その影の向きだった。

写真を撮ったとき、私は路地の入り口に立って、奥に向かってカメラを構えていた。だから影は、奥に向かって伸びるはずだった。太陽が背中側にあったから、影はカメラの向いた方向に落ちる。

でもその影は、逆だった。

影は手前に向かって伸びていた。撮影者の方向ではなく、祠の方から、こちら側に向かって伸びていた。

太陽が前方にあれば、影は撮影者の方向に伸びる。でも午後三時の太陽が祠の奥にあったとして、影を落としている人間がいないのはなぜか。その人間は写真の枠の外にいるのか。でも影の長さと角度を見ると、その人間はカメラのすぐ手前、ほとんど私と同じ場所に立っていなければ、あの長さにはならない。

しばらく画面を見つめて、そっとアルバムを閉じた。

気持ち悪いとは思ったけれど、それ以上どうしようもなかった。

問題はそれで終わらなかった。

一週間くらいして、旅行中に撮ったほかの写真を、別の用事で開いたときだった。彼岸花を撮った写真を見ていたら、花の根元の地面に、細い影があることに気がついた。撮ったときには気にしていなかった。花の茎の影だと思って流していた。

でも改めて見ると、それは茎の影じゃなかった。

地面に落ちている影は、人の足の影だった。片足だけ。つま先のシルエットがはっきりしていた。彼岸花の株の横に、誰かが立っていた。

その写真を撮ったとき、周囲に人はいなかった。平日の午後で、観光客も少なく、その路傍の花を撮っていたのは私だけだったと思う。撮影後にしばらくその場にいたけれど、誰かがいた記憶はない。

私は、全部の写真をもう一度見直した。

十九枚撮っていた。

そのうちの七枚に、影があった。

石畳の路地の人影、彼岸花の足元の影、商店街を撮った写真に落ちていた肩から腕の影、古い蔵の壁に映る薄い人の輪郭、夕暮れの石段に伸びる長い影、宿の廊下を撮った一枚にある足元の影、そして最後の一枚。

最後の一枚は、宿を出て駅に向かう途中に撮ったものだった。朝の商店街で、シャッターが降りた店が並んでいる。逆光気味で、全体的に明るく飛んだ写真だった。

その写真の地面に、影が七つ並んでいた。

私を含めて、七つ。

私の影は端にあった。残りの六つの影は、私の影と同じ方向に、同じように並んで伸びていた。影の頭の大きさや体型がそれぞれ微妙に違っていて、それがかえって不気味だった。似たような影が並んでいるのではなく、それぞれ違う体格の、違う人間の影だということが、形を見ているとわかった。

私以外の六人は、どこにもいなかった。

写真を見ている間、ずっと考えていた。

カメラのレンズの欠陥とか、内部反射とか、そういう技術的な説明を考えようとした。でも七枚の写真にそれぞれ違う形で影が出ているのを、全部そこに帰着させるのは無理があった。

それよりも気になることがあった。

影の形が、どれも私に似ていた。

最初に気づいたときはそう思わなかったけれど、七枚を並べて見ていると、影の体型と、頭のシルエットが、私の影と微妙に似ていた。完全に同じではない。ただ、全く別人というよりは、近しい何かに見えた。

最後の一枚の、七つ並んだ影。

それが全部、私に似た影だとしたら、何を意味するのか。

旅先で知り合った人はいない。声をかけられた記憶もない。一人で歩いて、一人で食べて、一人で宿に泊まった。誰かと関わった記憶がない。

ただ一点だけ、思い当たることがあった。

旅行の二日目、宿を出る前に、フロントで荷物を預けていた。その際、宿の人に「昨日、お一人でいらっしゃいましたか」と聞かれた。確認のためだろうと思って「そうです」と答えた。

すると宿の人は、少し間を置いてから「そうですか」とだけ言った。

何か続くかと思ったけれど、それだけだった。

変な間だとは思ったけれど、その場では流してしまった。

今になって、あの間のことを考える。

あの人は、何を確認しようとしていたのか。私が一人だったかどうかを、なぜ改めて聞く必要があったのか。

写真を七枚、並べて見る。

七つの影が、同じ方向に伸びている。

私の隣に、六人分の影がある。

その六つの影が何なのか、私にはわからない。今もわからない。旅から帰って数ヶ月が経ったけれど、影だけがスマートフォンの中に残っている。

消そうと思えば消せる。でも、なんとなく消せないでいる。

消したところで、あの石畳に落ちていたものが、なくなるわけじゃないと思うから。

私が一人で歩いていた路地に、七人分の影が落ちていた。それだけが、はっきりしていることだ。

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